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『生きがいについて』週刊たろじい通信第16号

はじめに

その日はいつも在宅勤務をしている妻が出勤した日でした。

私は茫然としていました。いったい何のために生きているのか。

早めの夕食をとり、本棚から一冊の本を取り出しました。

生きがいについて』(神谷美恵子)です。どういうきっかけで、この本を知るようになったのかは、今となっては思い出せません。

2008年、今から15年前に初めて読んだ時のメモがはさまっていました。私が読んだものはAmazonで品切れでした。とりあえずリンクは今読めるものを貼っておきます。


今週の読書


この本と出会えたのも「縁」あってのことでしょう。

エンターテイメントの本を読むのも悪くないですが、ときにはこの本のように真剣に向き合わなければいけないものを読むことが必要です。

内容は学術的ですが、言葉は分かりやすく自分の身にしみこんできます。

砂漠でオアシスに出会ったようなものです。ちょっと長くなりますが引用します。

重い病の床にあって毎日苦痛を耐えしのぶのがやっと、というひとでも、積極的な生きがい感をもちうるひとがある。(略)自分のこの苦しい生も、ただ無意味に与えられているのではない。自分にはよくわからないけれども、これはなんらかの大きな摂理によって与えられたものだ。自分はこれをすなおに耐えしのぶことによってその摂理に参加し、ある意義を実現することができるのだ、という意味感に支えられている

私が今まで――そしてこれからも――うつ病と統合失調症に苦しめられたとしても、その人生を生きることが意味のあることなのだ、と思わせてくれます。

筆舌に尽くしがたい経験もしました。それに比べれば今の症状のほうがずっと軽いです。

そして今、私の目が見えて、本を読むことができることに、そぼくに感謝します。

メンタルをやられている人は、一度手に取って読んでみてください。

きっと新しい光が与えられることでしょう。

私は61歳ですが、この歳になってもまだ未来があるのです。なんとすばらしいことではないですか。

読み終えて、さきほど感じた茫然とした気持ちは消えてなくなりました。

代わりに妻への感謝の気持ちが現われました。妻を悲しませてはいけない、それが私の生への意欲となっていることに気づいたのです。

おわりに

神様(私はクリスチャンではありませんが)は、本当に必要なときに、必要なものを与えてくれるのだと思いました。それがこの本です。

この本は私を導いてくれる光です。ほめてほめすぎることはありません。

私はよく「善因善果」という言葉を使います。よいタネをまけばよい成果が得られるということです。

この本に出会えた奇跡に感謝します。合言葉は「ついてる」(斎藤一人)。

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