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98年前の卒業写真

 もはや、手遅れかも知れないが、「旅じたく」とやらをやっている。死後、身のまわりに遺った品々は十把一絡げで処分されるだろう。死んだあとなのでどうでもいい。それならば、いま、さっさと捨ててしまえばいいのだろが、ときおり意外な品との出逢いがあって、つかのまうれしくなっている。

 父の遺品を整理していたら、写真のアルバム類が出てきた。中に父の小学校の卒業アルバムがある。大正15年である。場所は東京・日本橋なので、よくぞ空襲で焼失しなかったものだと感心した。父にたしかめてはいないが、たぶん、1945年3月10日の東京大空襲で日本橋のわが家はきれいに燃えてしまったはずだ。

 その前に、祖父が隠居所にと買ってあった東京・杉並の家に祖母は疎開していた。アルバムもそのとき疎開させていたのだろう。おかげで、その年5月に杉並の家で生まれたぼくは、いま、80歳を前にして、戦火を逃れてきたアルバムを前に、どうやって処理したものかと考えあぐねている。

 父の世代は関東大震災を経験し、そして太平洋戦争である。天寿をまっとうできただけで父は幸運であったろう。だが、戦後も苦労の連続だった一端をぼくは見ている。それだけになおさら処分できなかったアルバムなのかもしれない。

 地震などの災害にみまわれた被災地でガレキや泥濘の中で見つかった写真をきれいにするボランティアの活動を聞いて「なるほど!」と思った。ぼく自身は写真にまったく拘泥しないが、写真を思い出として大切にする人も少なくない。

 写真という肖像にはその人のたしかな過去がある。自分にそんな時代があったとなつかしめるし、たとえ家族同士であっても互いの想念を過去へと引き戻していける。

 スマホの時代となったいま、動画も含め、きっとだれもが写真はうんざりするくらい手元にある。きっとこれからはそれらを整理する時代になっていくのではないだろうか。

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