筆を折っている理由

 こんばんは。今日もお疲れさまです。


 という文字が出てきたので、そのまま打ってみた。

 先程まで、久しぶりに原稿用紙に向かっていた。現代を主軸にした小説は長いこと書いていない。考えたら、特別支援教育に関わるようになってから、なかなか書けなくなった。

 わたしという作家は、その時々に自分が置かれている環境を何より大切にして小説を書く。だからあまり突拍子もない作品は書けなくなった。突拍子もないというか、いわゆるSF的なものとか、特異な設定のものは書けない。学生の頃書いていた作品を読み返すと(もうジオシティがなくなったからデータもすっとんだし、わたしも学生の頃の過去作は全て消してしまったので、記憶で振り返るしかないけど)、当時好きだった先生との話とか、学生生活でこんなふうに送りたかったなとか(舞台は教育学部だ)、そんな感じだ。
 就職してからも書いてはいたけれど、結局場面設定が職員室になってしまう。なんともリアルになりすぎてしまい、歴史小説を書くようになった。あるいは二次創作的な、登場人物の設定を何処かから借りて、わたしのテイストを入れて書くようにしていた。

 歴史小説はまだブログに載っているので、よかったら見てほしい。今年の大河の影響もあるのか、過去作、そこそこ需要があるようだ。わたしが濃姫、お市の方、淀殿、千姫などというリレーをしたからだと思う。まだ挿入できそうなエピソードも思い付いているので、そのうち書くだろうけれど。
 歴史小説には、山岡荘八先生の『織田信長』が欠かせない。あと、下調べも重要。

 現代劇を書くとして、わたしが書きたいのは、民間の塾。それも特別支援教育専門の塾だ。
 要するに今わたしが公教育として行なっていることを、もし民間で、それに特化してやったらどうなるのか、というところ。それくらいしか書きたいことがない。
 わたしの場合は趣味だから、文学賞も考えてはいるけれども、やはり地元のものは年齢が多少高くて、内容が昔のことで、あるいは介護とか老いとか、そういうものをテーマの下敷きにしている作品が入賞していることが多く、二の足をふむ。それらのことは、まだわからない。
 民間の塾の話は書きたい。

 以前はパソコンで書いていた。机の上にパソコンは出しっぱなしだったし、書きたいときに書いていた。最近はパソコンを見るとどうしても仕事をしてしまう。単純に遊び道具ではなくなった。
 そして筆を折った最大の理由が、精神的負担だ。
 自分が何かの世界を書き始めると、どうもその世界に入り込みすぎるらしく、自律神経を壊すことがわかってきた。睡眠不足になるとか、寝つきが悪いとか、仕事に集中できなくなるとか。いわゆる本末転倒的なことが起こってきて、平日に書くことが非常に難しくなったのである。



 今は夏休みだ。
 書こうと思えば書けるじゃないか。
 こうしてiPadにキーボード繋げば、パソコンを出してこなくてもいいわけだし。


 そのうち、ブログの方に新しい作が…どうだろう、載るといいなあ。桜崎比呂が良くても、編集というか責任者である「わたし」がゴーを出さないと、ブログにはなかなか載せられないので。
 所詮、わたしの書き物は、学級通信以外、趣味なのである。(その学級通信も、書かなくなって10年も経つ。きっともう書けないんだろうなあ。あの瑞々しさ。別人だ)









 主人公は初くんという。はじめくんだ。
 はじめくんの勤める会社の店長が苗子さんだ。苗子さんははじめくんの恩師。
 それぞれのプロフェッショナルが集まる、一見バラバラな会社。そのバラバラさ加減に、わたしという人間の特性をバラバラに分けて、注ぎ込む。
 そして、わたしという人間の特異な発達特性を全部配りわけて、最後に残った、わたしにとって最大の滓、「お前はなんで生きてるんだ」といつもわたしを責め続ける、最低の部分の残り滓を、リイという人間に注ぎ込む。まだほとんど書いていないのだが、おそらくこいつがキーパーソンだ。
 わたしはあれこれ考えて小説を書かない。勝手に手が書いてくれるのを、わたしは読んでいくだけ。だから、リイがどのように動くのかも、実は書いてみないとわからないし、苗子さんがなんでこんな利に合わない仕事を始めたのかも、正直わからないのだ。
 そんな不思議な書き方をするのだもの、そりゃ精神力消耗するわと思う。すでにここまでのnoteを書いてきて、頭の奥がくらくらする。
 でも面白そうなので、書いてみようと思う。会社名は、さっき思うままにボールペンを動かしていたときに出てきた。『ルーカス』だ。

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