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ひろえっちの本質ノート #5 「謙遜は美徳」とは言うけれど・・・

「いえいえ、私なんて・・・」って、ホントに思ってる?

コーチングをを仕事にしていると、定期的?に同じテーマにぶち当たって「デジャヴかよ」と思うことはよくあるんだけど、ここんところまたこの「謙遜問題」で若干モヤモヤしているのだ。
日本の文化として、出しゃばらず謙虚にしていることが礼儀正しいというのはかなり強いと思う。でもこの「謙虚」と「謙遜」はだいぶ違っていて、いきすぎた謙遜は自己承認感を下げてしまっているのではないか、というのが私の考え方。
コーチングのセッションの中では、クライアントの変化にポジティブフィードバックをするのが当たり前なので、いつも、変化には注意を向けているんだけど、それを言葉で伝えてあげた時「いえいえ!全然です!そんなことないです!!!」と全否定する人がいる。
そんな時には「いつも褒められたときそういう言い方してるのかな?」と確認してみると、ほとんどの人が「それが当たり前だ」と答える。
かくいう私も、昔は、褒められたら「いえいえ、とんでもない!私なんて全然で・・・」と言ってたんだけど、あるとき「ちょっとこれ、変じゃないか?」と気がついた。
せっかく褒めてくれてるのに否定するのは、相手の好意を無にしているというか、せっかくのギフトを突っ返しているというか、なんかそんな気がするなあと思っちゃったのだ。
それに、褒められたら素直に嬉しいし、その褒められたポイントが自分でも「ここはうまくできた」と思っているものと一致してたら、心の中では「そうだよね!」って思ってるもん(笑)。
なのに「いえいえ!」って、どう考えてもおかしいではないか。

謙虚で真摯な姿勢が理想

謙遜って、相手と自分がいたら、自分の方を下げて「相対的に」相手を上にする感じの印象がある。
だけど、人間なんて本来みんな同じで、大企業の社長だろうと、世界的に活躍するアスリートだろうと、著名な芸術家だろうと、誰かが誰かより偉い、なんてことは一切ないはずだ。
「『先生』と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」なんて言葉があるくらい、何でもかんでも相手を「先生、先生!」と持ち上げるゴマスリ野郎(笑)を見ると、私は心底呆れて、ガン無視を決め込むのだ。

そういえば、もう10年近く前になるけど、「わもん」のやぶちゃんが、ドキッとすることを言った。
「誰かのことを見上げて自分を低く見る癖がある人は、どこかで必ず、誰かのことを見下しているはずだ」って。
怖い、そんな人になりたくない、と思った。
以来私は、自分と人を上下の位置関係に置くような態度をやめようと思って、じゃあ、どうすればそうなるのか、というのを考えるようになった。
結果、到達したのが「謙虚で、かつ、真摯であること」という表現に落ち着いた。

謙虚っていうのは、とりたてて「オレがオレが・・・」と目立とうとするのではなく、楚々として、凛とした態度があって、どんな相手にも分け隔てなく優しく礼儀正しく振る舞える、そんなイメージ。
だから、社会的に地位が高い人や人間的に自分より優れてると思う人の前でも、礼儀正しく尊敬の念を持って接するけど、決して「私なんか全然ダメで・・・」とはならない。
素直に「尊敬しています」ということを表明するだけ。
真摯っていうのは、自分の心を偽らない、ってことだと私は解釈しているので、本当は全然いいと思ってないのに、歯の浮くようなお世辞を言うってのは、全然真摯じゃない態度、ってことになる。
そして、自分を必要以上に大きく見せようとか、カッコよく見せようなんても、真摯じゃないので、できてないところは素直に認めるし、わからなければ「教えてください」と正直に言える自分でいたい、と思うのだ。

褒められたら「ありがとう」でよくないですか?

というのをいつもみんなに言っていて、大抵の場合「確かにそうですね!やってみます」となる場合が多いんだけど、先日、ちょっとびっくりする反応に出会った。
「褒められて『ありがとう』なんて言ったら、偉そうな人だと思われないでしょうか?」と聞かれたのだ。
これは初めての体験だったので、内心かなり驚いてしまったのだが、その意図は、一般常識的には、褒められたら否定するのが礼儀で、額面通りに受け取るということは「自分は偉い」と言っているのと同じだ、ということだった。
なるほど、そういう考え方なのか、と理解はしたのだが、これには2つ問題があるなと思った。

1つは、真摯さに関する問題。
もし、自分が「褒められて嬉しいな。ちゃんとできたところを見てくれているんだな」と思っているのにも関わらず「そんなことありません」と答えるとしたら、自分の内心に反する態度をとっているという、自己不一致的な状況で、これは真摯な態度じゃない、ということになる。
もう1つは、自己承認度に関する問題。
せっかくのポジティブフィードバックをシャットアウトして受け取らず「自分は大したことがない人間だ」発言すると、自分自身の発言で自己洗脳をしてしまい、自分のセルフイメージを下げることになってしまう。
潜在意識層に「私は大したことない人間だ」ということを刷り込み続けると、どんなに前向きに考えようとしても、なかなか行動や思考は変化していかないのではないか、と思うのだ。

「自分を大切に」とはよく言うけれど・・・

私は「自己肯定感」という言葉が嫌いで、普段、自分の発言としては使わないようにしている。
でも、一般的にこの言葉で表現した方がわかりやすいことも多いので、ほとんどの場合「いわゆる『自己肯定感』というヤツですが」と、わざわざ面倒な言い回しをしてるのだ。
自分を肯定しよう、と言うよりも「自分自身をありのままに認めよう」言うほうが、生きやすさに近づきやすいと感じている。
つまり「自己肯定感を上げよう」と思わなくても、そもそも自分は唯一無二の素晴らしい存在だ、という認識ができるだけで、かなりの悩みは解消していくと思っている。
そのためには、自分自身をどんな人間として認識しているか=セルフイメージがめちゃくちゃ大事で、しかも、それを作り出しているのは、自分の「思考」よりも、無意識や潜在意識の働きの方が強いのではないかと思う。
だとしたら、不用意に、自分に対して否定的な表現を使っていると、潜在意識には否定的なセルフイメージがどんどん蓄積していく一方、ということになる。
人間の脳は「主語を理解しない」という説もあるそうで「お前、バカだな」と言ったら、自分に対して「バカだ」と言ってるのと同じになっちゃうから、そういうこと言わない方がいいよ、なんて話を聞いたことがある。
それは、これまでの経験からかなり信憑性が高い話だと思うようになった。

謙遜することでその場が円滑になるというのは、全くないとは思わないけれど、せっかく、肯定的な言葉をもらったのなら、それをありがたく受け取って、そのまま、自分の肯定的なセルフイメージを作る材料として使ったら、めちゃくちゃお得なのにな、と素朴に思うのだ。
それが、自分を大切にすることにもつながるのではないだろうか。

自己一致を目指していこう

自己一致とは、自分の本音と建前がちゃんと一致している状態。
人間関係を円滑に保つことはすごく大事だけど、だからと言って、自分を偽っちゃったら元も子もない。
私なんか、お世辞は絶対に言えない性分だから、いつでも、褒めるときは本気だ。
というか、どんな人を見ても、その人の素敵なところ、優れたポイントを見つけ出すことにおいては、かなり自信がある。
あ、そういえば、小さい頃、父親に言われたことがある。
「お前は友達のいいところを見つけるのが本当に上手いな」って(笑)。
まあ、その性質をそのままに大人になり、それが仕事になったわけだから、ようやく、自己一致の人生になった、と言えるのかもしれない。
と、考えると、いつも謙遜しまくる人は、もしかしたら、自分が相手を褒めるときも「本気でそう思ってるわけではないけど、ここは一つ、持ち上げといた方がいいかな」なんて、そんな邪な気持ちでやってるんじゃないか、なんて思っちゃったりもする。
でも、仮に相手が心にもないお世辞で褒めてくれたものだとしても、別にいいじゃないか。それを「ありがとうございます!」って、最高の笑顔で受け取ったら、ある意味「あなたも本音で生きた方がいいですよ」っていうメッセージを送ることにもなるかもしれないよ。

というわけで、私はこれからも、本気で相手を褒めるし、どんな褒め言葉も、全力の「ありがとう」でありがたく受け取るという姿勢を続けていこうと改めて決意したのであったー《完》


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