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しなかった事を後悔する

人は多くの場合『した事』による失敗を後悔します。しかしこれは短期的な話で、時間が経つと感じ方が変わり、長期的には『しなかった事』の方を後悔します。つまり『あの時、失敗しても挑戦しておけばよかった』と思うようになります。

今の時代はむしろしない事の方がリスクが高いものです。誰しも今まで経験していない新しい事に挑戦するのはリスクが高いと思います。だから失敗したら怖いと感じてしまいます。確かに挑戦にはリスクが伴います。

しかし市場が激しく変化している今の様な時代には挑戦しないで今まで通りの事をしている方がはるかに失敗するリスクが高いのではないでしょうか。挑戦せずに失敗して後悔するより失敗するかもしれない事でもリスクを取って挑戦する。短い人生で自己実現する為には行動する事が大事です。

初めにきちっと仮説を立てていれば仮に失敗しても結果を検証する事で次に生かす事ができます。すると次は成功する確率が高まり、挑戦するのが当たり前になっていきます。挑戦する時に仮説と検証をしっかり行えば好循環に入っていく事が出来ます。

周囲の人の反応

日本の社会では誰かが新しい画期的な事をやろうとすると、それが斬新で未曾有のものであればあるほど周りの人は危惧を持ちながら眺めます。なぜなら往々にして新奇で斬新な試みや奇想天外な発想は現実的に成功の確率が低いから。

そしてそれが不成功に終わった時、周りの人はその試みを手掛けた人に対して『だから言ったやないか』と非難します。

しかしフェールセーフの考え方はその失敗をもって、その人をダメ人間と決めつけず、むしろそれまでの努力を努力として評価し、『惜しかったなー』と言って不成功を咎めません。それよりもまた新しい試みに向かって挑戦しようという勇気づけを行います。

自分の体験

大学一年生の春に英語会話の練習を始めました。英語会話学校に入学し、外人の先生のいる教室でテキストを繰り返し読む事でしたが一向に会話力は上達しませんでした。これは会話を練習する環境のせいかも知れないと思い、外人観光客が大勢いる観光寺院に行って、手あたり次第に観光客に話しかけました。

大学の授業の空き時間に学校から近い観光寺院の龍安寺や金閣寺に何回も行きました。特に龍安寺は一度入場料を払って一周回ってくるとまた入口を入った所に戻るので、入場料が一回分ですみ、効率がよかった。

別の観光客と同じところを何回も回るのでその場所によって案内する内容のトレーニングを視覚に合わせて行う事ができ、そのうちに苦手な発音も自然に直っていったみたいです。この方法はやっていて楽しく約半年間続けると耳の訓練が出来たのか、日常会話が普通にできるようになりました。

今になって思う事は、会話力は文法や暗記によって身に付くものでは無く、視覚や聴覚、触覚など五感と脳を直結させて自然にそれぞれの引き出しに入れておくべきものです。このトレーニングを始めた頃は引っ込み思案の私にとって面識のない外国人観光客に話しかけるのはハードルが高かった事を思い出します。

この経験を続けた事で得たものとして、面識のない人に声を掛ける事に抵抗が無くなりました。

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