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対談Q水野良樹×Tehu 第3回:みんなが今まで体験したことない「楽しい」を作るには。


何だろうな、幸福って。

水野:ちょっと話が飛びますけど、『キングダム』ってあるじゃないですか。

Tehu:はい、大好きです。

水野:僕も大好きです。ちょっとネタバレするかもしれないけど、始皇帝の話なんですね。始皇帝の政というひとが、政権を奪っていた呂不韋という丞相と向き合う場面があるんです。

Tehu:出た、40巻。(正しくは39巻)

水野:これ物語の大事なところで、これからの国の在り方、政治の在り方について語り合うんです。始皇帝はやがて統一するひとなんですね。で、さっきの神様の話じゃないけど、皇帝って基本的に神事からスタートして、それを告げる人間として朝廷とかができていくパターンが多いと思うんですよ。要は、そういう神的なものからある程度、権限を与えられて、現世でやっているって形。

Tehu:神の子ですね。

水野:それが今の言い方でいうと独裁者的になって、そのひとが権限を持つ。だけど始皇帝の政はそうじゃないと。「これからは皇帝や誰かが力を持つんじゃなくて、民を束ねるのは法だ」と。なるほど、概念か、ルールか。そして今、ほとんどの国家においては基本それが踏襲されている。法がある程度、民衆を抑えている。秩序を作っている。その感じがヒントになるなと思っていて。

Tehu:そうですね、たしかに。

水野:でも法も結構、限界があって。

Tehu:まさに今、限界を迎えていますよね。ヨーロッパでは死刑制度がほぼ全廃されましたし。

水野:あぁー。

Tehu:秦がおそらく最初に刑法を実用化したところで、そういうものが今まで機能していました。ただ、人類は発達したのでしょうね。人権という概念がやってきて。仮に法があっても、ひとがひとにやっていいこと、いけないことがあるよねって、限界がきている。さらに今、「無敵のひと」ってワードがちょっと流行っていますけど。そういうところまでくると、まさに法の限界。

水野:法では抑えきれない。そうなると「コト」なんですよ。

Tehu:それは何なんだっていう。

水野:「何なんだ」ってところに向き合うしかない。法は、法を形作る前提となる正義がないといけないから、そこで挫けるというか。「その正義、どうでもいいや」って思うひとは、そこから抜け出してきちゃうから「無敵のひと」が生まれちゃう。うーん、難しいな。

Tehu:法みたいに、基本的にマイナスのものを使ってひとの行動を管理するのは無理、という話になってきたとき、何かプラスのもので人々を突き動かしていくことが必要で。でも、何だろうな、幸福って。みんなが共有できる幸福なんて存在するのかな。

水野:生存でさえも共有できないからね。ある一時点で、「生存したくない」って思っちゃうひともいるわけだから。いやー、難しいねー…。たしかに人間の能力を超えているのかもね。


「狭場」が排除してしまうひとを減らしていく努力。

Tehu:今の話の流れって、ちょっと俯瞰すると、「どうすれば世界平和になるか」みたいなことを考えているのに近いじゃないですか。もう少し落としてもいいのかもしれないですね。

水野:落とす。

Tehu:みんなが今まで体験したことない「楽しい」を作るには、どうしたらいいか。そのとき制約条件として、誰かを排除するようなことはしない。明確に差別するとかはもちろんNGだけど、無意識に誰かがそこに参加できないような内輪の笑いみたいなものとかもね。そういうものは作らないルールを設けたとき、どんなエンタメを作れるのか。どうなんだろうなぁ。いろいろできそうなパターンは思いつくんですけど。

水野:うーん。

Tehu:たとえば、そういうのをやっているアート集団がいた気がしますけど、公園の真ん中にちっちゃいみかん箱とマイクだけ置いて。「どうぞみなさんご自由に」ってやったとき、誰がそこにのぼって喋り出すのかとか。喋り出したことに対して、みんながどう反応するのかを見るとか。現代アートプロジェクトになっちゃう。

水野:実際にやることは現代アートみたいなものなのかもしれないね。

Tehu:もしかしたら、そういうのをおもしろがれるひとを増やすのも、大事になってくるのかなとか。

水野:難しいなぁ。サカナクションさんのライブを観に行ったときに、すごいなぁと思ったんだけど、彼らが中心にやるんじゃなくて、音楽が中心にあってライブが構成されていて、まさに神事のように見えたの。みんな同じリズムでワーッと盛り上がっていて。これは可能性として、素晴らしいものを見せてもらったなぁって。ただ、さらに客観的に見ると、そのリズムに乗れないひとがいるなって。

Tehu:うん。

水野:同期するリズムってすごく興奮をもたらすと思っていて。そのリズムに乗れたひとは、まさに天気と同じだと思うけど、そこで繋がることができて一緒に分け隔てなくなる。でも、リズムに乗れないひとがその構成のなかに入るためにはどうしたらいいんだろう。ないな、と思って。ここが音楽の限界か、みたいな。

Tehu:音楽という媒体だけを用いては、限界かもしれないですよね。でもサカナクションさんって結構、お笑いっぽいことやっていらっしゃいますよね。ドリフを彷彿とさせるような映像作品とかたくさん作られていて。僕はむしろ、YouTubeに上がっているその動画を観て、「おもしろいなこのひとたち」ってところから音楽を聴き始めたところもあって。自分たちの「狭場」が排除してしまうひとを減らしていく努力も大事なんだろうなって。あとこの問い、実は「今」ってワードも重要なんですよね。

水野:うん。

Tehu:「広場」でできるエンタメは、めっちゃ大変だけど考えると無限に可能性はある。だけど「今」何ができるかってところに戻ってくるんだろうなって。水野さんはどうですか? 去年、大きめのライブもやられたじゃないですか。これからそういうひとを集めるエンタメって?

水野:難しいんだよ。普通になっちゃいますね。禅問答みたいなんだけど、既存のものを壊していこう的なことって、既存のものがないとできないんですよね。だから結局、既存のものを前提に考えているっていうパラドックスに入っていくのは、よくある話で。


音楽はヤワじゃない。

Tehu:ただ、今の音楽に未来がないかというとそうでもなくて。既存のものを壊すとなったとき、水野さんとしては多分、「音楽は壊さない」っていうのが前提にあるはずだと思っていて。その周辺の環境を変えることによって新しいエンタメを出す。だけど世の中の動きって、音楽も含めてどう破壊して変えるかって話になっている。その結果のひとつが、いわゆるTikTok的なもの。たとえば「め組のひと」の15秒間だけ切り取って、みんな振り付けで踊るとか。それって、それまでの音楽の在り方や理自体を破壊しにかかっている。

水野:あぁー。

Tehu:その結果、新しいカルチャーが生まれているから、それはそれでおもしろいと思うんだけど。僕らがこれまで若い頃に心を動かされてきた音楽というものを残しながら、新しいフォームのことをやるのは、難しい問いになんだろうなって。日本のポップスの様式を残さなきゃいけないってわけでもないんだけど。でもなんか、音楽が音楽たる所以、みたいなものをちゃんと残しながら新しいエンタメを作るって、突然難しくなる。

水野:なるほどね。難しい。

Tehu:実は僕も今、あるレコード会社さんのお手伝いをちょっとだけしていて。新しいアイデアを生み出す相談に乗るだけなんですけど。出てくる新しい発想ってどうしても、何かの形で音楽を壊しているなって後から思うんですよ。

水野:あー、そう。

Tehu:たとえば、「音楽の売り方を変えましょう」ってなったとき。音楽っていろんな楽器を別々に録って、ミックスダウンして、最後の音源ができるじゃないですか。それぞれの楽器をどんな音量配分でやるかとか、エンジニアさん、プロデューサーさんののものすごい努力がそこに入っている。でもアイデアを出そうとすると、「これ、ドラムスだけバラ売りできないか」みたいな発想になったりするんですよね。

水野:それは多分、明確に答えがあって。音楽は壊してないんですよ。

Tehu:あ、そうなんですか!

水野:多分、作ったひとの完成されたイメージを壊しているんですよ。「め組のひと」もそうだし。「こういうふうに伝わってほしい」って完成品、というか、そのひとやチームのなかに“完璧”があるわけじゃないですか。「それを聴いてもらわないと音楽じゃないんだ」っていう、極端に言えば、作り手の意思みたいなものを尊重しすぎる文化背景があったから。

Tehu:うん、うん。

水野:でも、そうじゃなくて。存在しない虚像を一緒に共有することが、音楽の素晴らしさだと思うんですよ。たとえば、Tehuさん「ありがとう」って曲を知っていますよね。

Tehu:知ってますよ!

水野:「ありがとう」って曲を、頭で思い浮かべてもらっていいですか? 多分、僕が思い浮かべたメロディーと同じだと思うんですよ。これ今、メロディーを口にも出していないけれど、共有しているんですよ。何かしらのイメージを。

Tehu:うんうんうん。

水野:これが見ず知らずのひとと起きているわけです。それが音楽のおもしろいところというか、音楽の実質だと思うんですよ。「ふるさと」の<兎追いしかの山>とか。100年前にできた曲だけど、今それをイメージできるじゃないですか。

Tehu:しかも今、メロディーつけずに歌詞をおっしゃったけど、それだけで僕の頭のなかはメロディーがついてましたからね。

水野:そう。これが音楽のもっとも本質的な部分で。そうすると、そのパラデーターを売ろうが、何かひとつ共有できるのであれば、それは音楽としての役割を果たしているのではないかと僕は思ってしまう。虚像を共有できてしまうことのすごさ。だから神事に近いんだけど。

Tehu:そう言われるとたしかに、“完璧な音楽”みたいな考え方って、レコードが生まれたぐらいからの話で。その前ってそもそも作曲家は「不明」しか書いてなくて。それをどう実際の音に起こすかって、指揮者次第だったみたいな時代があるわけじゃないですか。すると、今までの枠を外したぐらいで崩れるほど、音楽はヤワじゃないというか。それは納得感がありますね。

水野:うんうん。

Tehu:ってなると、次の音楽のスタイルって何だろうってところになる。僕、水野さんからいつだったか伺った話で、今でも覚えている言葉があって。「僕たちはCDが売れる最後の世代だ」っておっしゃったんですよ。自分がある世代の最後であると認識しているって、とても重いなって思ったんですけど。

水野:はいはいはい。

Tehu:たしかに、CDを聴いて、「いいな」と思ってライブに行って、それでアーティストにお金もまわるってビジネスモデルはもう賞味期限切れなんだろうなと。音楽が商業的になる前の元の在り方って、どちらかというとバックグラウンドミュージックに近かったり。あと、音楽とは関係のない人々が結束しなきゃいけない重要な場で流れるものであったり。国歌とかそうですよね。

水野:そうですね。

Tehu:だから、現状の商業的音楽ってところからなんとか仕事するんじゃなくて。一旦立ち戻った上で、そこから新しいものを作っていくのは大事かなと思いました。僕、アメリカの政治をウォッチするのが好きで。

水野:そうなんだ。

Tehu:よくも悪くも劇場型じゃないですか。みんな政治に熱くなれる国なんですよ。とくにアメリカの民主党のほうがその気は強いのかなと思うんですけど。まず政治集会をアリーナでやるんですよね。そこらへんのアーティストの全国ツアーよりも数倍すごいセットを組み立てて、下からオバマが上がってくるみたいな。

水野:演出がすごい。

Tehu:そこに絶対、生バンドがいるんですよ。オバマさんが素晴らしい演説を終えて、みんなが立ち上がって拍手するときには、アップテンポな、「あ、ここから世界が変わるんだな」ってことを、たしかにその曲で感じる音楽を奏でてくれる。その曲の名前とか知らないんですけどね。そういう音楽の在り方に一度、立ち戻って。

水野:なるほどね! それは諸刃の剣だなぁ。すごいなぁ。でもそうかもねぇ。

Tehu:人々によって演奏されてきた音楽みたいなものを考えると、意外とそういうところなのかなぁ。

次回の更新は9月29日(木)になります。


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