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「たべものラジオ」で食の解像度が上がる

Podcastを長いこと聞いてきているのだけど、聞く番組はそこまで多くはなくて、せいぜい5つ程度。けど、もうちょっと広げてみようかと思い立って、検索していたら見つけた「たべものラジオ」を聞き始めた。

お二人ともが日本料理の料理人という武藤さん兄弟が、主に歴史背景を踏まえながら食材や料理についてあれこれ語るラジオ。ここ数年で「コテンラジオ」にハマり歴史の面白さを知ったところに、もともと興味がある食に関する話題ということで、これは聞かない手はない、と。

実は他にもいくつか聞き始めてはいたのだけど、「たべものラジオ」が一番内容が深くて話が濃かったので、これ一本でずっと過去回を追いかけている。ちょっと脱線が多いので話の筋を追いかけるのが大変なのだけれど、話し手の情報量と知識量が凄いのでためになることが多くて面白い。料理人の傍らでここまでのinputができるのは、ちょっと信じられない。本当に凄い。

そんな「たべものラジオ」の中で、これは本編ではなく雑談会だったと思うのだけれど、ちょっと興味深い話題があった。

子供の頃は苦手な食べ物や好き嫌いがあるのはある意味必然だけれど、そこで親の側が「食べなくて良い」としてしまうのはあまりにもったいない、ということ。

これは本当にその通りだと思っていて。

自分は嫌いだけれど周りが美味しいと言っているものは、少なくともそこになにかしらの良さがあると世間一般では認められているわけで。一度食べてそれが分からなくても、二度三度と食べているうちにいつしかわかるようになってくる、こともある。それを一度食べて嫌いだと判断したからもうずっと食べない、親がそれを許してしまう、というのは、食文化の断絶につながると。何度か失敗したとしても、その良さを理解させてあげたい、という思いは大切なことだと。

ちょっと視点は違うけれど。

「見栄」や「カッコ良いから」というのも、動機は不純に思えるかもしれないけれど、入り口としてはとても良いものだと思う。今自分はウイスキーがとても好きだが、最初は「ウイスキーを飲む大人の姿ってカッコいいな」と思っていた部分はかなりあった。スコッチのシングルモルトでウイスキーにハマって、その中でピートの利いたボウモアを飲んだときは、正直言って「こんな薬品臭いもののどこが美味いのか」と思った。けれど、ボトルで買った手前飲むしかなかったのと、これが美味い美味いという人達の多さが気になって飲み続けていたら、ある日突然美味しいと思うようになった。

ウイスキーは「アクワイアード・テイスト」、つまり後天的に得られる味覚によって味わうことができる、と言われる。もともと人間が持っている味覚、先天的にある味覚は「甘味」「旨味」「塩味」「酸味」「苦味」の5つで、それ意外の味を理解することは後天的に得られるもの。ウイスキーのような、普通に考えたら刺激が強すぎる上に旨味も甘さも感じにくいものを美味しいと思うのは、先天的にはまず無理。でも、人間は成長していくと理解できるようになっている。

普通の食材や料理についても同じようなことが言えるはず。あの人がお気に入りだというあの料理を、外国人が美味しそうに食べているあの食材を、自分も美味しいと思えるようになってみたい。それが似合う自分になってみたい。そういう動機って、結構大きいんじゃないか。

味覚や嗅覚は記憶と結びつきやすいので、トラウマのような経験があると絶対に食べれなくなってしまう、ということもあるのだけれど、そうではないのなら、一度や二度のトライで挫折するのは、ちょっと勿体ないな、と。

自分にとってこういう経験の中でも大きなものは、南インド料理のミールス。過去にどこかで書いたかもしれないけど、大森にあった「ケララの森II」で初めてミールスを食べたとき、その美味しさは全然分からなかった。正直、おかわり自由というところに惹かれて2度目の訪問をしてみたものの、それでも全然だった。でも、周りの人たちの美味しいという会話と、待ち行列ができるほどの人気を理解したかった。

3回目に訪れたとき、唐突に美味しいと感じた。なんでかは分からなかったけど、ようやくスイートスポットというか、「美味しいと思える食べ方」が理解できた、ような気がする。食べ方自体はもちろん説明書きがあったので頭では理解していたのだけれど、このときやっとそれが会得できたのかも。その後は何回も通ったし、他の店でもミールスが徐々に増え始めて、見かけるたびに注文するようになった。

その結果、今でも相変わらずインド料理、特に南インド料理はとても好きなジャンル。あのとき、理解しようと思わなかったらこうはなっていなかったかもしれない。

たべものラジオの中でも語られていたような気がするけど、食について知ることは、日々の食事を少しだけ豊かにすることなんだ、と。本当にそう思う。食についてのリテラシーや解像度が上がると、いつも食べている料理が、たとえ同じだとしても、知る前よりももっと美味しさがわかるようになってくる。よく「情報を食っているんだ」なんて揶揄もあるけれど、適度な情報は解像度を上げる。情報に飲まれさえしなければ、つまり知識を正しく使えれば、これほどの武器はないと思う。

食について知ることは、人類の歴史と、今自分が食べているものについて知ること、なんだな。


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