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先に逝ってくれてありがとう

 去年の3月、12歳のオスの犬を脾臓のガンで見送った。老いてからの悲しみ、寂しさは自分でも意外なほど深い。いまも寂しさは変わらない。少し慣れただけである。耐えるのに慣れただけかもしれない。

 医者からは、「手術をしても助からない」といわれた。それでも手術を頼んだ。年金暮らしの人間にとって、手術代は手痛いほどの高額だった。だが、惜しいとは思わなかった。

 彼とは一緒にキャンプをしてきた。楽しい思い出がたくさんある。5年前、ふたりきりの生活がはじまってからは、いつも寄り添っていてくれた。かけがえのない相棒だった。

 ぼくはいくつかの病気を抱えていた。網膜剥離がわからず、左目の光を失うかもしれないと覚悟もした。直後、軽いウツになった。原因はほかにもあった。ウツらからはようやく脱却したが、大きな病患が残った。パーキンソン病である。

 ただ、症状はまだ出ていない。1年、いや、半年でもいい、もう一度、相棒とキャンプを楽しもうと思った。幸い時間はたっぷりある。小さなキャンピングカーに乗り換え、ふたりでキャンプ三昧し、たがいの余生を楽しもうと決めた矢先だった。

 ガンでの手術後は、たいてい、ひと月以内に死んでしまうそうだ。しかし、相棒は4か月生き永らえてくれた。ガンの痛みを4か月間も引っ張っただけかもしれないが……。

 死ぬ直前、とても呼吸が苦しそうだった。ただ、見つめるしかない。抱いてやれば、なおさら苦しむだけだろう。相棒は、一度、「なんでこんなに苦しいんだろう」とばかり顔を上げてぼくを見た。「もう、死んでもいいよ」——。相棒が苦しむ姿を見ていられなくて、そう声をかけた。早く楽になってもらいたかった。

 喪失感は自分でも驚くほどだった。日々、涙に暮れた。ウツを再発しないよう耐えた。相棒を残して、ぼくが先にあの世へ旅立たずによかった。そう思い据えてひたすら耐えてきた。

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