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幸せな梅雨の雨

 朝から、「まさに梅雨!」という陽気である。若いころは、巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる——とため息をついていた。雨の日は、梅雨ならずとも、このヴェルレーヌのあまりにも有名な、そして、堀口大學の名訳が、心ににじみ入っていて口ずさんできた。

 妻子がある身の27歳のポール・ヴェルレーヌが、16歳のアルチュール・ランボーを拳銃で負傷させて入獄。その獄中からの詩である。「かくも心ににじみ入る このかなしみは何やらん?……」と続く。

 男同士の恋情は理解できなくとも、雨の日の憂鬱さはわかる。恋する女性(ひと)を心に秘めていたときはとくに、「このかなしみは何やらん?」と思ったものである。雨の日は、この詩が収録された詩集の題名である『無言の恋歌(Romances sans paroles)』に酔っていられた。

 いまでは、そんな昔が気恥ずかしいものものの、当時、情緒はかなり雨に左右されていたらしい。恋などしていなくても、雨に気分をかなり支配されていたのがたしかだったからである。

 米作が農事の主力である日本では、梅雨の到来を前提に米作りを中心にして、国の経済もまわっていた。カラ梅雨で雨が降らなければ米が実を結ばない。しかし、梅雨前線がいつまでも停滞し、冷夏になってしまっても米は収穫できない。まさに農事は自然次第というわけだ。

 1993年、日本は戦後、考えてもいなかった米不足に見舞われた。ぼくが48歳の年だった。もう戦後はとっくに終わり、食べることでなにか問題が起きるとは思ってもいなかった。「な〜に、米がなければ、蕎麦なんかで食いつなげばいいさ」などとの考えは甘かった。

 あのときの経験から、いつ、敵になるかわからない人たちもよくわかった。以来、やはり雨は降るべきときに降ってくれないとと痛切に思うようになっている。きょうは憂鬱ではない。幸せな梅雨の雨の一日である。

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