人生で初めてのシステム案件、ヨルダンのAOASプロジェクトを 先輩達のサポートにより受注、納入した.
前職の会社がメーカーと合併する前、私は貿易会社の中近東部に営業として勤務していた。始めは同地域では開発商品であったハイファイの販売を担当していたが、部門でただ一人の技術系社員という事で、当時開発されたVHSビデオは中近東の教育に貢献できるのではないかという目論見で、教育機器担当を拝命した。
1981年初秋にクエートにて教育機器展示会ASETE81が開催されるという事で早速これに申し込み、商品部の田村先輩に同行してもらい出張した。そこで初めてシステムとしての見積もり方を教えてもらった。パソコンが無かった当時は方眼紙に機器のシンボルマークをプリントしたステッカーを張り付け、それに結線を書き込む。その後シンボルマークをカウントし、機器リストを作ってそこに数量と金額を書き込み見積もり書にする。次にこのシステムの内容で何ができるかという事を箇条書きにして、これらをカタログと共に商談に使用する。
また会社のある大阪は事務所があっただけで商品に触れる機会がなかったが、展示会場で結線することにより大まかなシステムの理屈に触れる事ができた。展示会の準備で組み立て始めたが、驚いた事に木製のラックにマニュアルに書いてある商品の取付け金具が付いていなかった。そこでブースを作るのに余っていた木材をカットしたものに木ねじで機材を取り付けて応急処置とした。
展示会場にお見えになったヨルダンのアラブリーグAOASのイラク人大学教授に簡易教育システムの見積もり依頼を頂いた。彼は翌日帰国するとの事だったので、夜になりホテルの部屋に帰って先輩の指導により提案書を作った。夜11時を回っていたが聞いていたホテルに電話を掛けると、ぜひ説明を受けたいとのことだったので、提案書を持って、出かけた。
場所は私達のホテルの近くであったので徒歩にて訪問した。当時クエートは建設ラッシュで建設現場が多く、簡単な杭で囲いをした所に10m程の深い穴が掘ってあった。街灯も無く、ここを歩くのは少々危険を感じた。ところが、先方には私達の努力を認められ『提案書を持ち帰って上司の購入許可を取る』とのことで、努力の甲斐があった。帰国後ひと月ほどテレックスでのやり取りの後注文が仮確定した。25百万円程の注文であったが自分にとって記念すべき初案件となった。
ドクターからL/C(信用状)発給前に日本を訪問して工場やショールームの見学を希望された。主な商品は横浜の工場製であった為、横浜と東京へ同行出張した。彼はイラク人であるがドイツ人の奥様と結婚されていて宗教上の食物の制約が無かったので、気楽であった。
東京で夕食を済ませて深夜11時を過ぎてからホテルに到着すると、横浜工場の松尾主任がロビーに来ておられて『お昼の打ち合わせの時に要望された資料です』と言われた。そこで3人で簡単な打ち合わせをした。当時は携帯電話や宅急便が無かったので、手渡しをするにはこれがベストな方法であった。
見方によっては無駄なようであるが先方目線で、効果が大きく営業としては大事な心掛けだと思った。これとは逆に、だいぶ後になるが、AOASのDG(所長でドクターの上司)が『今、大阪空港に着いて、特に用事はないがそちらに行ってもいいか?』と連絡があった。『いいですよ』と答えて上司に確認を取ると、『そんなアポなしで来られても準備ができない失礼になるから、お断りしなさい』といわれた。アラブ式の客人の接客は数人のお客を同時に自室に招き入れ雑談形式で話し合う事が多い。これによりそこにいる皆が知り合いになる。というスタイルなので、これは言わない方がいいと思い、部長に相談すると『来てもらいなさい』という事になって結局部長を交えての話し合いは大いに盛り上がった。
話は元に戻るが、注文頂いた商品が現地に到着して施工に行くことになった。自分にとって初めての本番の施工であった。単体の商品は会社で勉強していったが、現場では様々な事が起こる。まず、結線が終わって動作試験をしていると、トークバックが働かない、機器の配線図をみると、マイクが単純なMM方式であったので、これは小型ラジオのスピーカーと同じだと思った。街の電気店に行き小型ラジオを購入してこれを分解、スピーカー部分をつなぐとうまい具合に働いた。
次に先方からここにグースネックマイクがあると便利だと提案されたが、購入リストには入っていなかった。ラジオを買いに行った電気店に自在型電気スタンドがあったのを思い出し、これを購入してテーブル型のマイクをそこに取り付けて代用品を作った。田舎の現場では在りものの材料で必要なものを作るというプリコラージュの能力が必要だと思った。
『この仕事は自分の工夫を生かす事ができる』とやりがいを感じた。アラブ諸国では、『遠方の人で一生のうちに2回以上会う事ができるのは神の思し召しによるもので、大事にしなければならない相手』といわれている。これは砂漠を行き来する隊商ビジネスに起因するもの。中近東に出張の際にはできるだけアンマンに行き、御用聞きと簡単な修理を実行した。これは先方に喜ばれ、お互いに親戚同士のような関係になった。お陰で毎年予算が出るたびに新製品などを購入頂く関係になった。営業としての大切なポイントを勉強させて頂いた。
ありがたい事だと思った。
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