謎パワーに突き動かされて生きた方が今は輝く

昨日のnoteは、努力ってなんだろう?っていう疑問がグルグルしたまま、混沌のまま終わったが、1日経って、なんだかひと段落した感がある。

結局思ったのは、「努力なんていらない」ってことだ。

努力という言葉を再定義しようと思った。

好奇心や情熱など、謎の内的パワーに突き動かされてしている行動を努力と呼ぶのはよそうと思う。

周りはそれを努力と呼ぶかもしれない。

しかし自分にとっては突き動かされているだけ、止められないだけ。たとえ苦しくてもやりたくて仕方がないだけ。

努力は「自己による無理な力のかけてする行動」と定義することにした。

だから自分のしている行動が自分による無理な力がかかっているとしたら、それは努力だ。

努力はやめようと思う。

謎パワーに突き動かされて生きた方が今は輝く。

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