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「虎に翼」をキッカケに、太平洋戦争開戦前についての本を読んだ話(2024/9/5 #83)

8月後半は、風邪をこじらせるなど体調がいまひとつで、必要な用事以外の遠出や運動など控える日々でした。

その代わりといってはなんですが、開始1か月を経過してから追っかけ視聴し始めた朝ドラの『虎に翼』の追っかけスピードが上がり、ついに先週末リアルタイムに追いつきました(今日の分はまだ見てない)。
できなかった事を気にするのでなく、できたことに目を向けるということで。

この『虎に翼』、三淵嘉子氏という日本初の女性判事をモデルにしたドラマで、時代としては昭和の戦前戦後が描かれています。

で、この嘉子氏の再婚相手が三淵乾太郎(けんたろう)氏という人なのですが、戦時中「総力戦研究所」という機関に所属し、日本が敗戦の道をたどることを予見していたのに止められなかったということで、ドラマではそれを悔やむ様子などが描かれています。

ドラマでは総力戦研究所について、サラッと述べられた程度ですが、ちょうど前回「太平洋戦争の終戦」についてアウトプットしたこともあり、逆に開戦時期に何があったのかを深堀たく、この研究所について書かれたロングセラー『昭和16年の敗戦』という本を、この機に読んでみました。

読んでみると現代にも通じる示唆があったため、今回はそれについて書いてみます。


「模擬内閣」の分析結果は、日本必敗

『昭和16年夏の敗戦』は、1941年(昭和16年)に設置された「総力戦研究所」にて、官民から集められた30代のエリート達が、日本が対米戦争に踏み切った場合の情勢を分析し、分析結果がどのように取り扱われていくのかを描いた作品。

登場人物はすべて実名で、そのセリフなども著者の猪瀬直樹さん(元東京都知事)が当事者への取材や、日記その他の資料にあたって構成されており、当時何があったのかを知るうえでは非常に重要な一冊です。
(ちなみに三淵乾太郎氏については、名前が出てくる程度でした・・・)

総力戦研究所に集められたメンバーは模擬内閣を組成し、「統監部」(大本営の機能を模したもの。統監部は軍幹部の人材が務めた)から逐次出される課題を分析・返答。このやり取りを重ねていき、1941年8月に「日本必敗」の結論を出します。

結論に至るまでのポイントを私なりにピックアップすると
①元々輸入できていたアメリカ、イギリス等からの資源(石油など)が途絶
②石油を狙ってインドネシアを占領したとしても、輸送する商船の2/3が、3年間のうちに相手国の攻撃で沈められてしまう
③結果、石油の備蓄が底をつき、戦争の継続など不可能
という感じです。

こうして出された模擬内閣の結論は、当時の「第3次近衛内閣」のメンバーに報告されます。

この時は「日本必敗」という結論を明確には表現せず、婉曲的に報告したものの、近衛内閣のメンバーにはそのトーンは伝わったようです。

これを受け、当時の東条英機陸相がコメントしますが、この内容が衝撃的でした。(この発言は、猪瀬さんによると「どこにも記録されていないものの、研究生の記憶の奥底にしまい込まれていたものを重ね、総合し、ほぼ正確に復元させたもの」とのこと)

「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。

『昭和16年夏の敗戦』

実際と演習は違うっていうなら、何のための演習なのか?と思ってしまうわけですが、模擬内閣の報告内容は残念ながら取り入れられませんでした。

なぜ東條英機が総理大臣になったのか?

そんな東條英機ですが、1941年10月総理大臣になっています。

なぜそんな人事が行われたのか?

交渉を続け日米開戦回避を目論んでいた近衛首相に対し、アメリカの求める中国撤退案は「十年間の輝かしい戦果を清算するなど、とても考えられない」とする東條陸相が折れず、近衛内閣を退陣に追い込みます。

この事態に対し、昭和天皇と側近の木戸幸一は、対米開戦方針を白紙にすることも含め再検討させるべく東條を首相にする案を打ち出したようです。

「自分たちの戦果とか言ってないで、事態の収拾を責任持って考えろ」、的な感じでしょうか。

首相という立場となり、天皇から対米戦争回避を求められている東條は、外交による対応も含めた調整を試みますが、最終的には1941年12月に太平洋戦争が始まってしまいます。
これを左右したのは「1つの数字」です。

開戦判断を左右した1つの数字

「模擬内閣」には官僚や大手企業の社員もおり、重要資源のデータも入手可能だったものの、「石油の備蓄量」については彼らもデータを保有していませんでした。

東條内閣でも、「石油の備蓄量」が戦争継続可否を左右するということで、1941年10月に陸海軍・政府の限られた職員が、石油の備蓄量見通しを議論。結論としては「南方の油田を占領すれば、3年間石油は残る」というもの。

この議論に参加していた陸軍の高橋中尉は「末席にいた私の見ている前で数字がどんどん膨らんでいく。複雑な思いだった」と回想しています。

膨らんだ数字というのは、南方の油田を占領した場合の産出量のことで、会議の場で陸軍が1年目30万・2年目100万・3年目250万トンとの見込みを出すと、海軍からも自分たちが占領する油田から2年目100万・3年目200万トンとの見込みが出てきます(重要資源の入手と管理を、別組織がバラバラにやっているのも、素人目ですがちょっと疑問です)。

この数字を以て「これならなんとか戦争はやれそうだ」という判断に進んだ訳ですが、まだ確保もしていない油田の産出量想定を根拠にしてしまうあたり、「3年間戦争を継続できると判断するための数字」をつくったようにも見えてしまいます。

結果的に占領した油田からの産出量は500万tに達し、軍の見通し通りではあったものの、「模擬内閣」が予見していた通り輸送用のタンカーが米軍の攻撃により沈没し、日本にやってくる石油は不足し、戦況は悪くなっていくのでした・・。

開戦前の出来事は、現代にも通ずる話

太平洋戦争開戦前の、重要なポイントと思われる「シミュレーション結果を、机上の空論として取り入れない」「意思決定するための数字をつくる」といった出来事は、現代でも聞き覚えのある話です。

製品の性能検査の際の数字の改ざんといったニュースは、定期的に見聞きするところですし、少し前ですが大企業の東芝において決算の粉飾という話もありました。

「良い数字を出したい」という思いはあれど、実態と異なるものを世に出しても長続きできないことは歴史が証明しています。

私も今後「数字」と向き合うことがあると思うのですが、
「数字」は良くも悪くも正面から受け止め、そのうえで「ここからどうする?」というのを考え、次のアクションにつなげるためのものとしたいところです。

では、今回は以上です。

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