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1㎤の心配性。

朝。
太陽とともに目を覚ます、なんて当たり前のことはいつの日か「眠りの合図」になっていることに気づき、せめて、社会の一員として朝を過ごそうと、ベットから背を引き剥がす。

昨晩見れなかった映画でも観る。

昼。
最初は苦手だったことにも愛嬌が湧いてきて、パソコンに手を預ける。右手にはアメリカン。

最近は注文時に「アメリカンで。」というちょっとしたオトナごっこに哀愁を感じ、無駄に珈琲を流し込んでしまう。

初めてクレカを手に入れ、「カードで。」という感覚と似ている。

唐突に美容室に行きたくなるので、行きつけの美容室へ電話をかける。

オーナーは多くは語らないけど、どこか安心感があって、いつもカットしてもらっている時に寝てしまう癖は22を迎えるまでにはさよならを言いたい。

心地の良い断髪音と、少し強めのハンドリングで行く宛を裁かれたぼくの髪は、満足がいこうが、いかなかろうが、「オーナーの切った髪型」として、心の額縁に飾られることになる。

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ばじゃん。

我が実家の玄関音は少しうるさいくらいに音を鳴らす。

僕が好きな温かく光るフィラメントは、無惨に光を遮断され、真っ白な白色LEDに切り替わる。

最近のマイブームである「元気を出して」を流すスピーカーは項垂れるように音が小さくなり、五輪のニュースがつく。

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(結論まで最初に書いたけど、やっぱり続きを書くのはやめることにした。)

中略。

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夜。

あなたの知らないで、ぼくは生きている。

あなたの愛情表現はあまり心地よくなくて、ぼくは立派な優等生息子にはなれないかも、しれない。

あなたの知らない世界で生きるぼくを引き止めるのはうれしいけれど、知らない世界で生きるぼくを無碍に引き留める勇気も、ぼくにはないんだと思う。

だから、きっと、このノートは永遠にぼくという正体を隠しながら、その人が墓に入るまでか、私が墓に入るまでは封印しなければならない、かもしれない。

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きっと、映画の中のジミーも、同じ気持ちだったのかなぁ、と、映画という創作モノに想いを被せてみる。

大切な人。
大切な人たち。

その人たちに、自身の核エネルギーを否定されたら、みんなはどうやって顔を創るんだろう。


もしかしたら、責任のない「応援してる」は最も美しい言葉かもしれない。

そして明日も、残酷にも美しい朝日がぼくを待っている。



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