自分の本のテーマに悩んだので、自分の好きな本の共通点を探したらヒントが見えてきた
来年は #自分の本をつくる と言ったものの、入り口のところであーでもないこーでもないと考えて足踏みしている。
テーマが決まりそうなのだけど、「果たしてこのテーマで書けるのか?」とか「熱量の維持はできるのか?」とか考えてしまう。
「もう何者かにならなくていい」「普通に生きて普通に死ねばいい」と思っている気持ちをテーマにしようかなと思っていたのだけど、今日は「人の目を気にしてきた自分」「人にどう思われるか心配してきた自分」というテーマも浮かんできた。
このまま行くとどんどんテーマのネタだけが増えていってぐちゃぐちゃになる気がする。
どう収拾をつけたらいいのだろう?
本を書こうと決めた人たちはどうやってテーマを決めたのだろう?と質問したくなる。
昨日・おとといは矢沢永吉のこの本を読んでいた。
初の自伝「成り上がり」から約20年経ち、50歳。
とんがりまくっていた20代から多くの困難を経て円熟してきた矢沢永吉の考え方を知れる1冊。
素晴らしかった。
自分にウソをつかない生き方がどれほど僕らを成長させてくれるかを知ることができる。
これを読んで思い出したのはこの本だ。
スラムダンクの桜木花道のモデルであるバスケットボール選手の自伝。
読後感が矢沢永吉の本と完全に同質だった。
7年前に読んだのだけど、もう一度読みたくて再度注文した。
届き次第読む。
今度は処分せず、蔵書にし続けようと思う。
矢沢永吉の自伝を読んで、
「できることならこういう読む人の心を揺さぶるような本を書きたい」と思った。
葛藤し、決断し、行動し、結果を受け入れ、ふたたび前に進もうとする。
こういう過去があるから今があるんだと自信を持って読者に語りかける。
そんな本。
しかし僕がそんな本を書いてどうする?
誰が読むのだ?
感動するのか?
感動してくれるとしてもその人に届けることはできるのか?
なんで僕は彼らの自伝を読みたいと思ったのだろう?
なんで感動したのだろう?
そこにヒントがある気がした。
「自分が生きていく上で参考になる経験を彼らは書いてくれているに違いない」
そう思うから手にしたんだと思う。
彼らの人生から何を知りたかったの?と自分に問いかけてみたら答えが返ってきた。
「どうしてあれほどまで強いハングリー精神が培われたのだろう?」
それが知りたかったらしい。
なんでそんなに感動したの?と聞いてみたらやはり答えが返ってきた。
テレビから見える姿とは全然違う心の内に感動したのだそうだ。
どんな心?
荒々しさの中にあるピュアな心。
優しくきれいな心。
しかし矢沢永吉もデニスロッドマンもスーパースターすぎるので参考にならない気がした。
スーパースターだから僕は感動したのだろうか?
そんなことはないと思うのだけど…
もうちょっと普通の人の本で感動した作品から考えてみた方が良さそうだと思った。
思いついたのは2人の女性漫画家のコミックエッセイだ。
一つはこれ。
もう一つはこれである。
緑丘まこさんのこの作品は7・8年前にnoteでリアルタイムで読んでいた。
なんて自暴自棄で切ない日々なんだろう…と思って目が離せなかった。
しかし先日7年ぶりに見てみたら、彼女の心は安定していた。
ささやかながらも幸せそうな暮らしについて書き続けてくれていた。
我がことのようにうれしかった。
「毒親に育てられました」は今年読んだ本だ。
あまりの切ない生い立ちに胸が締め付けられた。
とんでもなく過酷な生い立ちにあった作者のつつみさんだが、やはり自分の人生をコミックエッセイにすることで浄化され、今は幸せそうである。
両者に共通するのは貧しい過去と幸せな現在だ。
矢沢永吉とデニスロッドマンと同じじゃないか…
どうやら僕は貧しき過去にあった人が人生を通じて幸せになっていく話が好きみたいだ。
しかしなぜなんだろう?
やっぱり大人になってからの自分自身が貧しかったからだと思う。
お金の欠乏感を感じ、惨めな思いをしていたから、そこから抜け出したかったのだと思う。
程度の違いはあれど教育ママタイプの毒親に育てられて苦しかったからだろう。
抜け出したくてヒントを探していたからだろう。
もしこれらの本が苦しみから抜け出すためのノウハウ本だったらどうだっただろうか?
感動しなかったと思う。
感情移入できないから。
しかしどの本も過去にあったことを事実として書いている。
そしてそんな過去を今の自分の視点で俯瞰している。
苦しかった過去を消化して書いたからこそ読者である僕を感動させたのだろうと思った。
さて、ここまで考えると僕は自分も書ける気がしてきた。
苦しかった過去を消化したからこそ書けるエッセイが。
というかテーマはこれなんじゃない?
「消化することができた苦しかった過去について」
これなら書ける気がする。
でも今は盛り上がっているだけで気のせいかもしれない。
やっぱりしばらく寝かせてみよう。
時間が経ってもやっぱり書ける気がする。
書きたい。
気がつけば書き始めてしまった。
そうなれば正解だ。
本当にやりたいことは勝手に体が動き出すものだから。
▽ 鋸山(千葉県)の麓で呼吸で体を整える場所を運営しています。
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