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「社会はそういうものだから」という理論の強さ

「客先に社内の人の名前を出す時は呼び捨てでいい」と言ったら、社内で社長を呼び捨てにした新人がいるという話で笑っている人がいたので、「そもそも客先に社内の人の名前を出す時、呼び捨てにするのも意味わからないですけどね」と言ったら「いやいや、それは社会では常識だから」と返された。「何のためにそうしてるんですか?」と聞いても「それが当たり前だから」としか返ってこなかった。この時点で会話する気が失せてしまった。

調べたわけではないが、身内を下げることによって先方に敬意を示すためだと思う。でも、社内のなんとかさんですね、と言われて不快に感じる人がいたらそっちの方がよほど病んでいる。このようなビジネスへりくだりは社会で摩擦を起こさずやり抜けるために利用してはいるが、これを人間的に正しいと思うことは無い。

人間がルールを規定するが、どこかのタイミングでルールに規定される人間が出てくる。そのような人はルールを否定されると自分が否定されたように感じるらしく、必死に反論するが大体は「みんなそうやってる」とか、「じゃあ社会を変えたらいいんじゃない」とかだ。確かに何でだろう、と問いが始まらず、ルールが絶対なのでそれ以上の理論を持ち合わせていない。

適当に思ったことを言ったつもりだったがその人からしたら私は信仰を否定する異端者なのだろう。そのような人には不用意に意見しないよう気をつけることにした。


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