見出し画像

キング・クリムゾンの思い出 ④(遂にロバート・フリップ先生に会う)

邦楽の宣伝から洋楽の宣伝担当に変わり海外のアーティストの来日キャンペーンなども仕切るようになったこの頃ははちょうど90年代の半ばからのオアシス対ブラーやレディオヘッドなどのUKロックの隆盛、USでは2パック・ビギーのヒップホップ東西抗争やスウェディッシュポップブームなど洋楽に注目が集まった時期でも有り、またインターネットの普及によって新しいプログレッシブロックのバンドやベテランのアーティストたちの活動が再び活発になってきた時期とも言える。その中でロバート・フリップはキング・クリムゾンのデビュー以来ずっと協力体制にあったEGマネジメントとの信頼関係が損なわれ訴訟状態となっており、新たにDGMことDiscipline Global Mobileをエンジニアのデヴィッド・シングルトン氏と立ち上げたところであった。この辺りの話はクリムゾン好きの方には周知の事実だと思うが30年近くも前にフリップ先生は可能な限り自分の仕事と財務を自身で管理することを決意しアーティストのためのレーベルを立ち上げたことについては極めて先進的な人だと改めて思う。元々のEGレーベルとマネジメントもアーティストを中心にしたレーベルでそれを60年代末にスタートさせていたのもすごい。コロナ禍の2021年に改めて振り返ると業界の先駆者としての気付きに驚かされる。

そういえばYoutubeでの音楽インフルエンサーとしても名高いみのさんも最近キング・クリムゾンについて動画を公開していましたね!

みのミュージック「キング・クリムゾン入門!いまさら聞けない疑問に答えます」


話を戻そう。着任早々の1995年「Thrakツアー」の際はまだキング・クリムゾンのライブを見ただけでメンバーと直接会う機会もなかったがその後2年以上も担当エリアの関西での洋楽プロモーションの仕事に携わっていると来日時のライブのアテンドやプロモーションの機会も増えてくる。DGMの契約もあったせいかプログレッシブ・ロックやHR/HMのベテラン・アーティストと契約することが多かったためジョン・ウエットンやデビッド・クロス、キャメルやゴングと言った大物プログレアーティストの関西エリアのキャンペーンもこなし、英語は拙いものの関西ご飯と在阪カルチャーの会話は何とか出来るようになるものだ。

ワールドツアー終了後、キング・クリムゾンとしての活動は一旦停止してフリップ先生はアーカイブ音源の発掘〜「エピタフ」や「ナイトウオッチ」「アブセント・ラヴァーズ」など各編成時代での名作音源が次々とリリースされてさらにキング・クリムゾンへの活動の期待が高まっているところだったと思う。

「プロジェクト2とブラッフォード・レヴィン・アッパー・エクストリミティーズ(B.L.U.E.)での来日ツアーが決まりました」との一報が!遂に念願のキング・クリムゾンのメンバーと会える!とりあえず大阪エリアはライブだけでプロモーション取材などの稼働はなかったが1998年4月8日(水)に大阪・西梅田にあった当時は新しい大型ライブハウスだった「梅田ヒートビート」で2バンドのライブが開催されることになった。もうあまり前後のことは覚えていないが実家にあったキングクリムゾンとかビル・ブラッフォードのアルバムをわざわざ当日持ち込んでいたことは覚えている。そして運命のときは来た。開場の2時間ほど前に「梅田ヒートビート」の楽屋側に入る。ちょうどB.L.U.E.プロジェクトがリハーサルをやっている時間だった。いきなりロバート・フリップ先生が楽屋で一人でギターの練習をしていた。私のテンションは一気に上がった。私は思い切って「レーベルのローカルプロモーターのものです」と挨拶をした。

フリップ先生は練習している手を止めとても穏やかな笑顔で握手を求めてくれた。今思えば大変に図々しいことだがフリップ先生はとても優しく挨拶を返してくれた。こちらの英語が拙いことも分かっていてゆったりとあの声で「初めまして。お会いできて嬉しいです」と言ってくれた。そして当時住んでいた十三(じゅうそう)の有名な和菓子屋のみたらし団子と酒饅頭を差し入れとして用意していた。これは海外のアーティストにはかなりの確率で受けることが多いキメのツールの一つだった。「ミスター・フリップは甘いものがお好きだと聞いていたので地元のお菓子を持ってきました」と言って差し入れを渡したところ、フリップ先生は嬉しそうに包みを空けて確か酒饅頭の方をさっそく食べてくれた。「このお菓子は私の妻の唇のように甘い。どうもありがとう」とフリップ先生は言いながら2個めの酒饅頭をほおばっていた。私のテンションは最高潮になった。

「あの私は昔からキング・クリムゾンとあなたのファンです。持ってきたアルバムにサインをしていただけませんでしょうか。」思い切ってフリップ先生に尋ねてみた。「もちろんですよ!」とフリップ先生は快く「ディシプリン」と「エクスポージャー」にサインをしてくれた。「このアルバムのロゴは私のサインですけどね〜」と笑いながら「エクスポージャー」のロゴの横に同じ”Robert Fripp“を書いてくれた。私は夢見心地になり天にも登る気持ちになったので、正直この後のことはあまり覚えていない。なぜエイドリアン・ブリューやトレイ・ガンもいなかったのか分からないがリハーサルの邪魔をしてはいけないと思いフリップ先生にサインのお礼とライブ成功を願ってますと伝え楽屋を後にした。

私はもう胸がいっぱいになってB.L.U.E.プロジェクトのメンバーへ挨拶したかどうかも覚えていない。トニー・レヴィン自身から「ワールド・ダイアリー」に何故かサインを貰っているが全く記憶にない。プロジェクト2の意外に和気藹々とした演奏とB.L.U.E.プロジェクトの緊張感のある演奏の対比が記憶に残っている。B.L.U.E.プロジェクトはトニー&ビルのコンビ以上にクリス・ボッティのイケメン・ルックスに似合わないハードコアなトランペットとデビッド・トーンのアンビエントなクラウド・ギターがとても印象的だった。10代の多感な時期に最も影響を受けた海外アーティストと直接あって会話をするという人生に一度あるかないかの非常に貴重な体験はこのように終わった。

この時の来日のタイミングで余談がある。
プロジェクト2とB.L.U.E.プロジェクト一行は翌日には東京に戻り東京での公演を行ったはずだがさらにその週末に新宿高島屋にあったHMV新宿高島屋でトークイベントを行っている。参加メンバーはロバート・フリップ、エイドリアン・ブリュー、トニー・レヴィン、トレイ・ガン、ビル・ブラッフォードのクリムゾンメンバーのみ。私は何故か東京の実家に帰っており(ちょうど月1回の本社MTGのタイミングだったのだろう)、そのイベントを見に行っていた。キング・クリムゾンのメンバーがCDショップのインストアでトークイベントをやるというのは多分初めてだったと思う。広いHMV新宿の店内にも相当な数のプログレファンが集結していた。メンバーのアテンドは本社のスタッフが行っていたので自分は本当に見に行っていただけだったのだがここで衝撃的な事件に出くわした。

イベントの司会を努めていたのは本社同僚の販促担当者でマイクでイベントの趣旨や注意事項をアナウンスしていた。彼もマニアックな洋楽ファンで当然クリムゾンのメンバー全員をフルネームで言えるレベルのため司会も非常にスムーズだった。そしてイベント開始の時間になり呼込みのアナウンスが始まった。「ではお呼びしましょう!ロバート・フリップ、エイドリアン・ブリュー、トニー・レヴィン、トレイ・ガン、ビル・ブラッフォード、キング・クリムゾンの皆さんです!」。入場するメンバー、そしてビルが大きな声で文句を言いながらイベントステージに入ってくる「ブルーフォード!私の名前はブルーフォードだ!」。慌てふためく司会の販促担当者だがビル・ブラッフォードで言いなれてしまっているためもう1回「ビル・ブラッフォードさんです」と言ってしまったら再びビルから「ブルーフォードだ!」と強い口調で否定されてしまった。

50代以上の洋楽ファンならビル・ブラッフォードまたはビル・ブラフォードで通称となっていたビルのファミリーネーム。自分の知る限りではブルーフォード表記をしていたのは旧LP時代のイエス「危機」の最初の日本盤ライナーノーツでフジパシフィックミュージックの朝妻代表が「ブルフォード」を使用していて逆に非常に違和感を感じていたぐらいだったのでこの日初めて本人から公衆の前でブルーフォードだとハッキリと否定された衝撃の事件だった。実際noteを見ても今だに大勢の方がビル・ブラッフォードだし自分もこのネタを披露するまで敢えてビル・ブラッフォード表記にしていたほどだ。これ以降、2012年に発行された自伝「Bill Bruford The Autobiography」の日本語版で「ブルーフォード」の表記が定着するまでけっこうな時間を要することになるが「ブルーフォード事件」の現場を目の当たりにしたという貴重な出来事だった。

(キング・クリムゾンの思い出はまだ続くかな? 少し考えます)

《おまけ》

フリップ先生も気に入っていた(と思う)十三の老舗和菓子屋はコチラ

《追記》

キング・クリムゾンの思い出シリーズを読み返してみても単なるミーハーな気持ちだけで書き連ねたようで大変に恥ずかしいが好きなことに情熱を傾けるといつか夢が現実になることもあるもんだということがこの歳だとわかるようになる。不思議なものだ。

キング・クリムゾンの来日に際して北村昌士著のキング・クリムゾン本とシド・ミード著のキング・クリムゾン本を読み返してみたが何と昨年シド・ミード本が全面加筆改定して「全史」本として出版されていることを知る。なんか川崎大助さんの「僕と魚のブルーズ」みたいだな。キング・クリムゾンとフィッシュマンズの近似値性についてもいずれ書いてみたい。

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!