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自我の定義

人が100人いれば100通りの考えと正しさがあります。大きな組織の中で自分には決定権がないと自覚する中間管理職の立場の人は自己保身の為にも上司に忖度して自分が正しいと思う意見を主張できずに上司の考えに従った意見を発する事が多くあります。

そういう場合、自分の主張でない事の誤魔化しの為か作り笑いの表情をする男性がいます。言っている事の間違いを誤魔化す為にしている場合もあるかと思いますが、これは相手から奇異にみられるだけでなく自分の心をも傷つける自傷行為です。まじめな話をしている時にそのような態度を見せられると怒りの気持ちまで生れます。なぜそうなるかを考えてみました。

自我の定義

お仕着せられた自我は定義がとても曖昧です。一例を挙げれば必要のない時に薄ら笑いをする人でしょう。無意識に笑わないと間が持たないと思うのか笑った方がいい印象を与えると思うのか、本当のところはよく分かりません。ただ相手はその様子を奇異に感じます。

こちらがクレームをしているのに必要のない時に笑うなんて、良し悪しや善意についての判断の線引きがおかしいのかも知れません。信頼に足る相手かどうかが分からなくなります。

また女性でもお仕着せの自我のまま年齢を重ねると各状況における自我が定義できなくなるみたいです。例えば自分の立場が上だと思ってホテルマンを息子の様に叱りつけたり、店のレジでおかまい無しに大声を上げるとか、他人を押しのけたりする年配の人もいます。

夫が働きに出ていて、こと家庭に関する限り最強の権力者として振舞い、子供と夫を支配し、その内に本人がすっかりその気になってしまう事もあるからでしょう。自分が一番偉いという自己イメージが勝手に生まれて、年々強化され、ある年齢のタイミングでついに制御不能に陥るわけです。

彼女たちの横暴な振舞は家の中の自我が町中の自我になっている事の表れです。自分というものが分からなくなっています。しっかりと自分を見つめ、状況の中における自分とは何かという事を掴んでいれば、ホテルマンを叱りつけたり、大声で話したり他人を押しのけたりはしません。

ホテルマンと自分の関係、隣の席でくつろいでいる人と自分の関係そして公共の場所に集う人達と自分の関係などを顧みて最低限の社会的礼儀を欠いてはいけないという事も分かります。自我の定義があいまいになっていくというのは脳の老化現象でもあります。

本来の自分とは

戦時中と敗戦後の国家指導層の考え方の変化、企業合併前後の価値観の変化等様々な状況下でダイナミックに自己観察をしてみるのも面白いでしょう。

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