マクガフィン

 前述の「物語の三層論」に書いた、マクガフィンについて補足します。

 マクガフィンとは、物語を展開させる上でのキーアイテムです。しかしながら、ヒッチコックが「映画術」で書いた事が、誤解、拡大解釈されているように感じます。具体的には、「映画術」p125「海外特派員」、p160「汚名」の部分でマクガフィンについて多く語っています。p160から引用してみます。

そんなわけで、ウラニウムをマクガフィンに使おうと思いついた。そんなことを言っても、プロデューサーはまゆをひそめるだけでわたしを見て、原爆を映画のストーリーの土台にするなんてまったくばかげていると言うんだね。「ストーリーの土台ではなく、マクガフィンにするだけですよ」とわたしは言って、マクガフィンというのは単にサスペンスのきっかけであり手口であって、すべてを単純にドラマチックにするための一種の口実であり仕掛けなんだから、全然気にする必要はないんだと説明してやったんだよ。それでも納得しないから、「ウラニウムがいやなら、ダイヤモンドにしましょう」とまで言ってやったんだよ。

「映画術」p160 ヒッチコック/トリュフォー、晶文社

 実際、ヒッチコックはマクガフィンを交換可能と言っているが、単純にそう読むのは浅いでしょう。マクガフィンとは分かりやすいアイテムなだけに、なぜコレなのかと疑問に持つ人は多かったのでしょう。そういう意見にうんざりした、ヒッチ流の返しだとも言えます。「映画術」を読まずに、なんだかんだとマクガフィンだと批判する人も多いのです。(「汚名」が作られたは1944年、広島の原爆の前年でありウラニウム自体が認知されてなかった。公開は1946年)

 スティーブン・スピルバーグ自身は、マクガフィンは嫌いで、キーアイテムをマクガフィンと言われることも嫌っているようです。映画「インディ・ジョーンズ」シリーズでは、常にキーアイテムの奪い合いによる展開をさせています。しかしながら、このキーアイテムはヒッチコックの言うマクガフィンと大きく差はないように思えます。

  • 「レイダース 失われたアーク」→ ラーの杖飾り

  • 「魔宮の伝説」→ 秘石シヴァ・リンガ 

  • 「最後の聖戦」→ 父の聖杯手帳

  • 「クリスタル・スカルの王国」 → クリスタル・スカル

  • 「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」 → アンティキティラのダイヤル

 それらを踏まえて、拙著「臨終師フォン」 の中でもマクガフィンを使い、物語を展開させています。それも、以下のように作中の人物にキーアイテムをマクガフィンと言わせています。

「それは……、単なるマクガフィンかもしれないな」
 「マクガフィンって…、ヒッチコックとトリュフォーの本で読んだな、『海外特派員』のとこ…、つまり、メガネ自体には意味がないってこと?」
 「そうだな」
 「映画ならともかく…、どういう目的?」
 「エドムンドの注目を集めること…、それしか今は思いつかないな」
 「じゃ、オトリのためにこんな苦労させているってこと?」

「臨終師フォン」

 映画や演劇では、第四の壁を破る(演者が観客に語りかける事)演出はあっても、作中の人物がキーアイテムをマクガフィンと語ったのは初めてなのでは、と自負していますが、どうなんでしょう。

 ちなみに、マクガフィンではあるけど、あまりに現実とかけ離れたマクガフィンは興醒めしてしまいます。映画「ミッション:インポッシブル デッドレコニング」は全体としては面白いのですが、マクガフィンとして奪い合うものが、AIを起動するためのメカニカルな二つの鍵というのは、馬鹿げているように感じます。現実的ではありません。子供騙しにはいいでしょうが。

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