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逆境は成長のチャンス

物事がうまく行かなくて絶望感を感じる時やそれによって悲しい気持ちになっている時は自分を成長させるチャンスです。

心が折れる

昔は『心が折れる』とは言いませんでした。『くじける』とか『凹む』と言いました。『心が折れる』とはボキっと折れる音が聞こえてきそうで痛々しい響きがあります。くじけたり凹んだりした心は時間が経てば元に戻りそうな雰囲気を持っていますが、ボキっと折れてしまった心は修復不可能な印象があります。

『心が折れる』という直接的な響きを持った言葉が流行るのは現代人の心がそれだけヤワで脆くなったせいかも知れません。

打たれ弱くなったのはそれだけ打たれる経験が少ないからでもあります。それなりに打たれていれば耐性もできるし、結果的にどの程度のダメージで済むかといった事も見当がつきます。厳しい事があればそれを避け、楽な方に行こうとする風潮も、そんな打たれ弱さを助長しています。

傷が付かないように当たり障りのない付き合い方で十分という感覚もまた打たれ弱い人間をたくさん生み出しています。打たれ弱い人は傷を負う事や面倒を避けたがるので、何かあった時に責任を他人のせいにする傾向が強いものです。一方たとえ相手に多少の非があっても自分の責任として考える事の出来る人は打たれ強い。

打たれれば当然痛い。でも生きている事はそもそも痛いものです。よく考えてみると人は痛みの中から泣き叫んでこの世に生まれてきます。人の生は初めから痛みと共にあります。そう思えば打たれて痛くても生きる事に既に織り込み済という感覚になります。そして打たれて痛みを知る事は『ああ生きている』という実感を持つ手掛かりにもなります。

悲しみ

悲しみは自分の心の内側を見つめさせてくれます。そして病気や失望の全てを癒す素晴らしい力がある事に気付かせてくれます。また深く考える事の大切さも教えてくれます。深く考える事から得られる見えない力は、ある期間あるいはある事態に必要な助力と慰めを与えてくれます。

人が我に返って自分の心の内側に途方もない力がある事に気付くと愛する者の事や事業の失敗あるいは自分の力の及ばない肉体上の苦痛などの意味が分かってきます。悲しみが与えられさえすれば利己的な態度や傲慢・虚栄や自己愛が取り除かれますが、これも心身の鍛錬になります。

悲しみも失敗と同じように恩恵となるか禍になるかは自分の心の反応次第です。腹を立てずに自分の鍛錬に欠かせないものとして受け入れれば悲しみは大きな恩恵を与えてくれるでしょう。腹を立てるだけで何も得られないとすれば、禍でしかありません。

どちらを選ぶのもその人次第です。悲しみが自己憐憫になる事がありますが、自分を憐れんでみたところで自分を弱める事にしかなりません。他人の気持ちに同情できるようにならなければ、又は自分を鍛える手段として歓迎しなければ、悲しみは自分のものにはなりません。

深い悲しみにある時ほど無限の英知と密接につながる事ができます。悲しい時の祈りは最も無限の英知の心を動かすので明白な結果が現れる事が多いものです。

イシス神

報われぬ愛がもたらす挫折感も人生の転機になる事が多い。悲しみが大きな成功の導き手となるか、あるいは障害となって完全に破滅するかの転機でもあります。結局どちらに行くのも対応次第です。

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