5月ですね。
5月ですね。4月の制作はP50号が2点でした。最近は、新たなキャンバスを購入するための資金が不足しているので、作品番号を付ける以前の絵を、潰して制作しています。インスタグラムの投稿は、自転車操業なので、背に腹は代えられません……。
さて、僕と現代美術の出会いは、大学卒業後でした。そして、現代美術家として、一から自分の思想の基礎を作る時に、熱中して読んだのは、山口昌男の著作でした。だから、彼の『中心と周縁』の理論は、僕の思考の土台になっています。
「それ誰や?」という方のために、中心と周縁の理論を、強引にざっくりと説明すれば、「社会の中心は秩序や制度が、硬直化してしまうので、周縁からカオスを取り込むことによって、自らを活性化させる」そのシステムのことです。
その際、周縁から中心にカオスを運ぶ役割を担っているのがトリックスターです。僕は、文化の中で、この役割を担っているのはアーティストだと思っています。ちなみに、トリックスターは役割を終えると殺されます。
僕の活動の第1期は1992年〜2002年で、その後半の発表は、東京でした。当時の感覚では、当然、東京が中心です。自分は周縁から、東京の美術界を活性化するために、カオスを運んでいるつもりでした。
ところが、今考えると、その見立ては間違っていました。東京は、海外の新たな流行や価値観を、どんどん受容していたので、東京以外の周縁からのカオスを必要としていませんでした……。
そして今。SNSの時代がやってきて、本当の意味の中心と対峙しています。硬直化を避けるために周縁からカオスを取り込まなければならない中心です。
ただし、カオスと言っても、絶対的なカオスはありません。あくまでも西洋にとってのカオスです。西洋の秩序や制度を壊して再生する力を持ったカオスです。
しかしながら、僕は毎日、インスタグラムで、浴びるように、新たに制作されている、西洋の現代美術作品を見ていますが、たいがい既にカオスな感じです。でも、どこかに、硬直ポイントがあるはずです(言葉を変えれば西洋の抱えている問題ですが)。
まあ、目指す作品を、簡単に言葉にすると「受け入れ難い、理解不能な美的なもの」でしょうか……。
(美術を離れると、現代のカオスの代表はプーチンですよね。一人で21世紀を20世紀の世界に引きずり戻してしまいました。ヨーロッパの周縁のロシアは、カオスの揺籠でしょうか。)
#アートの思考過程
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