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『五感』の活用

私達には視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の五感があって、これらで世界を認識しています。これらは互いに影響し合っていて、モノを知るには出来るだけ多くの感覚を併用する事でより深く理解することができます。これらで感じる以外にも霊感と言われる感覚もあってシックスセンスという映画で紹介されていました。これは『第六感』とも言われています。

愛し合う男女が行う行為はこの五感をフルに活用して相手の気持ちを確かめ合います。私達の居る日本ではそういう光景を度々目にすることがあります。ところが中近東の空港ではお互いの再会を喜ぶ意味でしょう、空港で髭ズラ男性同士でキスをしている光景に出会います。初めの頃は不自然に思いました。しかしある時、私も求めに応じたところ相手の事がより分かったような不思議な気持ちになりました。いわば欧米のハグの進化型のようなものです。

ヘブライ語の『知る』

ヘブライ語で『知る』という意味の動詞はYadaと言います。この語の素になっているのはYadでその意味は『手』。従ってヤダーは手でするというのが原意です。

昔のユダヤ人は手でする事が知る事であると考えました。手で触れてモノを認識する。手でつかんでモノの実態を把握する。これがモノを知る第一歩であるとこの言葉が示しています。またこの言葉は古代のユダヤ文学においては『セックスをする』という意味でも用いられました。男が女を知るというような表現を取ったわけです。

幼児はモノに触れて頭が良くなります。赤ん坊の周りには玩具より、日用品を置くといいと言われています。大人ももっと手足を使う事です。機会あるごとに何でも手のひらで触れる努力をしてみるといい。

公園で通りかかったら樹木の幹に手を当てて肌触りを確かめてみるといい。登ってみると更にいい。全身で存在を感じるからです。芝生があったら靴を脱いで裸足で踏んでみる事です。少年時代の大地の思い出がきっと蘇ってくるでしょう。

『銭湯』の小話

ある男の子が銭湯で番台のおばちゃんに尋ねます。『男の子はいくつになったら女湯に入れなくなるの?』するとおばちゃんはこう答えます。『女湯に入りたいと思った時』。

この話には男性全員が爆笑します。他愛ないネタですが、見ようによっては実に深いモノを感じさせます。裸というのは性的な目で見るからエロチックなので、そうでない目でみたら、タダの肉体です。

これは見られる女性の立場でも同じです。性欲の目で見られると羞恥を覚えますが、そうでない目で見られても特別な羞恥を感じないものだろうと思います。

江戸時代の女湯

露天風呂にて

ある時、イランのお客さん5人のアテンドで箱根の温泉に行きました。そこで露天風呂に入ろうという事になって、先に湯舟に浸かって待っていると、全員が腰にバスタオルを巻いて入ってきました。その時は私たち以外の入浴客がいなかったので、バスタオルを巻いたままで湯舟に入ってきて男性6人で『リラックスするなー』と歓談していました。

クロアチアのビーチにて

クロアチアのザグレブで工事をしている時の休みの日に海岸に行こうという事になって、アドリア海のビーチに行きました。そこではルールにより全員が素っ裸で日光浴を楽しんでいます。私も素っ裸でボートに乗っていましたが太陽が燦燦と照っているビーチで寝そべっている若い女性を見ても不思議とエロチックな気持ちにはなりませんでした。

絵を描く時や彫刻をする時にも、現場へ行って空気を味わい、手で触る事で表現したいモノをより深く認識できます。これからも五感をフルに使ってモノの本質を知りたいと思います。

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