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自傷行為は辞められない

自傷を繰り返す子ども・若者の多くが「不快な気分を変えるために」自傷を行っている。

実際のところ私も、「辛い気持ちを紛らわすために」や「気持ちがスッキリするから」などの理由でリストカットに及んでいた過去がある。


そこで考えたいのが

「自傷はアディクション(:嗜癖)なのだろうか。」

ということだ。



自傷はになりやすい。また、エスカレートしてしまいやすい。

最初は勇気を出して、あるいは軽い気持ちで切っていたのに、いつの間にか慣れて、毎日のように切ってしまうようになったというのも、よく聞く話だ。
そして一度はまってしまうと、切ったことによる自己嫌悪などの不快感情に苛まれ、それによって再び自傷してしまうという悪循環のループに陥ってしまうのである。また、「そのループから抜け出したいのに抜け出すことさえ怖いという状態になっていた」と、ある20代の女性が語っていたそうだ。




自傷がもつ嗜癖性については、一部の海外の研究者によって指摘されてきた。

自傷行為とアルコール・薬物依存症にはいくつか共通点があるとフェイエ(Faye,1995)は述べている。

自傷の場合は、アルコール・薬物依存症のように耐性上昇や離脱症状のような生理学的な変化は起きないものの、共通点として、「自傷行為により一時的に不快な感情から解放される」こと、また「最終的には自尊心の低下、恥の感覚、罪悪感、孤独感をもたらす」ことがあるという。




アディクション(:嗜癖)となりやすい物質や行動には、3つの共通した特徴がある。

1.その物質や行動は、快楽を引き起こす効果もしくは不快気分を解消する効果がある

2.そうした効果はきわめて即効的に発現する

3.他者を介在しない、1人でもできるものである

以上のように、自傷は不快感情を解消するために行われ、即効性があり、比較的1人で行われやすいため、この3つの特徴を網羅している。

つまり、自傷はアディクション(癖)になりやすいと言えるのである。




次に考えたいのは、自傷がアディクションとなるプロセスである。


自傷が開始される年齢はおおむね12歳頃と言われている。
では、最初の自傷はどのように行われるのか。


典型的な例として、家庭で繰り返し自分を否定される体験をしている子どもがいたとします。

虐待などで、「今のあなたではダメだ」というメッセージを何度も受け取っているという環境下にいると、その子は恐らく自分のことを「自分はいらない子」「余計な子」などと、自分に対して非常にマイナスな認識を持っていることでしょう。

周りの大人がそれを促進するような声掛けや態度を繰り返すうちに、その子どもはやがて「誰も信じられない」「もう誰にも助けは求めない」という思いに駆られ、「消えてしまい」と思うようになります。

ある時に心の限界に達し、子どもは自殺の意図から刃物で自分を切るようになるという。もちろん、その傷は、客観的には「かすり傷」程度のものであることが多いでしょう。

いずれにしても、その自殺企図は、誰にも知られることのないまま失敗に終わったことになる。しかし代わりに、その子どもは、それまで自分の心を圧迫していた「心の痛み」が鎮痛される効果を発見するのである。
「死にたいほどの辛さ」を、うまくコントロールできるようになるのである。

そして、生きるために、あるいは死なないために、自傷を繰り返すようになるのである。


しかし、自傷の鎮痛効果にも「耐性」が生じやすい。
例えば、最初は週に一回切れば対処できていたものが、次第に効果が薄れ、3日に一回、毎日、日に数回という風に徐々に頻度・回数が増えていきやすい。これは自論だが、深さも耐性に関連していると考えている。

そして、いくら切っても落ち着かない状態に陥ってしまう。
これは「コントロール喪失の状態」と言える。


自傷に対するコントロールを失い、むしろ自傷にコントロールされる状況になる。すると、自傷者は人目を避けて自傷をする余裕を失い、洋服で隠せない範囲に傷をつけてしまったり、血の付いたティッシュをゴミ箱に投げ捨ててしまったりしたために、家族や周囲の目に触れ、これを機に精神科医機関やカウンセリングなどに訪れるようになるという。


その後、彼らは自傷を通じて、家族内にヒエラルキーにおける下剋上を実現できるパワーを手に入れる。

どういうことかというと、彼らは自傷をしたりしなかったりすることによって、家族や友人、恋人、援助者などを一喜一憂させ、自分から離れていこうとする人との絆を一時的に回復できることに気が付く。周囲の人は、彼らを腫物に触れるように接し、非難や苦言を飲み込まざるを得なくなるのである。

この段階の自傷は、多くの援助者が自傷について抱いている「アピール的」な様相を呈する。



ここからは私の個人的な考えだが、自傷行為はあくまで「生き延びるための手段」である。

小さい頃の家庭環境や学校での人間関係などから、自傷行為をせずには生きられない心にされてしまっただけなのだと思う。

私は、自傷行為はダメなこととは思わない。

しかし、若いが故の一時の不安定さによって、隠すことのできないほど深く、また広い範囲を切ってしまったり、オーバードーズのしすぎで人工透析などが必要になってしまったり、後に自分に大きな不利益を被る可能性があるのなら、出来るだけしないで済む方法を見つけるべき、という大人の意見も飲むことはできる。


以前、X上である女の子が過量服薬によって亡くなったという情報を得た。

彼女は普段から希死念慮は抱いていたようだが、今回亡くなった出来事に関してみれば、死ぬための行為ではなかったのではないかと、私のただの予想でしかないが、私はそのように見えた。

私も常日頃から希死念慮を抱きながら生きているが、死ぬ目的ではない自傷行為やオーバードーズで死んでしまうのは怖いという感情もある。
逆に自傷行為では死なないという前提があっても、過度な自傷行為やオーバードーズによって今後の人生に悪影響を及ぼすことを鑑みても不安である。


繰り返すが、自傷行為は悪ではない。


しかし、もう少し、自分に優しく出来る対処があれば、みんなもっと救われるのにな、と、一人の若者は願っている。


参考:「自傷・自殺する子どもたち」松本俊彦著

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