寂しい同士だな
もう、ノラはいないとわかっているのに、きのうもきょうも膝の痛みを押して、朝、散歩に出かけた。きれいな毛並みのヒメは怖い顔をしているが、きのうはかわいい声で一度だけ鳴いた。きょうは、もらったごはんをガツガツと食べている。
猫にも「寂しい」という感情はあるだろう。おとといのヒメやチビでわかる。わざわざぼくとの距離を詰め、ヒメは鳴き続けた。したたかに振る舞うチビでさえ、2、3歩寄ってきたではないか。
しじゅうやってきて、外からのぞき込むぼくが、死んでしまったノラに懸想しているのを、ヒメは知っていた。もし、ノラが心を許したら、抱き上げ、連れ去ってしまうのもわかっていだたろう。
ノホホンと生きているノラは比較できないほど、ヒメはそのときどきの、ぼくの心模様を的確に知っていた。あるときから、ぼくへ向けるヒメの目が野獣のようになった。
この子は、優雅で、やさしい表情の猫だったずだ。以前は怖い顔などではなかった。ただ、ノラに対するぼくの心の様子や、変化には、かなり早くから気づいていた。
ノラがさらわれてしまうのを心配したのだろう。ぼくが外で、ノラとふたりでいると、心配して近づいてきたことが何度かある。真冬を過ぎたころ、ノラがおやつほしさにうっかりぼくに近づいたとき、ヒメが猫とは思えない激しさで叱責した。
そのあとの、ノラのぼくに向けた困ったような表情に息を飲んだ。以来、ノラはぼくに近づいてこなくなった。もちろん、おやつもねだらない。
女の子同士だが、きれいなヒメは汚いノラの保護者だった。2匹は、しじゅう、張りついていた。まさに「親友同士」だった。
コミュニケーションとまではいわないものの、なんとなく2匹の気持ちがわかるようになっていた。いま、ヒメの寂しさは察するにあまりある。それが写真のような怖い顔なのだろう。
ヒメよ、ぼくだって寂しい。
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