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KHAMSIN(カムシン)

僕が大学を卒業して間もなく、あまり仕事もなく同期と色々なバンドを組んで活動していました。
その中に「Electric Guys」と言うBrecker Brothersのコピーバンドをやっていました。
リーダーは、トランペットの房原忠弘。音大の同期です。
そのメンバーの中に中学高校で先輩だった、松田"GORI"広士が参加していました。
このバンドの初演は、今やFUNK SESSIONでもお馴染みの「高槻BIRD」のこけら落としでした。
BIRD主催のイベント「金網LIVE」でも爆音をお届けしました。
BIRDでLIVE->八丁畷交差点を南に少し下った焼き鳥屋さんで打ち上げが定番やったのですが、その時にGORIさんに、
「お前は、後輩ばっかとやってんと上のもん(者)とやったほうがええ!」と言われたのを覚えています。
うちに帰って、段々イライラしてきて・・・・・
次の日、GORIさんに電話。
「昨日言うたくれた事やけど、それやったらGORIさん入ってぇな!ほんでバンド作るからすごい人連れてきて!僕は、ベースを連れてくる!」
という事で、スタジオセッションを決行!
その時は、確かSteps AheadのBeirutとかやったと思います。

その時に、GORIさんが連れてきてくれたのが、ギターの清野拓巳です。
清野さんは、ちょうどボストンのバークレー音楽大学から帰ってきたところでした。
そして、「KHAMSIN(カムシン)」の演奏活動が始まりました。
KHAMSINとは、北アフリカやアラビア半島で吹く、砂塵嵐を伴った乾燥した高温風のことで、それとは別に「見えざるもの」という神様の名前でもあります。
色々な所で演奏しました。
高槻ジャズストリートの第一回目にも、参加する事ができました。
今まで、名曲のコピーばかりをやっていた自分にとって、オリジナル曲を書くという事は大変勉強になりました。
当時は、僕と清野さんで作っていました。
僕はといえば、決めものの多いテクニカルなサウンド、清野さんはとてつもなくストーリーがあり立体的でした。

僕は、GIRIさんと清野さんが同い年でバンドを組んでいて、そのLIVEを見に行った事がありました。
中学生だった僕は、珍しく(家庭が家庭なだけに)LIVEハウスとかよく言っていたので、同期の友達を連れて行ってきました。
その時のハードなサウンドは今でも忘れられません。
GORIさんはその後、中学の吹奏楽部のコンサートでドラムを叩いてくれたりしたのでよく知っていましたが、清野さんは当時のスタイルとガラッと変わっていて最初は同一人物とは思えなかったのです。

バンドを結成して、リーダーとして動けていたのかわかりませんが「ここが僕の大学や!!」って思うようになりました。
毎週リハーサルに入り、楽曲についてあーだこーだ話し合いながら何回も何回も反復練習。
みんなで意見を出し合ってうまくいったり、却下したり色々やってきました。
LIVEは清野さんとGORIさんと一緒に行くことが多かったのですが、LIVEが終わって車で帰ってる時に、LIVE録音を聴きながらディスカッション。
それは、僕のうちの前で夜が明けるまで続きました。
(清野さんガソリン代すいません)

二人の会話が僕が今までいた世界と違い、最初は何がなんだかサッパリやったのですが、必死で後部座席から聞いていました。
音楽の事、サウンドの事、ブレンドの事、ダイナミクスの事、たまに逸れる全然違う話の事・・・・
とても楽しい時間で、今の僕のスタイルの一つになっていると思います。

そして、CDをリリース。

そして、活動を休止しました。

約20年程でしょうか、長い休止の中で、1回だけ同窓会みたくLIVEしましたが、お互いのスケジュール等で空いてしまいました。

その後、僕とGORIさんは専門学校で講師として合うようになり、
僕と清野さんはDUOとかで演奏したりしていました。
(清野さんはその後、同じ専門学校に来ました。)

3人の中で、またKHAMSINをやりたいね!という声が大きくなり、
2017年、新たなメンバーが加わり「新生KHAMSIN」が誕生しました。

柳原由佳は、バークリー音楽大学を経て帰ってきたピアニストで素晴らしい感性の持ち主です。
いつも謙虚で勉強熱心、演奏は常にパーフェクトです。
生駒山上のテレビアンテナくらいの多くのアンテナを張り巡らせ、1曲1曲大切に演奏してくれます。

白石宣政は、鉄壁のボトムラインを届けれるベーシストです。
いろんなシーンの演奏に柔軟で、GORIさんとのコンビネーションも抜群です。

20年も経って、僕も色々な演奏、制作、トレーナーをやってきて、当時の作曲スタイル+αができるようになったと思います。

毎回毎回のLIVEが楽しく、幸せな時間です。
そして、新らしくなって3回目のLIVEでLIVEアルバムを制作。

僕の大好きなテナープレイヤー、クルセダースのウイルトンフェルダーの一言「ユニットを作りなさい、そして長く続けなさい。そうすればいい事があります」が今よくわかるような気がします。

色々ありましたが、今このバンドができる事は本当に幸せな事です。
多くの現場で演奏できるよう、これからもやってきます!

最後までありがとうございました。

古谷光広


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