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STEINS;GATE 0 (シュタゲゼロ)は誰も観測できない可能性世界線でしかないのか?

僕は STEINS;GATE (シュタインズ・ゲート、通称シュタゲ)の原作ゲーム版の第1作(無印)と続編のゼロをプレイしている。物語に深く感動し、好き過ぎてアニメ版の視聴を躊躇していたぐらいにはまった作品である。
とは言え、やはり一度は見ておこうと、遅ればせながら先日アニメ版を鑑賞した。
無印に続いて、ゼロを見初めたとき、漠然と「無印とゼロの間ですっきりと物語が繋がらないぞ」という違和感を感じた。
実は、ゲーム版のゼロをプレーしたときにも同じことを感じていた。

「ゼロの世界線が無印のβ世界線の続きだとすると、それを観測しているのは、いったい誰なのだろう?」

ゼロが無印の続きの物語であるのならば、岡部はオペレーション・スクルドを実行せず、2010年の夏以降、精神を病みながら日々を過ごしたということになる。
だが、無印では岡部は2010年の8月21日に、オペレーション・スクルドを完遂している。
この矛盾はどうやって理解すればよいのだろう?
答えはおそらく決まっていて、
「ゼロの物語は、岡部がシュタインズ・ゲート世界線に脱出する前のβ世界の延長線上にある可能性世界線の物語であり、岡部が実際に見た世界ではない」
ということなのだと思っている。
だた、それを「続編」と呼ぶのは少々抵抗がある。
何の説明もなければ、やはり続編であるゼロは、無印から続く物語であるべきだと思ってしまう。最後に「実は可能性世界線の物語でした」では、夢オチに等しい。
そこで、どうにかゼロの物語を可能性世界線ではなく、岡部がシュタインズ・ゲート世界線にたどり着くまでに体感した現実として解釈できないだろうかといろいろと考えてみた。
その結果、もしかしたら、「岡部が紅莉栖を助ける為に刺された」というあの出来事は、岡部自身では観測できないのではない出来事だったのではないかという妙な結論にたどり着いた。そして、その解釈ならば無印もゼロも一続きの岡部が辿った軌跡の物語として成立すると思えるのだ。
この記事では、どうしてそのような考えに至ったのかということを、順に書き記していきたい。

この記事においては、ゲーム版とアニメ版の無印とゼロの情報が全てであることを前提とし、それ以外の派生作品(劇場版アニメなど)や出版物は考慮しないものとする。



アトラクタフィールド理論とは

まずは共通認識として、アトラクタフィールド理論を僕がどう解釈しているかを書いておく。
劇中では、アトラクタフィールド理論は、2036年時点で証明が完了している世界の構造を解明した理論として鈴羽より説明される。
物語のテクニカルなメタ的な視点に立てば、タイムマシーンものにつきものの「タイムパラドックス」の、シュタゲにおける発生ルールと回避条件を示したものであると言える。

世界線とは

ゲームのTipsではアトラクタフィールド複数の世界線の集まりと説明されている。
では、まず世界線とは何かと言うと、過去から未来までの決定した出来事の集まりであると説明されている。
では、その決定された出来事をタイムマシンを使って改変を行ったら何が起きるのかを表す理論がアトラクタフィールド理論ということになる。

世界は収束する

鈴羽はアトラクタフィールド理論を

多世界解釈とコペンハーゲン解釈のいいとこ取り

STEINS;GATE / 阿万音鈴羽

と説明している。
多世界解釈とコペンハーゲン解釈は、アンチ量子力学の立場からの思考実験「シュレディンガーの猫」の解決策として有名な2つの解釈である。
量子力学における両解釈の定義はさておき、シュタゲの世界では過去を改変した場合、改変した過去にしたがって未来が再構築されることが基本ルールだ。これがシュタゲにおけるコペンハーゲン解釈となる。
一方、多世界解釈というのは、過去を改変すると、その瞬間「変える前の未来」と「変えたあとの未来」に分岐するという解釈で、劇中ではこの説は否定されている。つまり世界は常に一つであり、平行世界は存在しないということになる。(鈴羽は「証明された」と言っているが、劇中では岡部の視点以外でこの理論が成り立つのかは不明で、紅莉栖は多世界解釈の可能性に言及している)
ただし、「いいとこ取り」というぐらいなので、コペンハーゲン解釈に完全に則っているわけではない。
どういうことかというと、世界は無秩序に再構築されるわけではない、世界線の範囲は予め決まっており、その範囲に収まるように世界が再構築されると決まっている。この「範囲」がアトラクタフィールドである。
一言で言えば、過去は小さくは変えられるが、大きくは変えられないということになる。
タイムマシンでしばしば例として上げられる「親殺しのパラドックス」(子供が過去に戻って親を殺したらどうなるのか?)に当てはめると、親に怪我ぐらいは負わせられるかもしれないが、殺すことはできないということになるのだろうか?
アトラクタフィールド理論は、タイムパラドックスを起こさないための安全弁であるとも言える。
ただし、このアトラクタフィールドには例外がある。
鈴羽は「世界線変動率(ダイバージェンス)が大きく変わる分岐点は、2010年」と語った。その理由は、岡部たちが世界初のタイムマシンである電話レンジ(仮)を開発した年だからである。
世界が大きく変わる事件があるとアトラクタフィールドが事件が起きた世界と起きなかった世界に分岐する。分岐したアトラクタフィールドも長い年月をかけて収束するものの、ミクロの視点では干渉することはないらしい。
岡部は2010年がアトラクタフィールドの分岐点であることを利用して、α世界線でもない、β世界線でもない、シュタインズゲート世界線を目指したのである。

「世界の再構築」とは

ところで、世界はどのように再構築されるのだろうか?
劇中では明確な説明は無いようだが、その表現を見る限り「世界5分前仮説」のようなものと理解している。
世界5分前仮説」とは「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という哲学の仮説である。
要約すると、
「人は10分前の記憶を持っているし、遺跡を掘れば古代の遺物が発掘される。だが、これだけでは『過去があった』という証拠にはならない。なぜなら、世界は5分前に突然誕生し、その時に10分前の記憶を持つ人間や、過去の時代にあったように見える遺跡が作られたからかもしれない」
という説である。
おそらく、シュタゲの世界では、過去改変が行われた瞬間にその改変に沿った形で過去から現在までの世界線が一度に再構築される。過去に遡ってガラスを割ったのであれば、「割れたガラス」が突然構築されるということである。(「ガラスが割れる」のではなく、「割れたガラスが作られる」のだ。)

リーディング・シュタイナーとは

リーディング・シュタイナーは劇中では岡部だけが持つ特別な力として描かれている。これについても僕の理解を明らかにしておく。
例えば、岡部が10分前の自分にDメールを送ってラボの窓ガラスを割らせたとする。
Dメールを送った瞬間に世界は再構築され、ラボメンの記憶もまた「10分前に」岡部が窓ガラスを割ったという記憶に置き換えられる。
しかし、岡部の記憶だけは再構築されず、Dメールを送った途端、割れた窓ガラスを発見することになる。
そして、岡部には自分が窓ガラスを割った記憶はない。
図に表すと下のようになる。

リーディングシュタイナーによる記憶の不一致

この世界線を越えて記憶を維持する力をリーディング・シュタイナーと呼ぶ。
世界線の変化を観測することができる能力ではあるが、再構築された箇所の記憶が欠落しているため、見方によっては世界の再構築のバグであるとも言える。
なお、このリーディング・シュタイナーだが、フェイリスや、るか、まゆりもわずかながら再構築前の記憶を保持している描写があり、人間誰しもが少しは持っている能力であるとも言える。
もしかしたら、世界が再構築されるとき人の記憶は上書き処理のようなことが行われ、一部消しきれなかった記憶が残っているということなのかもしれない。

リーディング・シュタイナーが発動する条件

次に、リーディング・シュタイナーが発動する条件を考えてみる。Dメールによって過去が変わったときに発動するのは当然だが、それ以外のパターンが3つほどある。

  1. 最初のDメール
    岡部が送った「牧瀬紅莉栖が男に刺されたみたいだ」という最初のDメールだが、この文章によって過去がどう変わったのかは明らかになっていない。

  2. SERNのデータベースから最初のメールを削除したとき
    α世界線で、岡部はIBN5100を使用してSERNのデータベースに残されていた最初のDメールを削除することで、β世界線へ帰還する。
    この時、過去の改変をしていないにも関わらず、リーディング・シュタイナーが発動している。
    なお、ゼロでは、「かがりの記憶を書き戻した時」など、他にも岡部のアクションによってリーディング・シュタイナーが発動するパターンがある。

  3. 岡部以外のアクション
    ゼロでは岡部が何も行っていないのに突然リーディング・シュタイナーが発動することがある。
    これに関しては劇中では何も明らかにならないので、岡部の推測である、「第3者がそのタイミングでタイムマシンを使って過去改変を行った」という説をそのまま採用する。

改めて考えると、リーディング・シュタイナーの発動条件をきちんと定義するには、「最初のDメールでなぜ世界線が変わったのか」と「SERNに残されたメールを消すことで、なぜβ世界線に戻ることができたのか」を説明できなければならないようである。
よって、この二つを矛盾なく説明できる解釈を考えていきたい。

なお、岡部自身によるタイムリープやタイムマシンでの移動ではリーディング・シュタイナーは発動しない。これは岡部自身(あるいはその意識)が過去に移るため、世界の再構築に巻き込まれないからだと思われる

未来の岡部はDメールを送っているのか?

リーディング・シュタイナーの発動条件を考える前に、一つの思考実験を行ってみたい。
劇中で、α世界線からβ世界線に戻った岡部は、未来の自分からDメールを受け取ることになる。
このメールは「誰」が送ったメールなのだろうか?
メールの送り主は未来の岡部となっているが、実際の岡部はシュタインズ・ゲート世界線に到達してしまうので、β世界線の未来にはたどり着けない。よって、過去へメールを送ることはできないはずである。タイムパラドックスが起きている。
この事象はどう理解すればよいのだろうか?

いろいろ異論はあると思うが、僕はあのメールは「誰も送っていない」と考えている。
理由は簡単だ。
世界が再構築されたとき、過去の記憶も再構築され、過去に起こった事象の痕跡も再現されなら、未来はどうなのだろうか?
おそらく、世界線は現在で途絶えているわけではなく、その先の未来に起こる事象まで確定していると考えられる。
ならば、未来が現在に影響を与えるのならば、その影響が現在に現れた状態で世界が再構築されると考えられる。
β世界線では、未来の岡部が過去の岡部にムービー付きのDメールを送ることは確定している。よって、その結果が現れるように現在が再構築されたのだ。
つまり、未来からのDメールは「未来から送信されたメール」ではなく、「現在の岡部の携帯の中に再構築されたメール」なのだ。
そうだとするなら、現在が変わることで、未来が変わり、その結果過去が変わったらどうなるのだろうか?
そう、シュタゲの世界にはタイムマシンがあるのである。未来でタイムマシンを手にした誰かが過去を変えてしまうかもしれないのだ。
この場合は、過去に遡って世界線が再構築され、リーディング・シュタイナーが発動し、現在が変わるはずである。
これが、「最初のDメール」と「SERNのデータベースのメールの削除」でリーディング・シュタイナーが発動する理由だと思われる。
振り返って、改めてリーディング・シュタイナーが発動する条件を考え直すと、単純な結論に帰結する。
過去を大きく変えたらリーディング・シュタイナーは発動する
ただし、過去を直接変えることは必須条件ではなく、未来を変えることで間接的に過去を変えてもよいのだ。

ここでは上記を結論として先に進むが、「未来が大きく変わるだけでリーディングシュタイナーが発動するのでは?」という考え方もあるかもしれない。(というか、劇中の描写では、こっちが正解っぽい)
ただ、個人的には釈然としないと思っている。
鈴羽は世界線をより糸に例えたが、僕は現在という一点の前後でその意味は変わる気がしている。過去方向はより糸の内、どれか一つだけが確定した世界線となる。タイムマシンがなければ、それは絶対に変わらない。
一方、未来方向は、無数の可能性世界線が対等に並んでいるのだと考えている。世界中の人々の行動で、そのうちどれか一つが実際の世界線となり、確定した過去になる。たとえいずれ収束するとしてもミクロのレベルでは未来は確定していない。言い換えれば、現在最も有効な可能性世界線というものがあるとしても、それは頻繁に変わっていく。その度にリーディングシュタイナーが発動していっては、きりがないのではないかと思える。
知らんけど…。

「未来の岡部のDメール」の思考実験の別解

ところで、上記の「未来の岡部から送られたDメール」の思考実験だが、もちろん別の考え方もある。
世界線は一つしか存在しないが、その世界線に現在は複数存在し、現在の岡部と未来の岡部は同時に存在している。未来の岡部はメールを送った瞬間、リーディング・シュタイナーと共にシュタインズゲート世界線へ移動するという考え方も成り立つ。
しかし、現在と岡部の未来が同時に存在するのなら、その中間の岡部も存在するはずである。未来の岡部がシュタインズゲート世界線へたどり着いた瞬間、「中間の岡部」はどうなってしまうのだろうか?
リーディング・シュタイナーが発動し、突如シュタインズゲート世界線へたどり着くのだろうか?
世界線上に過去から未来にかけて無数の岡部が存在し、リーディング・シュタイナーが発動する岡部と、発動せず次の瞬間に移る岡部が重なりあって存在しているのだろうか?
岡部の視点に立つと、リーディングシュタイナーは常に発動しており、かつ永遠に発動しない状態となってしまう。
この議論は、フェイリスが別のアプローチから行っている。

もしタイムマシンでフェイリスが1週間前にタイムトラベルしたとしたら、凶真やダルニャンの"現在"とフェイリスの"現在"は、1週間ズレちゃうニャ

STEINS;GATE / フェイリス ニャンニャン

劇中でフェイリスは世界線上に現在はいくつあるのかという命題を示した。これをどう考えるかによって、おそらくシュタゲそのものの解釈も変わってくると考える。
この記事では、いついかなるタイミングでも、現在は一つしかないということにしたい。
現在という一点を起点に過去は確定していて、未来は可能性世界線上にある。
この前提にしておかないと、リーディングシュタイナーの発動するタイミングが確定できないからだ。

では、「現在」は世界線の中のただ1点を表すという解釈を堅持するとして、それでDメールによる世界の改変は説明できるが、タイムリープはどうだろうか?
過去から未来へ移っていくただ1つの現在が岡部のタイムリープで過去に戻ってしまうのはあまりに傲慢ではないだろうか?
この疑問も劇中で、紅莉栖やまゆりが語っている。

そもそももし”リーディング・シュタイナー”が正しいなら、あらゆる人間の記憶があんたの主観にひきずられてることになる
そんなの、無理がありすぎる。もしそうだったら岡部は文字通り、神よ
でも、現実には神なんて、いない
世界は、あんたを中心に回っているわけじゃない

STEINS;GATE / 牧瀬紅莉栖

まゆしぃが1週間前に記憶をびゅーんって飛ばしても、オカリンはここにいるんだよね?
オカリンから見ると、意識が飛んでったまゆしぃはどうなっちゃてるのかなー?

STEINS;GATE / 椎名まゆり

これに関しては、物語が岡部の視点で描かれている以上、仕方がないと解釈するか、「岡部は神に等しい存在である」と考えるしかないと思っている。

結局、β世界線で何が起きたのか

さて、これまでの理屈でSTEINS;GATE(無印)を矛盾なく解釈できるか検証してみよう。
まずは岡部が元々いたβ世界線の出来事を整理する。

  • 2010年7月28日に紅莉栖は中鉢に刺されて死ぬ

  • 中鉢は紅莉栖の論文を持って亡命する

  • タイムマシンを巡って第3時世界大戦が起きる

  • 岡部とダルは将来タイムマシンを開発し、鈴羽を過去に送り込む

  • 2025年の岡部は2010年の自分自身にムービー付きのDメールを送る

次に岡部が迷い込んだα世界線

  • 2010年7月28日に紅莉栖は死なない

  • 中鉢が紅莉栖の論文を手にすることはない

  • 8月中旬にまゆりが死ぬ

  • 紅莉栖はSERNでタイムマシンを開発する

  • SERNはタイムマシンを使用し世界を支配し、ディストピアが到来する

  • 岡部とダルは将来タイムマシンを開発し、鈴羽を過去に送り込む

最初のDメールで、なぜ世界はβ世界線からα世界線に再構築されたのだろうか?
未来のSERNがエシュロンを使って、岡部の最初のDメールを見つけたことまでは劇中で語られている。
ここからは想像だが、β世界線のSERNはタイムマシンの開発に成功できないため、岡部のDメールを見たことで、同じようなものを作ったのではないだろうか。
加えて、中鉢論文の元ネタが紅莉栖であることに気づき、タイムマシン開発を成功させるために紅莉栖を生かす必要があると考えた。
そのため、SERN版のDメール的な何かで過去に干渉し、紅莉栖を生かしたのではないだろうか?
この結果、α世界線ではSERNの思惑通り紅莉栖の功績でタイムマシンが完成するのである。

では、次に、「SERNのデータベースのメールの削除」でなぜβ世界線に再構築されたのだろうか?
岡部が最初のDメールを送った直後にSERNがDメールを見つけたとすると、あとからSERNのデータベースからメールを削除しても結果は変わらない。
だが、結果としてDメールを削除することで元の世界線に戻った以上は、過去が変わったはずである。
となると、答えは一つだ、SERNがDメールを発見するのは岡部がエシュロンのメールを削除する2010年の8月よりも未来である。これによりSERNが過去への干渉を行なうこともなくなり、α世界線が存在しえなくなるのだ。
ところで、SERNはいつメールを発見するのだろうか? 全くわからないが、はるか何年も先の未来であってもおかしくはない。

これで矛盾なく説明できていると思う。

だが「ゼロ」だ

だが、STEINS;GATE 0 で、岡部がDメールを送る様子が描かれてしまった。(厳密にはメールを送るその瞬間は描かれていないが…)
これにより、メールを送った未来の岡部と受け取った過去の岡部の両方が共に存在することとなり、同一世界線上の複数の現在があることが確定してしまった。
これが冒頭に書いた、僕が感じた違和感の正体である。

2025年の岡部が過去に送るメールのムービーを撮影したあのシーンとそれを受け取った2010年の岡部のシーンを素直に解釈すれば、世界線は一つしか無いが、その中の現在は無数にかつ同時に存在し、過去から未来にかけて無数の岡部が存在すると解釈することができる。
未来の岡部が過去へメールを送った瞬間、リーディング・シュタイナーが発動し、未来のシュタインズゲート世界線に到達するのであろう。
だが、「未来の岡部のDメール」の思考実験を思い出してほしい。その時、同時に2010年の岡部もシュタインズゲート世界線に到達するはずである。では、その中間、例えば2020年の岡部はどうなってしまうのだろうか?
世界線の上で人の存在はあいまいで雲のようなものであり、観測しない限りは存在するのかどうか確定できないということだろうか?
量子力学の勝利と考えればよいのだろうか?

Gott würfelt nicht
神は賽を振らない

Albert Einstein

しかしながら、僕はどうしても世界線の中の現在を一つにすることに拘りたい。STEINS;GATE の世界はどんな意味においても多世界解釈の余地の無いコペンハーゲン解釈であってほしいと思っている。
世界が多世界解釈であるのならば、岡部と紅莉栖の別れの切なさが消え失せてしまう。(世界はコペンハーゲン解釈であると確信しつつ、多世界解釈の可能性もあると自分に言い聞かせ、岡部をもとの世界線に送り返すところがシュタゲの物語の真骨頂。「実は世界は多世界解釈でしたテヘペロ」は、僕としてはどうしても認めらない。)
なので、もう少し世界を観測する視点、すなわち現在は一つであるという解釈にしがみついてみたい。

それでも多世界解釈にしたくない

では、この矛盾を解消する解釈を考えてみよう。

  • ゼロはIFの物語

ゲームのSTEINS;GATEは、フォントリガーによってトゥルーエンド以外のルートも確認することができる。
これは、もし岡部がトゥルーエンドに至らない選択をしたら場合、世界はどうなっていたかのIFの物語であると考えられる。
となると、ゼロはまゆりがビンタをしなかった世界の物語であるという考え方も可能だろう。
これは論理的には矛盾がないが、物語的にはかなり不自然だ。
まゆりは結局、ビンタをしに過去に戻ったわけだが、それで世界は元に戻らなかった。これでは未完の物語となってしまう。

  • ゼロは可能性世界線の物語

次に思い浮かぶのは、ゼロの物語は「β世界線の延長線上で想定される可能性未来の物語である」と捉えることである。
2010年8月以降のβ世界線はあくまでも可能性世界線で、実際に起きるわけではない。「その世界線の先を神の視点で覗いてみたらこうなっていた」というのがゼロであるという解釈である。
冒頭でも書いたが、製作者の意図はおそらくこれなんだろうなと思っている。実際、話もきれいに収まる。
だが、可能性世界線説をとらずに無印とゼロを解釈するのがこの記事の目的なので、この説は排除する。

  • もう一つの可能性

もう少し別の可能性を探ってみる。
前述の通り、リーディング・シュタイナーが発動するタイミングに矛盾があり、2010年に岡部がシュタインズゲート世界線にたどり着くと結論付けてしまうと、ゼロの物語は可能性世界線となってしまう。
そうであるなら、逆に、2025年に岡部がシュタインズゲート世界線にたどり着いたと考えると、どうなるのだろうか?
その場合、岡部がβ世界線に帰還後、紅莉栖の救出を目指したオペレーション・スクルドは、シュタインズゲート世界線上で再構築された過去と解釈できる。
ゼロを可能性世界線ではなく、岡部が実際に観測した現実であるとするならば、この結論に帰結する。

要はゼロ全体を起きるかもしれない未来と取るか、オペレーション・スクルドを起きたかもしれない過去と取るかの究極の二択だ。
ゼロ全体を可能性世界線とごまかす考えがあるのであれば、同様にオペレーションス・クルドを再構築された過去とみなす考え方もあってもよいのではないか?
前置きが長くなってしまったが、これがこの記事の本題である。

現実の世界線 - ゼロの物語 -

改めて、オペレーション・スクルドを起きたかもしれない過去と考えるどういうことなのか、詳しく説明していく。
まず、岡部の認識できる出来事を現実とするならば、現実はゼロの物語をそのまま肯定する。
1度目のタイムトラベルの後、紅莉栖の救出を諦めた岡部は、鈴羽や真帆とともに1年を過ごす。その後、Amadeusを消し、鈴羽とまゆりを2010年の夏に送り出す。
そして、その14年後の2025年8月21日、消えた二人を追ってタイムマシンで過去へ飛ぶ。
二人を救出できたのか、岡部は戻ってこられたのかは定かではない。
だが、Dメールを託されたルカ子がメールを送った瞬間、世界は再構築されて、岡部は15年ぶりに紅莉栖と再会するのである。(岡部が過去へ飛んでしまった以上、その後のルカ子なんてものはないのではないかという気もするが、そうなるともうどうやってもシュタインズゲート世界線にたどり着けないので、ここは岡部がタイムマシンで飛び立つ直前にメールを送ったとでも解釈しておく)
結果、岡部は2010年から2025年までのβ世界線の記憶を持ちながら、2025年にシュタインズゲート世界線に到達する。
岡部は紅莉栖とまゆりを救えたことを確認するが、自分がどうやってオペレーション・スクルドを成し遂げたかは知らないはずである。
まさか、自分で腹を切って紅莉栖を救ったとは想像できないだろうから、突然できた腹の古傷に驚くのだろう。

再構築された過去 - オペレーション・スクルド -

一方、オペレーション・スクルドは再構築された過去と考える。
まゆりやダル、それに紅莉栖は、2025年に「2010年にシュタインズゲート世界線たどり着いたかのような記憶」を持って再構築される。
紅莉栖の視点に立てば、2010年の夏に岡部に命を救われ、岡部の退院後、秋葉原で再開し、ラボメンとなる。きっと比屋定さんもそこに合流するのだろう。
まゆりやダルの視点は、どうなっているのだろうか?
もしかしたら、未来の鈴羽からダルに電話がかかってきた記憶もなくなり、ただ単にラジ館の屋上に血まみれの岡部が倒れていた記憶となっているのかもしれない。
いずれにしろ、その後は何事もなく平和に過ごしたかというものになるのだろう。
そして、2025年に紅莉栖たちはβ世界線を旅してシュタインズゲート世界線を可能性世界線から現実の世界線に変えた岡部と再開するのだが、そのことには誰も気が付かないはずである。
いや、紅莉栖なら岡部の微妙な変化に気づき、全てを察するかもしれないが…。

このように、岡部が中鉢に刺されながら紅莉栖を救ったオペレーション・スクルドを再構築された過去と考えてしまえば、ゼロを含めても、概ね現実の世界線は一つとして解釈することができる。
ただ、それだと物語の意味は少し変わってしまう。
ゼロの出来事を可能性世界線と考えれば、岡部は2010年8月以降、紅莉栖やまゆりと共に平和に過ごすことができると想像できる。
だが現実と捉えてしまうと、岡部がシュタインズゲート世界線にたどり着くのは2025年であり、それまでの15年間、紅莉栖やまゆりと平和に過ごした記憶は、岡部から消えてしまう。ほかのメンバーにある15年間の記憶が、岡部だけはゼロの物語の記憶とすりかわってしまうのだ。
「紅莉栖もまゆりも両方救う」という岡部の希望は適ったが、後者では少し寂しすぎるエンディングではないだろうか。
(まあ、シュタインズゲート世界線で待っているのは、紅莉栖と比屋定さんなので、タイムリープで2010年のあの日に戻ることもできそうだけどね)

結局、オペレーション・スクルドを目撃したのは誰?

この考えに立つと、オペレーション・スクルドを目撃したのは、実は紅莉栖ただ一人ということになる。(中鉢も見てるか…)
岡部自身にその記憶にはなく、まゆりはその存在すら知らない。ビンタをした記憶もないはずだ。
β世界線で岡部が2度過去へタイムトラベルを行ったことは誰も観測していない。
そうだとするなら、この説にはもう一つの副産物が生まれてくる。

シュタゲはアトラクタフィールド理論という魔法の杖があるおかげで、一見矛盾に思える出来事もたいていは合理的に説明できる。
それでも、どうしても腑に落ちない描画が一つある。
岡部は紅莉栖を救うため、2010年8月に2度タイムトラベルを行っている。だが、2010年の7月側では、岡部は最初の岡部と未来の岡部の2人しかいない。2度タイムトラベルを行っているのであれば、岡部は3人いるはずである。タイムマシンだって2台あるはずだ。
鈴羽は「過去に飛べば微妙に違う世界線にたどり着くから、以前過去に飛んだ自分には出会わない」と語っているが、これは多世界解釈そのもので、コペンハーゲン解釈が基本であるアトラクタフィールド理論と整合性が取れていないように思える。
仮に、岡部が未来から過去に2回飛ぶとする。そして2回ともまゆりに見送られ、過去のまゆりに挨拶して帰ってくるとする。微妙に違う世界線にたどり着く理論だと、まゆりの視点では「2回過去に見送った記憶はあるものの、未来からの挨拶は1回しかされていない」ということになる。世界の再構築に矛盾が生じてしまう。
あるいは「1度しか見送っていない」ように世界が再構築されるのかもしれないが、そうだとすると、何度も過去に飛んだ鈴羽の行動とつじつまが合わない。特に1975年に飛ぶ予定の自分がまだ存命している可能性のある2010年にタイムトラベルした鈴羽の行動が、後の自分の行動を打ち消すボーンヘッドとなってしまう。
アトラクタフィールド理論からは、過去、あるいは現在の行動で未来の世界線が変化するのだとしても、単に過去に行っただけで到着時点以前の過去が変化するようには読み取れない。タイムマシンは出発時点の世界線を過去に遡る機械であって、世界線を飛び越える機械ではないはずだ。(タイムマシンが到着したこと自体で未来が変わり、その結果で別のさらなる過去への干渉が起こって、タイムマシンが到着した瞬間に世界線が変わることはあり得るかもしれない。だが、その場合はリーディング・シュタイナーが発動しそうに思える。知らんけど)
だいたい世界線を飛び越えられるのなら、がんばって3000回ぐらいタイムトラベルしたら、そのうちシュタインズゲート世界線に到達できるのではないだろうか? (2800回目ぐらいに到達したももの、うっかり惰性でもう1回タイムトラベルしてしまい「ふりだし」に戻る未来が見えるけど…)
そんなシュタゲ最大の矛盾点も、再構築された過去説ならなんとか説明できる。なんと言ってもオペレーション・スクルドを目撃しているのは、何も知らないβ世界線の紅莉栖だけだ。実際、岡部が2度タイムトラベルしたのかどうかは誰もわからない。
真実は2度目のタイムトラベルの問題に気が付いた鈴羽がタイムマシンから新電話レンジ(仮)を取り出し、岡部は1回目のタイムトラベル前の自分にタイムリープしたのかもしれない…。
シュタゲはアトラクタフィールド理論上は完全な作品であってほしいと願う僕としては、この点からも再構築された過去説を押したい。

でも、岡部は意外と早くシュタインズゲート世界線にたどり着くかも

話は前項までで終わりである。
ここからは、物語内で提示された前提条件を超えた僕の妄想である。

2025年のムービーメール

岡部は2025年からのムービーメールを紅莉栖と出会った2010年7月28日に受け取っている。この時は、ムービーの中身はノイズだけだった。
このことから、β世界線では初期の段階から2025年に岡部がムービーメールを送ることだけは確定していたと考えられる。ただ、その内容はまだ確定していなかったのだ。
そして、未来が少しずつ変わり、最終的にはオペレーション・スクルドの内容が語られたムービーに変化していくのだと考えられる。そして、2010年8月21日、岡部はオペレーション・スクルドを決行し、シュタインズゲート世界線に到達するのである。
となると、大容量のムービー付きのDメールを送る技術が確立するのが2025年で確定していたとしても、その内容さえ岡部が思いつけば、その時点で未来のムービーメールが2010年の岡部の携帯に着信するのではないだろうか?
つまり、2025年の岡部が大容量のDメールを過去の自分に送るという一手を打っていたため、2010年以降の岡部は、いつでもその世界線の先にある2025年の岡部の考えた結論を知ることができるのである。(だから本当は、レスキネン教授やレイエス教授ともっとうまく戦えたはずだ…)
となると、実は岡部がオペレーション・スクルドを思いついた時点でムービーメールの内容が確定し、その瞬間リーディング・シュタイナーが発動して、シュタインズゲート世界線に移動できるのかもしれない。シュタインズ・ゲート世界線に移るリーディングシュタイナーの発動日は、2010年でも2025年でもなく、その間のとある瞬間であるという第3の説である。
となると、あるいは、まゆりがタイムマシンで旅立った次の日にでも岡部はシュタインズゲート世界線に到達できてしまう可能性がある。(その場合、2025年のムービーを撮影するシーンは可能性世界線となる)
これが僕の中の無印とゼロを共に肯定する最終的な大統一理論である。
まゆりが過去に旅立った数か月後、岡部は突如、オペレーション・スクルドをひらめき、シュタインズゲート世界線に到達するのである。

ダイバージェンス値の謎

閑話休題。
物語のキーアイテムでありながら、劇中ではダイバージェンスメーターがどのような理屈で現在の世界線のダイバージェンス値を観測しているのか微塵も明らかにされていない。
なので、ついでに僕の考えた仮説を書いておく。
あれは、Amadeus をヒントに作られたシステムなのではないだろうか?
世界が再構築された際、リーディング・シュタイナーを持たない人々にも記憶は残り、デジャヴのように時々思い出される。
これは、前頭葉に再構築される前の世界線の記憶は残っているもののその内容にアクセスできない状態だと考えられる。
では、Amadeusはどうなのだろうか?

もし、別の世界線の記憶が、時空を超えて共有される事があるのなら、それが『Amadeus』の中で発生したとしても、おかしくはない……

STEINS;GATE 0 / 比屋定真帆

Amadeusが脳の構造を模しているのなら、世界が再構築する際に同じように再構築前の記憶が残っているかもしれない。もしそうだとするなら、人ではないAmadeusならその記憶にもアクセスできるかもしれない。
アクセスできる本来の記憶と、アクセスできない領域にある無いはずの記憶、この差分の乖離具合がダイバージェンス値なのではないだろうか?

結局、まゆりのタイムトラベルって…

最後に本当にただの妄想。無視してもらって構わない。

ここまでいろいろ書いてきたが、どう解釈しても釈然としない描写が、もう一つ残る。
それは、まゆりがタイムトラベルをした後、「何も起きなかった」ことである。
まゆりが過去に旅立ってもリーディング・シュタイナーは発動せず、世界線は微塵も変わらなかった。
ロト6で500円当たった時ですら発動したリーディング・シュタイナーが発動しないとなると、まゆりが命がけで過去に行った代償は、500円以下ということになる。
それは、ちょっと悲しすぎやしないか???
あれで何も起きなかったら、岡部は永遠にシュタインズゲート世界線に到達できないぞ、とも思えてしまう。
(まあ、何かが起きたて、まゆりが過去に旅立つモチベーションが失われたらタイムパラドックスが起きるのはわかるが…)
せめて、あれで鳳凰院凶真の復活が早まって、世界が少しだけ変わったみたいなことがあってほしかった。

例えば、こんなゼロが見たかったな…

まゆりが乗ったタイムマシンが消えた瞬間、リーディング・シュタイナーが発動する。
見渡すとラジ館の屋上に戦闘の跡はなく、タイムマシンも無傷で残っていた。
岡部はダルや真帆と合流するが、二人と会話がかみ合わない。真帆は妙によそよそしく自分のことを「ロリっ娘」と呼ばない岡部を気味悪がる。
どうやらこの世界線ではまゆりのビンタのおかげで鳳凰院凶真が少し早く復活していたようである。そのせいでまゆりは数か月早く過去へ旅立っており、無事未来に帰ってくることもできていた。
だが、結局、世界は大きくは変わっていないように見えた。
何も変わらなかったと詫びるまゆり。そんなまゆりを励ましながらも、収束する未来は変えられないのかと失望しかけた岡部だが、鈴羽が去年の7月に受け取った謎のムービーメールをもう一度見てみろと言われる。
わずかではあるが世界線は変わっていて、未来から来た鈴羽には以前になかった記憶があるのだ。
添付されたムービーを見てみると、ノイズだったはずのムービーに未来の自分が写っていることに気が付く。この時点ではまだムービーにオペレーション・スクルドの指示は含まれていないが、岡部は未来が少しずつ変わっていること、第三次世界大戦の開戦を阻止する未来の先にシュタインズ・ゲート世界線があることを確信する。
世界が収束するのであれば、この世界線でもレスキネンはタイムマシンを奪いに来るはずだと確信した岡部はラジ館屋上に罠をはり、レスキネンの野望を食い止める。
その中で、敵はレスキネン教授だけでなく、紅莉栖の記憶を狙うレイエス教授も危険な存在だと気が付く。
紅莉栖の記憶を抹消するため、ヴィクトル・コンドリア大学のサーバーにハッキングをかけるが、タッチの差でレイエスにサーバーの制御権を奪われる。
レイエスに拉致された真帆はAmadeusの最高管理権限保持者をレイエスに設定し直すよう要求されるが、Amadeusの"紅莉栖"との連携プレーでダミーの画面を見せることでレイエスを騙し、難を逃れる。
レイエスは最後の手段として紅莉栖の脳データを自分の脳に転送しようとするが、すんでのところでブランクデータに差し替えられ、レイエスは無となる。
レイエスを騙す真帆とAmadeusを見ていた岡部は、一つの作戦を閃く。
騙す、そう、過去の自分自身を騙せばよいのだと。

最初のお前を騙せ。世界を騙せ

Steins;Gate & Steins;Gate 0 / 岡部倫太郎

過去へムービーメールを送る技術はまだない。作戦の詳細を記した長文のDメールを送るのは、SERNに補足されるリスクがある。
そこで、岡部はリハーサルと称して、ビデオを撮影することにした。いつか過去の自分に送る内容を確かめるためだ。撮影が終わった瞬間、リーディングシュタイナーが発動する。
めまいが収まると、そこはいつものラボだった。まゆりも、紅莉栖も、そして比屋定さんも、そこに座っていた…。
そして、岡部がこれから出会うであろう鈴羽とかがりの姿はそこにはない。
シュタインズ・ゲート世界線にたどり着いたのだ。

あ、ただの妄想です。

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