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人の心に刻まれる場

葛西臨海水族園のこと

建築に関わる人であれば、当然のように名建築だと思っている葛西臨海水族園。最初は、まさかと思っていたけれど、本当に危機にあることを知り、正直驚いている。

長年にわたって、設計の授業を受け持っていた母校(日本大学理工学部 海洋建築工学科)では、学科の特徴もあって「水族館」の設計課題を3年生に課している。これは、自分が学生の頃からずっと続いている伝統課題である。

自分が講師として教える側になって、あらためて水族館について学んでいくと、この水族館がいかに良い意味で特殊かということが浮かび上がってくる。

観覧者としてここを訪れると、アプローチを越えたところで、海へと繋がる水盤に浮かび上がる繊細なガラスのエントランスが水盤と共に目に入り、ヨットの帆に見立てられた構造物とその向こうに広がる東京湾の光景が渾然一体となって刻み込まれる。この体験は、すべての人が忘れがたいと感じるのではないだろうか。先日再訪したときも、水族館の入り口に向かっていた人がかなりの割合で「すごい」と声を上げ、立ち止まって写真を撮っている姿が見受けられた(※写真のガラスドームはメンテナンス工事中)。

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水族館の館内は基本的に濃いグレーでブラックアウトされている。これは、壁が明るいと水槽の中が見えにくくなってしまうため。だから、観覧室空間はあまり印象に残らないかも知れない。しかし、それが水生生物と向き合う空間としては大切なこと。それでも葛西では、空間の大きさやレベルの変化などが水槽と呼応するように移り変わっていく。水槽のボリュームと観覧者の動線で多様な体験を作り上げているのだ。ゆえに、すべてがバリアフリーと言うわけではないが、エレベーターで移動してもそれぞれのポイントでその空間性を感じることができる。

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この観覧室空間を支えるためには、かなりのボリュームになる<裏まわり>が必要となる。水槽のメンテナンス、エサなどの準備、稚魚の育成、研究などなど。そのため、大学で課題を出すときは学生達に表と裏のエリアを平面図上で色分けさせたりしながら理解を深めていく(もちろん葛西を訪れることは、授業に組み込まれた宿題としていた)。

かなりのボリュームになる裏まわりは、どうしても建築を<大きなもの>にしてしまう。それをランドスケープと一体的に設計することで、公園に突出するように感じさせないようになっていることに、調べていくと驚かされることになる。その上に、あのアプローチとエントランスが成立しているのだ。

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観覧室を巡り、外のプールを巡り、また観覧室に戻り…と動線を進んでいった最後に、上部のキャットウォークに登ると、視線が海の水平線へと一気に解放される。これは、本来は裏まわりである水槽の裏側(キーパーエリア)の上部を抜いてしまうという、ある意味大胆な判断によって実現している体験なのだ。同時に、水族館がどのように維持されているのか、どのように人の手で支えられているのかを感じ取れる部分にもなっている。アプローチで海に出会い、最後の東京湾の水槽コーナーとリンクして、また実際の海に再会するのだ。

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水族館にはいくつかのタイプがある。学習型、体験型、エンターテイメント型。ショープールを持つ、巨大水槽があるという水族館は「エンターテイメント型」に分類されるが、そこには物量やアトラクションで勝負する競争の原理がはたらく。その視点で葛西をみていくと、そこには緻密に組まれた水生生物との距離感が浮かび上がってくる。導かれるままに世界の海を旅したのちに、身近な海へと目を向ける。そこにあるのは決して競争ではなく、静かに伝わってくる<共存>への視線だ。

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水族館の設計には制約が多い。されど、ここでは「建築でできること」がその制約を超えて豊かな体験に繋がっている。ディテールの美しさなどは谷口氏の建築すべてに共通することだが、一つの水族館建築としてここまでランドスケープと一体となって昇華された建築が「建て替え」によって安易に超えられるとは到底思えない。

ちょうど先日再訪した折りには30周年を祝うバナーが掲げられていた。歩いているたくさんの人々は、まさかこの場が危機にさらされていることなど思いもしないだろう。人々に愛されている場である事を改めて感じた。建築は30年の時を経て、より緑のなかに馴染み、すっくと立ち上がるガラスドームが毅然とその存在を示している。

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経年やバリアフリーに対応したメンテナンスをし、必要であれば(願わくば谷口氏の手で)増築をして大水槽をつくるなどで、この名建築と東京湾際につくりあげられた希有な光景を守ってほしい。それはきっと、これから先もたくさんの人の心に刻まれる場となっていくことだろう。

廣部剛司

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