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母の記憶の中に小学生の頃の僕がいない

 つい先日、母と会話をしていた時のことです。

 僕が以前勤めていた個別塾(中学生時代お世話になった塾)には、僕の小学校の後輩達が沢山通っていました。中学の後輩も数人通っていました。まぁ、つまり、受験に特化した進学塾ではなく地域の子供達が通う塾なんです。
 僕の担当生徒には何人か後輩がいました。その子達から今の学校の様子を聞くのが、実は少し楽しみでした。
 そこで驚いたのが、自分が通っていた小学校が今やかなり荒れた学校になってしまっているということでした。僕が通っていた当時、いじめや校内暴力はありましたが、先生を精神的に追い詰めて退職させる、クラスメイトで協力して授業妨害、学級崩壊、なんてことはありませんでした。
 何が驚いたって、教え子が担任の先生を辞めさせたことをさも武勇伝のように語っていたことです。教育現場は想像を絶する程大変だろうと、教員ですらないのに頭を抱えました。

 そんな話を母にした時、母は全く別の視点で驚いていました。
 母は僕が小学校に通っていた時にいじめや校内暴力があったことを知らなかったのです。これには僕も驚きました。なんて言ったって、自分自身、校内暴力に加担していたからです。
 当時、僕に校内暴力という認識はありませんでした。学校の先生方も、生徒同士の暴力を「個人的な喧嘩」として処理していたので、当事者である我々も「ただの喧嘩」だと思っていました。
 今思い返すと、あれは喧嘩というレベルではなかったように思います。道具(金属製のちりとりやほうき、道具箱に入っていたものさしやハサミ)を平気で使うわ、階段から突き落とすわ、異性で取っ組み合いになるわ……。よくもまぁ、先生方は保護者に連絡しなかったものだなぁと。
 先程述べたように、僕自身、この凄まじい校内暴力に加担していました。階段から突き落とされたことがありますし、金属製のちりとりで目を思いっきり殴られたことがあります。プラスチック製のものさしで首筋を切られたことも。その分、気に入らない相手を殴り飛ばしたり、蹴り飛ばしたり、暴言も吐いていました。
 喧嘩両成敗で当時は済まされていましたが、ここまでの暴力が横行していたのなら、子供が親に言いつけて事件として発展していたり、保護者が学校にクレームを入れていてもおかしくないでしょう。
 少し気味が悪いのは、この校内暴力が全く保護者に知られず、全く何の問題にもなっていなかったことです。

 この話を聞いた母が言いました、小学生の頃のあなたは学校のことを話してくれなかったのだと。そもそも、家庭で話をすることもなかった。だから何も知らなかった。どんな友達がいたのか、誰と遊んだのか、全く何も分からない。

 今思い返すと、小学生の頃はあまり親に心を開いていなかったように思います。週に4日は塾や習い事で夜遅くに帰宅していました。もちろんその分、親の帰りも遅かったです。土曜日は父は仕事、母は僕を何処かに預けて出掛けていました。日曜日はたいてい2人とも寝て1日過ごします。お盆やお正月は一緒に過ごした記憶がありますが、それ以外は買い物とか競馬とか、それ以外はあまり記憶がないんですよね。過ごした記憶も、話した記憶も。
 そりゃ、小学校でのことなんて知らなくても当然か……と少し納得しました。

 加えて小学生の頃の両親と言うと、毎晩毎晩夫婦喧嘩。離婚だなんだと騒いでは、お互いに相手の愚痴を僕に言い聞かせ、離婚したらどっちに着いて行くだの、お前はどっちの味方だの、そんな記憶の方が濃いです。それに加えて、勉強のことで叩かれたり叱責されることも多かったように思います。

 学校で何かあっても、そんな親には報告しないか……そんな親だから子供の障害にも気付かなかったのか……。少し悲しい気もしますが、冷静に受け入れられた自分もいます。

 もしかしたら喧嘩をしていた相手の子も、家庭に何か問題があったのかもしれませんね。だから、学校のことを親に話さなかった。結果、校内暴力が表に出なかったのかもしれません。

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