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「生きているだけ」からの脱却(1)

 近所の病院でのふた月ごとの検診で、「もう薬や検診はやめます」といわれて、パーキンソン病の重圧から解放された。ひと月半になるが喜びはいまだにない。ほんの少しホッとできたのも、つい、最近である。

 5年前、大学病院でパーキンソン病だと診断された。75歳、さまざまな凶事が一気に襲ってきて、ぼうぜんとしていたところだった。右の目がどんどん悪くなり、医者からは、「原因がわからない」といわれ、失明を覚悟した。やがて、セカンドオピニオンで、網膜剥離がわかり、”緊急手術”で光を取り戻した、

 同じころにパーキンソン病だといわれた。恐れていたのはALS(筋萎縮性側索硬化症)だった。会社の後輩のひとりがALS で亡くなったばかりであり、ほかにも、身近にALSの患者がいた。医者の「ALSではない」ということばに少しホッともしていた。パーキンソン病の症状が出るのが先か、一期を終えるのが先かわからなかったからでもある。

 だが、近所にいる同じ年で、パーキンソン病だという男性を二度ほど見かけたときに、考えの甘さを痛感した。なぜ、ひとりで彼が外へ出てきたのかわからない。彼はほとんど身体の自由がきかなかった。

 あれでは「自死」さえできないだろうに——。

 いざとなれば、自分の身の始末は自分でつける。若くない者にとっては、そんな「生き方」も許されるといまもかたく信じている。要は、いかに世間に迷惑をかけずに決行するかである。方法はともかく、最後は自死があると思っていただけに、パーキンソン病が発症してからでは遅いと痛感してしまった。

 こざっぱりとした身なりの彼を見て、ひとりで外へ出てきた背景がわかったような気がした。きっと、彼はひとりで外出するといいはったのだろう。なにかあって死んでしまうのも運命だ、それなら、それでいい。彼も家族もそう思ったのではないだろうか、と——。         (この項つづく)

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