診断書を武器にしたら倒れた話

 この手の話はあまり強烈にブログに書きたくはない。
 というのは、「よし、もう1回オンライン小説家としてやってみようかな」と決意してそれなりに書き始めたり、昔書いた(その『昔』のレベルが20年前というところに驚き呆れる)小説を思い切り職場のプリンターでプリントアウトして、A4用紙200枚を軽く超えて(しかも両面印刷かけたけどな)自分で読んで楽しんでいて書く気にならねえぞとか、そんな平和な話をブログに書いていたので。
 そんな平和な話を書いたら、noteを開いた意味がないではないか。
 こちらには、わたしの尊敬する某文筆家の有料記事からインスピレーションを得て書いたものと、わたしのめいっぱいのヘドロを書くと決めている。


 特別支援学級というのは、何もしなくても入れるところではない。
 通常学級はフツーに、なーんにもしなければそのままその学年にところてん方式で進級する、それが公立小中学校の義務教育の仕組みだ。特別支援学級に入るにはそうはいかない。
 まず、千差万別であるが、通常学級に在籍する上で、または在籍している中で、学習上・生活上の困難があったとする。
 その困難に誰が気づくかは時と場合によるので横に置いておくとして、
 さしあたり、方向性を決めるために会議を開く。出席者は本人・保護者・担任等・管理職などである。今までどんなことに困ってきたのか、対策というか支援はしてきたのか、それは通常学級では難しいのか云々。
 そのときの客観的な資料として使われるのが、わたしが普段取り扱う知能検査だったり、わたし以外のメンバーが取り扱うWISC-Ⅳだったりする。(ちなみにわたしはWISCを取り扱わなくてよい方向で決定した。世の中がもうWISC-5に切り替わる中、研修を受けるためには検査物品を購入していないとダメだということがわかったからである。自腹で10万以上を払う趣味はない。わたしは田中Bでやっていく)
 で、話し合いの結果、「入級へ向けて」となったときは、あくまでわたしたちのところのやり方として、個々の様子を書いた資料を提出することになる。
 その中にわたし以外のメンバー、あるいは医療機関で受けたWISC心理検査、またはわたしが年長児に行う田中ビネー知能検査を添付する。知的障害特別支援学級の場合は、それでFIQが…低い…的なことになると、およそなんとか申請可能。
 心理検査・知能検査の結果で彼らの困難さを客観的に証明できない場合は、小児科・精神科等からの医師の、診断書が必要になってくる。


 ここでようやく最初の話に到達する。つまりは、診断書をとってきてほしいと話したり、こういう手続きがあるとか説明するのは、場合によってはわたしの仕事になるということなのだ。
 今回わたしに極度のストレスがかかった一件については、ひとえに書類の締切ギリギリで、さすがのわたしも時間は止められないというところがあり、胃がキリキリ痛んだわけだ。
 わたし自身は医療機関の受診を勧めてきた。高校入試のときに校長意見書を書いてもらい、必要によっては試験問題をルビつきにするとか、本人が集中して試験を受けられるように別室にするとかの必要が出てくる、そのためにはLDとかADHDとか、何らかの発達障害的な要素があるのかどうか、ないとしてもどのように支援をしていけばよいのかやはり学校に伝えるべきだから、受診してほしいと。
 それが、「7月の話である」。noteの日付を見ればわかるだろう、今は11月だ。
 『みんなが容易くこなすことがさ〜』できるひとはわたしのところへ個別指導を受けに来ない。
 わかるよ、広汎性発達障害っていう診断書もらえば、自分の子どもは「絶対障害者なんかじゃない」っていう考えが崩れるんだよね。自閉症スペクトラム』『自閉スペクトラム症』って聞けば、「うちの子は自閉症じゃない」って言いたくなるのもわかる。非常によく理解できる。現にわたしの両親は、わたしが,発達障害なのを認めないから。
 ただこの学生の場合、実際授業についていけなくてお客さん状態になっていて、中間試験で5教科100点未満じゃ話にならない。
 で、「こういう選択肢もあります」ということで、特別支援学級在籍を視野にという手玉を投げたのが、10月末。投げたわたしも遅かったことは否めないが、この辺りはもう仕方ないとしておく。なぜならわたしが手玉を投げた相手はわたしの学校の児童ではなく、月に1度しかわたしのところに来られないからだ。本来であれば在籍校がもっともっと早く気づくべきだったとわたしは強く非難する。
 先日学校で話し合いが行われ、わたしは保護者のうちの一人が、診断書をもらうのに躊躇っているという話を聞いた。
 …やっぱりかよ。肩から力が抜けた。
 わたしも自分の"仲間"ではないだろうことは承知している。しかしながら今の法律では、自閉症・情緒障害特別支援学級に在籍するには、どうしても診断書が必要、というのが暗黙の了解だったか明文化されていたか。明文化まではされていなかった記憶があるが、少なくとも県教委から在籍の許可が降りない。
 これしかないな荒療治、と思って策を用意したわたしは先日、指導後の面談で保護者の話を十分聞いた。遮らずに聞いた。相槌だけ打ちながらわたしにしては,本当によく聞いた。
「…なるほど、そうでしたか…。学校からも市教委からも連絡はいただきましたが、お母様がおっしゃりたいこと、よくわかりました。やっぱりいろいろな角度からお話を聞くの、とても大事です。ありがとうございます」
 …その上でわたし、今から●●さんを説得にかかります。(わたしは余程のことがない限り、保護者を『お母さん』『お父さん』とは呼ばない。なぜならそれはあくまで不特定の名詞であり、固有名詞ではないからだ)
 わたしのことばに、保護者は目を点にした。
 そしてわたしは、ばさっと2枚の診断書を並べて見せた。

 1枚は『気分変調症』と書かれた診断書。
 もう1枚は『広汎性発達障害』と書かれた診断書である。

 わたしは卑怯だ。手段を選ばない。だから、
「今この診断書とわたしをご覧になって、今まで4年半でしたか、お話してきたわたしの印象、診断書で変わりますか?」
 と,平然と聞いてやったのである。この質問に「はい」と言える猛者がいたら見てみたい。
 要するにわたしは、「とっとと診断書もらってこい、こんなものなどただの紙切れだ」と言いたかったのである。

 二つの診断書の診断名が違うのには訳がある。
 『気分変調症』、要は軽い抑鬱状態がえんえん続くといった障害だが、こちらは医療費控除に使っている。特定の精神科の診療費が1割負担になるというものだ。1ヶ月に支払う医療費の上限もあるが、わたしの場合、薬さえあれば安定しているので(なにしろ発達障害者の自立活動を行う人間だ、ある意味わたし自身の学びにもなっている)月1の出番になる。
 他方、『広汎性発達障害』は、月1の病院通いの時間への配慮をお願いしたく、学校へ提出したものだ。「発達障害ということは、心身の故障ということになるから、分限処分の対象になる。診断書は学校で預かる」。校長の言だが、だったら職場でこころの病を抱えている先生たちと助け合いましょー、という教職員組合の取り組みとは完全に矛盾してますけど、校長昔組合の役員やってましたよねだから管理職になるの早かったんですよね、は黙っておいた。(実際まことしやかにそういう噂はあるし、わたしは事実だと思っている)
 つまりわたしは、時と場合によって、診断名の違う診断書を使い分けて生きているのである。

 広汎性発達障害は、
 実際わたしのように、検査等で発達の凹凸や特性が強く出ているのであれば話は早い。この際数値をざっくりだが公開してしまえ、どうせ誰も読んでいないのだから。
 言語理解がおよそ115〜120、知覚推理が110〜115、WMIが105くらい、処理速度140以上。ぶっちぎったようだ。F IQ、いわゆる知能指数が108〜130程度である。これらの数値には多少幅があるのが普通だ。ただし言い訳のように書くが(そして正確な数値は後日入れよう)、わたしはこの日、二日酔いだった。二日酔いの午後に呼び出されて、途中休憩はあったものの、3時間かけて検査をしたのである。はっきり、二度とやりたくない。
 桜崎先生、この日本気だった?たぶん全体的にもっと高くて、IQは125〜130、もしかしたら140くらいあるよ。スクールカウンセラーのことばである。そんなに高いIQがあっても宝の持ち腐れだ。
 こういう、わたしみたいにグラフがガックンガックンしているやつを『自閉症スペクトラム』というわけなのだが、そうでなくても診断書は必要。
 診断書はなくても配慮事項は聞き取りでわかる。でも診断書があっても特性は千差万別なので、結局話は聞かざるを得ない。
 この非効率な教育システム、いい加減なんとかならんのかと思いつつ、わたしは自分の診断書を盾に、なんとか説明し、診断書を取るために動くという確約を取ることができた。


 その代わり、この土日、反動が凄まじい。
 なにしろ、生徒を持ち上げる代わりに自らをdisりまくるのである。こういう、わたしみたいやつがまさに自閉症ってやつです、でもですね…。
 何をやっとる、と自分でも言いたくなるディスりっぷりで、
 武器としての使い勝手は良かったが、結果、わたしは土日に倒れるハメとなった。日曜日に救急外来で精神科に行くと決め、こっちも下手に出ながら電話しているのに、受付が、
「今日日曜日って知ってますか」
 的な質問をしてきたので、ブッチリ切れて、
「バカじゃないんで。で、救急医からだとジェイゾロフト出ないんですけど。なんですか、救急車で乗りつければ薬もらえますか」
 と2回脅してやったら診てくれた。はっきり、良い子は真似しないでもらいたい。
 その後診察室でも初対面じゃない院長にメンチ切るわ、怒鳴りつけるわ、泣くわ、院長曰く、
「前回診察したときは、こんなに調子が悪そうではなかったんだけどねえ…」
 すげえこの医者、うちの親は怒鳴りつけたぞ。
 と思いながら、次回も院長診てくださいますかとお願いをして(結局3月末に退職した前の主治医の続きを引き継いでくれた医師と、相性が合わなかったんだと思う。わたしの言った通りに薬処方する医師がどこにいるんだよ。便利だったけどな。でもまとめて飲んだら死ねるぞあの量。信頼しちゃダメだろう、アスペなんだから頭いくらでも回るぞ)帰ってきた。
 差し当たり明日出勤したら、金曜日のラスト枠に指導した生徒の教材箱の中から、わたし自身の心理検査の結果を引きずり出さなくてはならない。


 こんな調子なのだ、これからどうするの。結婚するの。子どもは。
 聞かれたこともあったし、結婚だけはいまだにどうするのかわたし自身も迷っているところがないわけではない。でもわたし自身、感情の制御がつかないのを「調子が悪い」と見抜いてそうっとしておいてくれたひとは、前の学校で一緒だったA先輩だけだ。(既婚者だと思うけどな。プール掃除でも外さなかったマリッジリングはどこへやったよ)

 ときには精神も削る。
 自分もディスる。
 で、どういうふうにすれば自分の思う通りに進むのか考えるのだけれど、だいたいそれは、わたし自身が企んでいることをその通りにしたいというより、わたしが企んで実行したことが、子どもたちのためになれば。それだけの話。

 今後診断書を振りかざそうと思ったら、前日によく寝て、その日もよく寝た方がいいと思う。


追記。(11/21)
やはり金曜日ラスト枠、身を削って面談した生徒の教材箱に入っていた。
全検査111-120
言語理解116-121
知覚統合102-116
作動記憶94-106
処理速度121-134
改めてこの数値を見ると、自分でも下位検査見てるけど、下位検査の数値も差があることから、取り扱いは慎重に、とわたしなら書くだろうな。

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