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因果応報

人生で起こる事には原因(因)と結果(果)があります。そしてそれが起こるタイミングには縁が大きく作用します。仏教では因果応報とは自因自果とも言われています。つまり、全ての状況は自分の心が造り出したものであり、他人や環境のせいにしていては何も解決しませんし、自分の成長にもよくありません。

因果応報

心に描いた事が直ちに実現するわけではありません。その為にこの宇宙の法則を信じて説いても、なかなか理解してもらえません。心に描いた事、思った事が悪い物であれば悪い結果が、いい物であればいい結果が直ぐにはっきりと出てこない為に多くの人がその関連が分からず、それを信じようとしません。

しかし30年くらいのスパンで見ていきますと因果応報のつじつまは大体会うようになっています。自分の若かった頃から20年、30年のスパンで振り返ってみて下さい。人の一生は千差万別ですが、短くて10年、長ければ30年くらいのスパンで心の状態と結果との関係を見ていけば辻褄は合っていると思います。

ですから『心に描いたとおりになる』という事は今思っている事が直ぐに実現するという意味ではなくもっと長い年月で観た場合、つまり一生という時間で考えた話なのです。京セラ創業者の稲森和夫さんの著書によるとシルバーバーチというアメリカインデアンの霊言集では来世も含め35年で必ず因果応報の辻褄は一分の狂いなく合うようになっているとの事です。

確かに現世では全てが全てこういう原因であれば結果はこうなるという事にならないかも知れません。悪い人間がいつまでものさばっていたり、善良な人が苦労していたりします。しかしそうした苦労もその人が大きく飛躍する為に神が与えてくれたいい意味での『試練』であって、その試練を乗り越える事ができた場合には素晴らしい人生を送っているとの事です。

また悪人がうまく行っているように見えてもやがては破綻をきたしています。それでもなお辻褄があっていない場合はあの世まで含めたスパンでは寸分の狂いもなくぴたりと辻褄が合っているとの事です。一方因が果を生むタイミングですが、それには縁が深く関わっている様です。

笑顔がすばらしい

縁と距離感

大なり小なり人には夢や希望があり、それがその人の人生の大切な思想を育んでいます。ただし、それを実現する段になると、どうしても様々な現実にぶつかり、結局のところ『人間は独りでは生きられない』事に気付かされます。そんな時に効力を発するのが『縁』です。この縁というのは目に見えない紐(ひも)のようなモノです。

そもそも縁とはあれも縁これも縁と言えるように、本人の気付きさえ在ればどこまでも可能性が広がる多義的なものです。もしも誰かが全く未知の人にも優しくするならば、そこには新しいタイプの縁が生れます。

『距離感と信頼感は表裏一体』です。相手を信頼しているから距離を取れるし、離れられる。見守れる。また言おうと思った事を言わない様にもできる。逆に言えば人間同士がぶつかるケースは、往々にして近づきすぎの場合が多いものです。私達は不和の理由を相手の性格や自分の失言等に求めがちですが、実は双方の距離だけの問題であったりするものです。

いくら相手の事が好きだと言っても、あまり近すぎてはお互いの身動きが取れません。そうかと言って適切な情熱や思いやりも届かないような遠すぎる距離も考え物です。つまり時間的なタイミングや心の距離を測れるかどうかは、自分が相手をどれだけ信じているか、信頼を寄せているかでもあります。

距離感とは信頼感です。この様な信頼関係に支えられたコミュニケーションのお手本は太陽と地球なり、地球と月の関係の様にお互いクルクル回れるような関係です。そう思えば私達の日常生活は壮大で楽しく、かつ豊かなものになります。

中途半端な優しさは、かえって罪です。本当の優しさは『強さ』と表裏一体なものです。その人の為に絶えず尽くす事やずっと寄り添う事ばかりでなく、突き放す事や離れる事も含んだ、ある種の強さを併せ持ったものです。

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