自分はどう逝くか
世界最長寿の人で120年、日本人の平均寿命は80年かと言われていますが、生きている人はいつか死んで、その死はいつなのかわかりません。『自分の死がいつ来るのか、死んだらどうなるのか』というのは、太古の昔から誰もが知りたかった事です。お釈迦様もこの問いに対しては『無記』と言ったそうで、残った人生をどう生きるのかを噛みしめて考えるのは生きる事の目的かも知れません。
昨年半年間の入院中は病気と戦うのが精いっぱいで気力がかなり失せていました。その時分かったのは生身の体を使っての経験や勉強は生きている間にしかできない事です。限られた活動できる『生かされている』時間に出来るだけの様々な体験を通じて学ぶ事で、魂のトレーニングを積み上げたいと思います。
入院中、初めの頃は3m先にあるトイレに行く事が出来ず、尿瓶に用を足してナースコールで『オシッコ出ました~』と看護婦さんを呼んで、捨ててもらいました。ある時、私の回復状態が分かったのかある看護婦さんから『出来るだけ自分でトイレに行って下さい』と尿瓶を没収されました。それから後はしかたなく杖や車いすを手すりに使い工夫して自分で行くようになりました。回復の為には自分から積極的に動いた方がいいと気づきました。
自分はどう逝くか
自分の余生を考えるというか逝き方を考える事は決してネガティブ思考ではありません。逝き方が決まってきて初めて『自分はこれくらいまで生きよう』という事が心の中で定まってきます。その時初めて残された時間をかけがえのない大事なものとして実感できます。
年老いていくに従って日々の時間の流れが速くなります。あっと言う間に毎日が過ぎていきます。惰性のように生きていくのではなく、一日一日を充実したものとして実感する為には、今年見ているこの桜はあと何回見る事ができるかと考えて見るといい。何年生きるかではなくあと何回、同じ美しさに触れられるか。仮に死ぬまでにあと20回しかないと考えてみると『あ、もう一回見たから、あと19回か』というふうになります。
ですから、日常の何気ない事でも、それをしている今の自分をありがたく思って、コーヒーを一杯飲む時も、テレビを見たりする事でも、あと何回出来るのか、回数は限られているのだと思ってみます。
スティーブジョブズのケース
アップルの会社が大発展し始めた頃、彼はすい臓がんを患っている事に加えて余命の宣告を受けたそうです。ところが、その後の彼の活動速度は目を見張るものがありました。自分に残された有限の時間を強く意識したからでしょう。
自分はどう逝くのか考えてみる事は悪い事ではありません。死のイメージトレーニングをしていると、日々生きている事の充実感、生きているという貴重な時間に対する実感が湧いてきます。
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