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叔父が食事をとらなくなったと連絡をうけて

昨日母と電話していたら、叔父さんの話になった。
僕より16才上の64才。
高校生の時はサッカーの花形プレイヤーで、正月の高校サッカーでは準優勝している元気でおもしろいおじちゃんだ。

子供のころは夏休みや正月に祖父母の家に行くとよく遊んでもらった。
同級生のいとこがいたので、3人で近所を探検したり、庭でサッカーを教えてもらったりした。
小5の時には新品のサッカーシューズをぼくらにプレゼントしてくれて、うれしすぎて天にも昇るような気持ちだったのを覚えている。

そんな大好きだったおじちゃんだが、祖父母が亡くなってからは全然会わなくなった。
この20年で会ったのは1回か2回だと思う。

そのおじちゃんの元気がないらしい。
おじちゃんの奥さんと母が電話して聞いた話によると、食事をとらなくなってしまったという。
お酒は飲むが、食事はとらない。
チラシ配りのバイトをしているらしいのだけど、以前は10キロ以上歩いて配っていたのに今は全然配らずにすぐに帰ってきてしまうのだそうだ。

夫婦関係は昔からあまりよくなかった。
奥さんが絶えず不満を抱えている。
おじちゃんは会社員として一生懸命働いていたとは思うが、ビールが大好きで酔っ払って帰ってきて大変な醜態をさらした話をたびたび聞いた。
パートをしながら3人の子供を育てていた奥さんとしては「サッカー選手時代はあんなにかっこよかったのに」「もうちょっとちゃんとしてよ」という気持ちだったのではないかと想像している。

母の話を聞いていて思ったのは「生きる気力をなくしているな」という印象だった。
生きる意志を失うほど、生活に希望を見出せなくなっているのではないかと思った。

しかしそれはあくまで想像である。
現実はわからない。
おじちゃんと奥さんに話を聞かなければ何にもわからない。

話をきいてみたいと思った。
もし可能なのであれば。
夫婦の間でどんな会話ななされてきたのか、どんな会話がなされてこなかったのか。
奥さんが何を感じ、おじちゃんがどう思っているのか。
もし話してもらえれば活路は見出せる可能性がある。
僕の場合は呼吸や体を通して気持ちをリラックスしてもらうノウハウがあるから、体が楽になれば話も出てくるだろうと思った。

でもまずは母に様子を見てきてもらうのが筋だろうと思った。
母が会ってきて、どうだったかを聞く。
それでもしも僕になにかできそうなことがあればやってみようと。

しかし奥さんの話では、下手したら近いうちに死んでしまうのではないかという衰弱ぶりらしい。
来月母が会いに行くときにはさらに状況が進行している可能性もある。
そんな話を聞いたせいか今朝は眠りが浅かった。
早くに目が覚めてしまった。

6時前の冬の真っ暗な部屋で本を読んでいたが、本に集中しきれない。
ときどきおじちゃんのことを考えてしまう。
「何かできないだろうか」と。

でも今僕が心配してもしょうがない。
出しゃばっても状況がよくなるわけがない。
わかっているだけにもどかしい。

こういうとき、僕は亡くなった家族や親戚の力を借りる。
祖父母と叔母の顔を思い浮かべる。
どの顔も肉体から解放されて笑顔だ。
彼らはみんな一様に言う。
「大丈夫だ」

死者たちからみると生きるうえで心配することなどなにもないらしい。
終わってみればすべてが杞憂なのだと彼らの表情が語っている。
「大丈夫」
おじちゃんをよく知る祖父母と叔母に話しかけてみた。
「おじちゃんの様子を見に行ってくれる?」

叔母が言う。
「いつも見ているわよ」
「私たちはできる限りの応援をしている」
「〇〇はちゃんと今を見ているわ」
「生きようとしている」
「自分の人生をどう終わらせるかもちゃんと考えている」
「どういう結果になろうと彼を信じなさい」
「私たちがちゃんと見ているから、今は心配しなくていいわよ」
「時が満ちて、自分にできることがあるとはっきりわかったときに行動すればそれでいいのよ」
そんなことを言ってくれた。

死者の声が本物かどうかはどうでもいいことだ。
死者に問いかけると不思議と返事のようなものが湧いてくる。
ぼくはこの湧いて来る思念を彼らの声だと信じている。
僕にとって都合のいい解釈が多いのだけど、肉体から離れた死者の世界はそのくらい寛容で優しい世界なのだろうと思っている。

亡くなった叔母と話したら気持ちが落ち着いた。
心配していてもしょうがないなと。
今は母にまかせよう。
母が話したら状況に変化が生まれないとは限らないし。
変わらないとしてもそのときになれば今よりも情報は増えるわけだし。

もしおじちゃんが生きる気力をなくしていて、このまま亡くなってしまったとしてもそれはそれでしょうがない。
「よくなってくれ」と遠くから祈っていたことを祖父母も叔母も知っている。
「しょうがないわよ」「あなたにできることはなかったわ」「本人の意志を尊重してあげて」と言うと思う。

死者と対話するようになると、人は死んでも死なないなって思う。
残された人たちのなかに鮮明な思い出がある限り、死んでも生き続ける。
そのためにも自分が生きているときに死後の準備をしたい。
死んでも残された人を応援できるように、心に残る言葉をかけ、心に残る表情を見せよう。


▽ 鋸山(千葉県)の麓で呼吸で体を整える場所を運営しています。

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