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サンチャゴに雨が降る/チリ旅行記

チリ最終日は1日ルタドールとヴァレリアが街を案内してくれた。 
バルパライソはかつてスペインの侵略者探検家たちが初めて到着した場所として有名。
1818年にチリがスペインから独立すると、街は設立間もないチリ海軍の主要港となり、それまではスペインとその植民地のみに制限されていた国際貿易の制限も解除され、他国にも開かれた場所。

街は海港都市とその歴史的な町並みという名で世界遺産に登録されており、丘から見下ろす港がとても美しい。

丘から見たバルパライソ
案内してくれてありがとう

南米全体に言えることのようだけど、最近治安はどんどん悪化しており、バルパライソも例外なく首都サンティアゴよりむしろ治安は良くない。
暴力的な強盗などはまだ少ないが、観光客を狙った置き引きやスリなどは十分注意し、携帯などもむやみに出さないで欲しいと案内している時も言われた。

ルタドールの前職は配管工事の仕事で様々なバルパライソのスラムを含むあらゆるところを知っていると色々なところを案内してくれた。
ちなみにブラジル同様にスラムは大体丘の上にあり、不法に家を建て増築。マフィアやギャングの支配があり、警察とは常に対立関係にある構図。

丘の上から
美しい街なみ

この街のことをスペイン語が話せない僕にいつも頑張って伝えてくれる。
今回驚いたのが到着してから本当に一瞬たりとも家族、友人の集まりでもお酒が入っても僕に対してのケアが途切れることがなかったことだ。
今までも一人母語が違う場所に招かれて行ったことは沢山ある。
大体は一定時間が過ぎると双方が場に疲れ”ちょっと離れて一休み”。
みたいな時間はあるものだが、どんなに身内話で場が盛り上がっても誰かが必ず隣で翻訳しようとしてくれる。 
夜泥酔してスペイン語も話せなくなっても僕に翻訳してくれようとするルタドールの奥さん。本当にありがたかった。

ところでサンチャゴに雨が降るという有名なチリの映画を見た。
1973年にあったチリの軍事クーデターについて描かれた映画でその後の16年に渡り軍事政権が続き、近年のチリに大きな影響を及ぼした出来事だったようだ。

なぜ慌てて見たかというと前日ハンモックに揺られながら、ルタドールから聞いた話が衝撃的だったからだ。

ハンモックに揺られるルタドール

彼はいつもお酒を進めてくれるけど自分は殆ど飲まないし、車の運転は家族がしていて一切しない。 

「正気が保てなくなることを恐れている」らしい。

聞くと幼少期に軍事クーデターの影響で大変な思いをした。
家がコミュニストであったかどうかは定かではないが、小さなころ軍事政権に共産主義の疑いをかけられ大人全て逮捕され崩壊。その後家族がどうなったかは知らない。
6歳くらいで突然ストリートチルドレンになった。当時はその状況が当たり前だった。
当時の記憶は最悪。飢餓に苦しみとにかく寒かった。ネズミやウサギなどを狩り捌く。落ちているものも食べれそうなものは食べた。
大きくなると人のものを盗んだりと悪いことにも手を染めていった。
「この街でどんな犯罪が起きても解決できる自信がある。だって自分がやる側だったからだ」と冗談で言っていたその目は笑っていないように思えた。

その後はあまり話たくはないようだったのでそれ以上は聞かなかったが、家族や仲間への愛情の塊のような優しい今の彼の影にあるものは想像できない過去の積み重ねなのだろう。

家族の寄り合いにも連れて行ってもらったが、兄弟だと紹介されても誰一人実際の血が繋がっていなかったのはそういう理由だった。

普段は異常に優しくて陽気な人間。
カポエイラの仲間から聞く彼のイメージとあまりにも違った一面で驚いた。
色々話をしてくれて嬉しかったし今後会うときはしっかり言葉を勉強して自分の言葉で色々伝えたい。

街を見終わると丘の上の自分が育ったスラムに連れていってくれ、ここに来て色々話をしたからもう家族だと言ってくれた。

丘の上のスラム街

最後は100km離れた空港まで送ってくれ、次の再会を約束。
何度も握手して別れた。

サンティアゴの空港までお見送り

リオに到着し、「ありがとう。無事到着したよ。」とワッツアップでメッセージを送るとボイスメッセージがポルトガル語で送られてきた。

送られてきたボイスメッセージ

そのボイスメッセージは何を言っているのか全く分からなかった。 

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