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決断力

マキャベリは君主論の中で『決断力のない君主は大抵中途半端などちらもつかずの中立の道を選ぶ。そしてその大半は滅びていく』と言っています。最近の日本の政治家を見ていると与党も野党もよく言えば状況主義、分かり易く言えばその場しのぎで5年10年の期間で物事を考える人が減りました。

一種の中立の道というか当たり障りのない先ずは保身という官僚と同じ体質になってます。官僚は権限がありながら自分だけで果断に物事を決められないし決める責任がない人種です。

しかしそうした体質の官僚に事を預ける現代の大方の政治家はもっとダメで、自ら何も決められず、ただただルーティンに溺れ時間だけが過ぎていき、結局迷惑と被害は国民に掛かっています。これは物事を判断する時に思考が停止して自立性が欠落してきた日本人全体の課題かも知れません。

戦前リトアニアのビリュニスでナチスから逃れて米国へ避難しようとする多くのユダヤ人に本庁の承諾なしに日本の通過ビザを発行して命を助けたという杉原千畝さんなどは思考が停止していなかった例だと思います。彼の行動は今でも多くのユダヤ人に感謝されています。

勝海舟は『文臣には才知があって勇断が無い。武臣は勇断があって才知が無い』と言っています。それらを束ねる事が政治家の責任であるし、最高幹部や指導者の役割であり、責任のはずです。

『およそ天下の事はあらかじめ知り、計る事が出来ないものだ。網を張って鳥を待っていても鳥がその上を飛んで行ったらどうなるのか。四角の箱を作って、ここに物事を入れようとしても、天下には丸いものが有ったり、三角のものがあるので、そう簡単にはいかない。一つの方針を固定すれば結局物事ははかどらない。それらを削り合わせて束ねるのが指導者の力量に他ならない』

今の政治的判断でもウクライナからの難民にはビザを発行するがそれ以外の国からの人達には基本的に発行しないという膠着した判断基準は考え直した方がいいように思います。

不作為(ふさい)

機会をとらえて行っていれば成功したかもしれないのに何らかの理由で躊躇して実行しなかった事で、得るべき利益を得ずに終わったという損失は帳面には現れないにしても、その組織の活力を削いでしまった不作為の責任は重く問われるべきだ。

だからリーダーとしては部下に対して不作為による機会損失を戒める指導も必要です。その時に必要なのは『フェールセーフ』という習慣が徹底していないと結局日本の大方の役人のように自分の立場を守る為に在任中は厄介な事はしないという形に表れます。

堺屋太一氏が言っていました。役人が政治家に何か言われて『大臣、それはどうも現実性がございません』と返答されたら『面倒くさいからやらない』という事と同義語だそうです。

リーダーが組織を掌握しながら競争に勝つには確固とした戦略とそれを具現していくための戦術が併せて必要です。そして、そういった戦略や戦術が現実のものとして編み出されるには、リーダーが最終の目的を構成する全員に徹底して信じさせなければなりません。

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