映画館は異世界へのトンネルだった。
私が小さい頃、映画といえば映画館で見るものだった。
父が映画館で映画を観るのが好きな人で、よく連れて行ってもらったためだ。家族揃って行くこともあったが、父と行った回数の方が多いかもしれない。
映画を観た後に、外食するのがお決まりのコースなのだが、何を食べようかワクワクしながら出かけたものだ。
家族揃って出かける場所の一つ。それが映画館だった。
小さい私から見れば大きな部屋に所狭しと並んだ座席、大きなスクリーン。隣に座る、普段はあまり家に居ない、自分よりずっと大きな父の姿。
もう、この空間だけで十分非日常なのだが、映画が始まるとあっという間に映画の世界に連れて行かれ、戻った頃には時間だけが過ぎていた。という不思議な感覚を何度も体験したものだ。
ドラえもん、ポケモン、ジブリ作品、どれも違った世界なのに、まるで自分がその場にいるような気分になったりもした。
異世界への入り口であり、異世界からの出口でもある。まるで異世界の中を通るトンネル。私にとっての映画館はまさしくそんな印象だった。
大きくなり、勉強や部活、やがて仕事に追われるようになり、現実世界での生活が充実するに従い、父と一緒に行く機会は減り、すっかり足が遠のき、十年近く映画館には行っていない。
最近、父はテレビで映画の再放送を観ることが多くなった。恐らく、父も映画館に行く頻度は減っていただろう。
先日、久しぶりに父と映画館に行った。
十数年ぶりだと思う。昔はあんなに大きく感じた部屋もスクリーンも、今はそんなふうに感じない。ただ、小さい頃を思い出して懐かしい気持ちになった。
映画が始まると、やっぱり目の前で繰り広げられる物語にすっかり夢中になり、あっという間に時間が過ぎた。気がつけばエンドロールだった。久しぶりに来たにも関わらず、昔から変わらずスクリーンの中の異世界に連れて行ってくれる映画館。
私にとって映画館は、十数年経っても変わらず異世界の中を通るトンネルだった。懐かしい気持ちで終わった映画の余韻に浸っていた私は、ふと隣に座る父を見て現実に帰った。そして、唐突に、気づいた。
父が、小さくなっている。
私が小さい頃、映画館に連れて行ってくれた大きかった父は、背中が曲がってきて小さくなっている。私が大きくなったこともあるだろうが、父を見上げることがなくなった。間近で観る父はシワも増え、白髪も多くなっている。私が歳を重ね成長してきた十数年、父もまた歳を重ねてきた事実に気づいたのだ。
成長して大きくなった私と、年老いて小さくなった父。
頭では理解していた現実を、痛いほど実感した瞬間。懐かしいはずの気持ちを吹き飛ばすほどの衝撃だった。
異世界の中を通るトンネルを抜けると、十数年が経っていた。
トンネルは思ったより永かったようだ。
映画を観るために映画館に連れて行ってもらっていた時代から、一人でテレビで観れるようになり、最近ではスマホで映画を観る方法を父に教えるようになった。
次にトンネルを抜けた時、その先にはどんな風景が広がっているのだろうか?その時、私たちはどうやって映画を楽しんでいるのだろうか?
もう十数年後にはVRで映画を観るのが当たり前になっているかもしれない。
久しぶりに映画館で映画を観た今日を、懐かしいと思えるような未来にしていけたらと思う。
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