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ほのかにかすむ5月の満月

 高齢(とし)のせいか、ふだんは使っていない旧暦——つまり、月にそった暦に、このところ、とても魅力を感じている。日本では、古来、人間の営みは、その生死さえも、月の影響下にあるとかたく信じられてきた。

 ぼくは本来が海の民である。もっとはっきりいえば漁民の末裔だ。父や母が口にしたのを聞いたことはなかったが、祖父母たちは、子供の誕生も、寿命が尽きて年寄りが没していくのも、潮の満ち引きがかかわっているとかたく信じていた。

 いや、そうなのかもしれない。月の引力が、動物たちの生き死にと密接な関係を持っていると考えたほうがいい。海の干満さえ引き起こす月の引力である。なんらかの関係があると考えたほうか自然だろう。関係あったほうが楽しい——と、思うのはぼくだけだろうか。

 太陽暦だと、日本の場合、四季の変化はわかっても、それ以上の変わり方がわからない。旧暦だったら、もっと細かく自然を身近に感じる。農業の場合、いまだ、旧い暦に頼っている。いや、海であっても、干潮や満潮、大潮や小潮はことごとく月に支配されている。

 きっと、畑の作物ばかりでなく、魚たちの動きは、海流以外に、月によっても操られているのではないだろうか。満月の夜に産卵する魚たちはたくさんいる。魚ばかりではない。海に生きるものはすべて、月の力を感じながら生きていると考えたほうが自然である。

 昨夜の23日は満月だった。アメリカの先住民たちはこの満月を「フラワームーン」と呼んだそうだ。5月はたしかに花の季節である。ほかには「プランティングムーン」、つまり、種まきの月ともいったという。狩猟を糧としていたネイティブアメリカには「ヘアムーン」、野うさぎ月こそがふさわしい。

 昨夜、見上げた空の月は、日本のこの季節らしく、薄雲にさえぎられ、ほんのりとかすんでいた。秋の煌々と輝く月もいいが、ややおぼろな5月の月も味わい深い。

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