note書け圧

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いやいや、誰も読んでねえしと思いつつ、じゃあまあ、向こう(ブログ)に載せた新作、こっちにも載せます。ちゃんと着地したやつ。それで許してちょんまげ(古)



⭐️一次創作です



小説『だったらこの感情の着地点はどこなんだろう』-Misty Life-(2023/8/23加筆修正済)

「ただいま」
 すぐに返事がないのはいつものことなので,僕は靴をそろえると中に入った。僕の家のようで僕の家ではない,彼女の家。法廷上の妻の家だ。
 そろそろ帰ると連絡をしていたから,玄関の鍵は開いていて,チェーンロックだけになっていた。些か不用心だとは思うけれど,入口の警備が非常に堅牢なので(24時間警備員配置),そこは突っ込まないことにしている。
 廊下からリビングに入ると,珍しく妻はリビングにいた。
「おかえりなさい。冷蔵庫に𩸽の開きが入ってる」
 何かの冊子のページを熱心にめくりながら返事をする。妻の流依子は全くこちらを見ようともしない。何に熱中しているのか,僕も聞かないのだけれど。聞いてもまともな返事が来た試しがないからだ。
「ほっけ……焼けってこと?」
「レンジだね,この場合」
 流依子は先に食べたのだろうか。時刻は20時半。いつも書斎でアルコールを片手に書いている時間ではないのか。珍しいこともあるものだ。僕は自分の部屋で着替えてきているので,特にシャワーも何もいらない。遠慮なく冷蔵庫を開けると,焼いたほっけの開きがラップをかけられて中に鎮座していた。
「焼いてくれたの?」
「ん,どうしようかなと思ったんだけど。焼きたてのほうがおいしいし。でも帰って来てからいろいろ,グリル出すとかフライパン出すとか面倒でしょ。だから。隣にご飯とみそ汁」
 ぶつ切りのような彼女の説明を何とか一度で飲み込んでから冷蔵庫の中をよく見る。確かにほっけの開き,茶碗にご飯,お椀にみそ汁,きゅうりとわかめの和え物が置いてあった。立派に夕食の献立だ。その他諸々,ボウルとか調理の途中というか作り置きみたいなものが入っているようだった。あまりまじまじ覗くのも申し訳ないので,必要なものだけ取り出すと僕は早々に扉を閉める。
「実のところ,ちょっと疲れていたから。助かったよ」
 山積みの書類をようやく今日きりよいところまで捌ききったのだ。確かに帰って来てから自分で魚を焼く元気はない。夕食を食べないで終わりにするところだったと思う。
「あらそう。わたしもなんだかんだで仕事終わったの,早かったから」
 流依子は手に持った少しおおぶりの文庫から少しも目を離さずに話す。
「そうしたら賢太郎帰って来るっていうし,それなのに(『それなのに』,ね……)一倉さんはいないっていうから。別にふたりぶんの夕食をつくることが苦なわけではない。こういうのは慣れじゃないの?」
 ふと目に入る,黄色い服の女性。変わったかたちの大きな文字。どちらも流依子が手に持っている本の表紙,つまり,
「……漫画?」
 確か,彼女は小説家だったはずなのだが。不思議に思って夕食の献立(皿たち)をダイニングテーブルに並べながら聞くと,
「担当の子がおもしろいって言って持って来て,勝手に置いてった。でもおもしろい」
 リビングの2人掛けソファにあおむけに寝転がり,流依子はすばらしい速さでページをめくる。『…国日…』と,漫画のタイトル文字が少しだけ僕の目に入った。そうこうしているうちに黄色い服の女性が表紙の冊子は読み終わったらしく,次の巻を手に取っている。
 今年は猛暑が続く。今日は1日内勤だったが,それはそれでクーラーが効いた室内と外気温との差が大きく,よけい暑く感じた。ここに帰ってくるまでに汗だくになり,シャワーは浴びてきたけれども,やはり暑いものは暑い。
 かぼちゃのみそ汁をレンジで温めるのはやめて,ほっけだけレンジに入れた。控えめな,食材の味がよくわかるように調整された食事。彼女はいつの間に,僕が好きな味つけを覚えたのだろう。僕のためだけの料理など,数えるほどしかしていないと記憶していたけれども。
「……親が死んでも子どもは生きていけると思うよね」
 ほっけの骨を箸で取り除こうとすると,ふと彼女がそう呟いた。……急にどうした。僕はこっそり漫画のタイトルを盗み見ると,すばやくスマホで検索をかける。どうやら有名な漫画だったようで,あらすじがすぐに出てきた。……なるほど。
 流依子も両親を亡くし,伯父夫婦に育てられた人間だった。
「……それは生物学的にってこと?」
 彼女の性格を考えて慎重に返事をすると,そうそう,と彼女は答える。方向的に間違ってはいなかったようだ。うかつに『お金が』は違うし,『支えてくれるひと』などと返事をすれば,すぐに薄っぺらい話だと言われ,この会話は終わることが目に見えている。
「でね,この漫画,親を亡くした子の心情がずいぶんドラマティックに描かれていて,描写が悔しいほどうまくて。劇中作の小説も,湧き水みたいに透明できれいでね,いい表現だな好きだなと思う一方でさ」
 そこまで言うと,流依子はおもむろに読んでいた漫画をばさりと乱雑にかたづけてダイニングにやって来る。ドカッという勢いで僕の反対側の椅子に座ってから,
「わたしは自分について,そんな,悩んでいる余裕も資格も価値も理由も,なかったように振り返る」
 と言い切った。
 悩んでいる余裕,資格,理由。彼女も小説家であるから,ことば選びも使い方も,特に自分のことを話すときには少し独特だと思うことがある。でも,
 “親が死んだことについて悩む価値”
 これはいったい,どうとらえたらよいのだろう。
「価値……」
「人間としての価値はなかったと思うよ。たらいまわしとかできないくらいだったし,捨てられる寸前だったし。あんなにお葬式にひと来なかったし。そもそも伯父さん夫婦だって会ったことなかったし。だから,贅沢なんだと思った。朝のこと。世の中の感情は二つじゃねえよって。少し変わり始めてはいるけれども,その成長はすごくいい描かれ方されているけど,でも,「ずるい」と「むかつく」じゃ,簡単すぎてやってられない」
 流依子が話しているのを,僕はほっけをつつきながら聞く。
 何のことかよくわからないけれど,おそらく彼女が読んでいた漫画の話をしているのだろうと推測はできた。どういうストーリーなのかは,ネットで調べられる範囲のことしかわからないけれども,感想なんだろう。自分との共通点を見出して,それに対して,恐らく,感情をざわざわとさせている。書いていないときは落ち着いていて,冷静な彼女らしくもない。
「完結してるの?その話」
 とりあえず話の矛先を内容から逸らしてみることにした。完結しているのだとしたら,物語としての片はついているわけで,彼女も物語の終末から自分の考えを整理し,まとめて感情を落ち着かせることができるだろう。
「全,11巻」
 ……よかった。無事に完結していた。しかも,そこそこちょうどいい感じの冊数だった。僕が昔好きだった『三国志』は60巻以上あったから,もしそれだけ細かく描写されていたらどうしようと考えていたところだった。心配する方向がずれる。
「編集さん,今日何時に来たんだっけ」
「……っ,15時,だけど」
 となると,打ち合わせに1時間くらいかかって,流依子の場合,家で誰かに会った後はシャワーを浴びることが多い。いろいろ時間を逆算して,
「君,ごはん食べた?」
 と,ふと思いついたことを聞いてみると。
「…………ごはん,……え?」
 ということになっていたようだった……。集中しすぎていて,僕の分は準備してあっても,自分は食べていなかったということだ。おかしいと思った。
 さっき冷蔵庫を開けたときに見つけた,生のほっけの半身。普段冷蔵庫に入れるはずがないボウル。つまり流依子のほっけは今から焼くわけで,冷蔵庫に入っているボウルの中身は,流依子の分の和え物というわけだった。普段の夕食のとき,彼女はご飯とみそ汁は食べないから(代わりに酒を飲む),もっと早く気づけばよかった。
「皿と箸出すよ。一緒に食べよう。ほっけは半分になっちゃうかもだけど……。何も食べないよりいいでしょ?」
 僕の方が年下のようだ。一生懸命,普段世話をしてもらっている姉に恩義を返すかのように,僕は箸をおいて立ち上がると和え物を皿によそって流依子の箸とともに彼女の前に置いた。冷蔵庫を覗いてつまみになりそうなものが何かないか探すと,昨日の残りの夏野菜のスープ煮(一倉さんが持ってきたやつだ。つまり彼の家族がつくったものになるのだが,その辺りは結婚してこの1年,もはやこだわらないことにした)があったのでそれを出し,スプーンとワインを出す。
「どうしたの急に?」
 流依子は年相応(20代半ばだということを,僕はしばしばわすれる)の表情をして,僕を覗き込んだのだけど。
「なんでもないよ。一緒に食べよう」
 僕は何も言わないで,一緒に夕食を食べることにした。夏野菜のスープ煮と,流依子が出したクラッカーとクリームチーズのせいで,食卓に統一感的なものは一切なくなったけれども,もはやそんなことは気にならなかった。



 彼女の頬に流れる涙。それさえなくなれば,僕はどうでもよかったのだ。



「ほっけおいしいね。やっぱ焼こうかな」
 流依子はそう言うと立ち上がる。呼吸が少し落ち着いていた。冷蔵庫からほっけを出してラップをはがし,菜箸を出してグリルを引き出したとき,彼女はようやく,何かに気づいたようだった。
「そうか。わたしが泣いてたから」
 ……。そういうことではあるけれども,なんとなくそれだけでもないのだ。だから,
「“理由は一つだけとは限らない”けどね。一応僕も人間だから」
 と答えて,ミネラルウォーターをグラスに注ぐ。流依子にはワインを。
「人間の行動にはいくつもの理由がある。だから,わたしが泣いたことにも,きっと,いくつもの理由があったんだろうね。漫画だけじゃなく。感情の奔流が。そう思っておいたほうがいいかも」
 自分で自分の感情を押さえつけるように強く言い聞かせて,流依子は涙を拭く。ほっけを菜箸で取ると,何事もなかったかのように調理を始めた。
「賢太郎ももう少し食べる?っていうか,食べきれないからあと少し食べて」
「了解」
 変わらない秩序,落ち着いた雰囲気。……揺れる感情。僕たちの気持ちは一向に落ち着かないまま,時間だけが過ぎていく,夜。
「……あのさ」
 ほっけの焼き加減を確認しながら,追加で何かの用意をしてくれている(コーヒーのようだった。僕のためのものだろう)流依子の背中に話しかけた。
「何」
「君でも,感情が抑えきれなくなることがあることを,僕は今日,初めて知ったよ」
 馬鹿だと思われてもいいから,と思って本音を伝えても,彼女は振り向かない。ふふ,と笑ったようだった。
「そもそも物書きとは,その文章の中に自分を爆発させるものだと,わたしは思っていたけれど?今回はたまたま,生身の人間の方に出てしまったのを,賢太郎が見てしまっただけ。わすれてちょうだい」
 どの皿がいいかな~などと言いながら戸棚を覗く彼女の背中を,僕は黙って見つめる。
 感情の奔流。初めて覗いた彼女のこころの中を,僕はわすれられるわけないだろうと思った。そうでなければ,


 僕が思った,『君が泣いているのはどうしても嫌なんだ』という思いは,どこへ着地すればいいんだ。

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