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鈍感力

一人前の人間になって充実した人生を歩んでいくには学校教育に加えて自分の頭で考え、したたかに行動する力を身に付けていく事が必要です。それには家庭での教育と遊びから得られる経験が不可欠です。

鈍感力を身に付ける

子供の頃から学業成績ばかり注目され、成績だけが人間としての全てのバロメーターのように教え込まれた子供は社会に出て一度挫折すると、たちまち落ち込んでいじけてしまいます。これでは弱すぎて実社会ではモノの役には立ちません。

これに対して興味の向くまま、あれやこれやと手を出してきた子供は幼い頃から叱られる事にも慣れて育ちますから多少の事ではへこたれません。ヒステリー気味にお母さんが怒っても、一応反省はするものの、『まあその内にママも疲れて黙るだろう』くらいにしか思いません。

こうした、したたかさが身に着けばたいしたものです。社会に貢献できる人材に育つ事でしょう。もし何か間違った事をして叱られたら、そこは直ちに改め、反省すべきは反省し、叱られた事自体はすぐ忘れてしまったらいいのです。そして褒められた事だけを思い出して元気になる事です。特に男の子は叱られてもへこたれないしたたかな鈍感力が必要です。

この素晴らしい鈍さの特徴は、何があっても立ち直る、めげない、そして些細な事にこだわらない、おおらかさです。初めから何も気づかない無神経なのは単なる鈍感ですが、嫌な事があっても、失敗してもそれ捕らわれず、すぐに忘れて明るく前向きに進められる力、それが鈍感力です。

ブロイラー人間

幼い頃からエリートを目指してただガムシャラに学問や知識を頭の中に詰め込んできた人はブロイラー人間と呼ばれます。窮屈なトリ小屋に閉じ込められ、運動もさせられずにただ栄養だけを詰め込まれるブロイラーは食べてみると肉は柔らかいし、歯ごたえもいいのですが、昔食べた自然飼育の鶏肉と比べると一味もふた味も足りません。

同じように四六時中、学校の教室や塾・予備校、それに自宅の勉強部屋に閉じ込められ、ただ暗記だけをしてきた受験エリートは実社会に出ると一味もふた味も足りない様な社会人になってしまいます。実社会で求められるのは主に創造力や企画力です。学問上の知識だけでなく、それを現実に活かす智慧なのです。これらは学校の授業で学ぶ事は難しく、遊びの経験から得られるモノです。

戦前からの基幹産業であった造船とか繊維・石炭産業は軒並み斜陽になりました。今や電機業界とて似たようなものです。次は自動車も危ないらしい。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、それにうまくついて行けなかったのが最大の要因です。

こういう企業のトップの学歴を見ると名門大学出が多い。マニュアル通りの模範解答だけを求め、独創的な手を打ち出せないエリート特有の経営感覚が長い間、日本を支えてきた大企業をダメにしました。

同じように四六時中、学校の教室や塾・予備校、それに自宅の勉強部屋に閉じ込められて、ただ暗記だけをしてきた受験エリートは実社会に出ると一味もふた味も足りない様な社会人になってしまいます。実社会でいちばん求められるのは主に創造力や企画力です。暗記や学問上の知識だけでなく、それを現実に活かす智慧と行動力なのです。

グライダー人間

学校はグライダー人間の訓練所です。飛行機人間を作ろうとはしません。グライダーの練習にエンジンのついた飛行機が混じっていると迷惑で危険です。学校では引っ張られるままにどこにでもついてゆく従順さが尊重されます。勝手に飛び上がったりするのは規則違反です。たちまちチェックされます。これは教員の能力の問題でもあるのですが、やがて学生はそれぞれグライダーらしくなって卒業します。

優等生はグライダーとして優秀なのです。『飛べそうやないか。ひとつ飛んでみろ』などと言われても困ります。指導するものがあってこそのグライダーなのです。例外はありますが、一般的に学校教育を受けた期間が長ければ長いほど自力飛行能力は低下するみたいです。グライダーでうまく飛べるのに危ない飛行機になりたくないのは当前でしょう。

人間には飛行機能力とグライダー能力があります。自分で物事を発明したり発見するのが飛行機能力。受動的に知識を得るのが、グライダー能力です。両者は一人の人間に同居しています。グライダー能力なしには飛行の基本的知識は習得できません。何も知らないで独力で飛ぼうとすればどんな事故を起こすかわかりません。しかし、現実にはグライダー能力が圧倒的で飛行機能力はまるでなしという人が、優秀と言われるようなケースがたくさんいる事も確かです。そしてそういう人間も翔べるという評価を受けています。

ベトナム戦争時の地上攻撃機

学校では創造や企画の能力は評価点に入っていません。従って学校はグライダー人間をつくるには適していますが、飛行機人間を育てる努力はほんの少ししかできていません。学校教育が整備されてきたということはグライダー人間をますます増やす結果になりました。お互い似たようなグライダー人間になってしまうとグライダーの欠陥を忘れてしまいます。

指導者がいて目標が明確なところではグライダー能力が高く評価されますが、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠です。それを学校教育はむしろ抑圧してきました。急にそれを伸ばそうとすれば様々な困難がともないます。今は情報の時代です。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにもいきません。

それならグライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいか。学校教育もそれを考える必要があります。パソコンという、とび抜けて優秀なグライダー能力の持ち主が現れた為、自分で飛べない人間はいつかパソコンに仕事を奪われる事になるでしょう。

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