ターニングポイント

ブログを開いてくださりありがとうございます。

初めに、前回のブログを見てくださり本当にありがとうございます。正直な話、こんなに反響をいただけるとは思っておりませんでした。ブログにスキをしてくれたり、Twitterでいいねやリプライをもらえて、ブログをこれから書いていくための活力をいただきました。また、何人かから"note"に対して関心をいただけたので、書いてみて良かったなと思っています。

これを書く前に違う内容でブログを書いていたのですが、なかなかうまく言葉にすることが難しく一時断念をしておりました。おそらくボツになる可能性が高いです..(笑)

まぁ、こんな感じで最初は何か雑談を挟もうと思っています。

注意:今回のブログで未来虹ちゃんは1%しか出てきません。あらかじめご了承ください。

今回は自己紹介となります。主に未来虹ちゃんを知るまでに至った過程を紹介することになりそうです。なので、読んでくださる方が知らない人がたくさん出てくると思いますが、それでも読んでいただけるのであれば、最後までお付き合いください。そして、自分のことを少しでも知ってもらえたらと思います。

簡単な自己紹介

名前 ひろ(本名からとっています)

出身 千葉

生年月日 1996年10月15日(堀未央奈さんと生年月日が一緒なんです)

身長 170.5センチ

血液型 A型

特技 楽器演奏(Tuba、Fagotto)、ルービックキューブ

趣味 音楽鑑賞(クラシック)、旅行、数学の問題を解く(中高教員免許所持)、麻雀

何を書けばいいかわからなかったので、未来虹ちゃんの一番最初のブログの項目をそのまま使いました。
参考:2020.4.6 15:46 はじめまして。

~高校3年生

ここから先は、今までにどんなことにハマり、どの様に推しが変わっていったのかを書いていきます。

大学に入る前までは、根からの部活小僧でした。中高と吹奏楽部で、携帯に入っていた曲も吹奏楽曲しかありませんでした。それぐらい吹奏楽にしか興味がなかったので、音楽番組で出てくるようなアーティストはほとんど知りませんし、曲はCMやドラマで少し聴いた曲や部活で演奏したものだけなので、ほとんど知りませんでした。そんな感じです。

ラブライブ!との出会い

私が大学に入学し、今度はオーケストラの部活に入部をしました。大学4年間もクラッシックに染まるんだろうなとこの時は思っていました。

所属していた部活でアプリゲーム「スクフェス」がなぜか流行っていました。これはラブライブ!のリズムゲームで「ユニゾンエアー」のラブライブ版と思ってもらえれば大丈夫です。

部活の先輩の勧めで何となく始めて、それからアニメを1期と2期を一気に観てしまっていました。この当時に夏に映画をやるとのことでそれも見に行きました。驚くことに、11回も劇場に足を運んで観に行ったんです。自分でも考えられませんでした。もちろんこれには理由があります。

この映画では簡単にいうと、「映画館で声を出して応援しよう!」というものがあったんです。映画の中でライブをパフォーマンスするシーンが何回かあるのですが、それにコールを入れたり推しのキャラクターがでてきたら「~ちゃん!!」みたいに常に映画館で大きな声を出せるものがあったのです。初めはラブライブを勧めてくれた部活の先輩に連れられて行ったのですが、案の定はまってしまい、毎週決められた時間に行われているので、サイリウムを買い、毎週映画館に通っていました。まさにライブに行っているような感覚でした。今振り返ってみると、これがライブに行くのにハマった気かけな気がします。

当時は、西木野真姫(にしきのまき)ちゃんというキャラクターを推していました。

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そしてある日、2016年3月31日、4月1日にμ’sのファイナルライブを行うことが発表され、ものすごく落ち込みました。

そして、チケットは落選に次ぐ落選を経て、一般でやっとの思いで入手をし、初めてのライブの参加を決めました。

当日になり、人生初のライブが始まりました。音楽が流れ、声優さんが出てきたときものすごく泣いたのを覚えています。初めてテレビの中の人に会えたんだという喜びがとても大きかったのです。頑張って曲を予習して、コールを頑張って覚えていったので、みんなでそろってコールができているのがとても楽しかったのです。

当然、ライブ中はたくさん泣き、ライブが終わってからも泣きました。だって最後なのだから。これが初めてのライブでよかったなと思えます。

ここまでが大学1年生までの話です。まだまだ続きます。

中の人

つまり声優さんのことです。初めてのライブに参戦するまでに声優さんの存在を気にするようになりました。当然、声優さんといってもたくさんいるのですが、特に知っていたのはラブライブ!の声優さんだけでした。その中でもいいなと思っていたのが、三森すずこさんでした。そして、推しになりました。

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歌もうまく、ソロで歌手活動もされていました。ラブライブ!がひと段落ついてこともあり、自分が大学2年生のときに、ライブツアーが行われました。初めてのライブを経験してから、より多くのライブに参加することを生きがいにして過ごすようになりました。ツアーには名古屋・大阪・東京のチケットを入手してライブに参加をして最終公演の東京の会場は武道館でした。三森さんのライブの特徴として、曲は全部生バンド、ミュージカルを取り入れたライブを毎回行っていました。(たぶんいまもそうなのかな?)なので、ライブが始まったらアンコールまでMCが入らずにノンストップでか抜けていくのです。こういうライブのやり方があるんだなって関心をします。

大学2年生は、三森すずこさんを追いかけていった1年でした。

ラブライブ!再び

ラブライブ!にはいろんなグループがあり、先ほど紹介したのは、μ's(ミューズ)でしたが、この当時に他にもラブライブ!サンシャイン!!のグループとして、Aqours(アクア)というグループがありました。

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μ'sほど活躍していたわけではなかったのですが、大学3年の春になる前に1stライブが行われていたのです。存在自体は知っていたぐらいなのでしたが、1stライブで起きた出来事をTwitterで知りハマろうと思ったのです。(これを書くともっと長くなるので省略)そして、すぐに行われた2ndツアーに申し込みをして、名古屋(日本ガイシホール)と埼玉(メットライフドーム)に参加をしました。

そして、新しい推しができてしまうのです。ラブライブ!サンシャイン!!の声優を務めていた、諏訪ななかさんです。(上記画像:右から3番目)とにかく容姿と性格が好みでした。

ここで、推しが三森さんから諏訪さんに変わりました。理由は単純に、2つのコンテンツを同時に全力でやっていくことが金銭的に現実的でなかったのが大きいです。なので、Aqoursのライブをメインに参加して、余裕があれば三森さんのライブにも参加するといった感じで活動をしていました。

この当時は、毎月Aqoursのライブがあったので参加できるものは極力参加して、いろんなところに行けていたので、とても充実をしていました。北は北海道、南は福岡まで行ってました。

また、大学4年生の冬には推しの諏訪ななかさんが写真集を発売することになり、お渡し会に参加をしました。限定ブロマイドにサインと名前を書いてもらい、1分ほど話せるという内容でした。初めてテレビの向こう側の人と話すので、とても緊張した記憶があります。

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こんな感じで、大学3~4年生の2年間はAqoursのライブばかり行ってました。次第に三森さんのライブにはいけなくなってしまっていましたね。

ブレイクタイム(余談)

自己紹介にも書いた通り、私は教員免許を習得し、学校の教員になるはずでしたが、なんやかんやあって教員の道をやめて、大学院進学をすることになりました。大学院は忙しい印象を持たれる方が多いと思いますが(自分もそう思っていました)、専攻していた分野が数学ということもあったので、週一のゼミに参加すれば問題なかったので、学部生より時間をとることができていました。なので、お金と時間が増えて活動が充実するはずだと、この時は思っていました。

そして、日向坂46を知る

大学4年生の2月という卒業目前の時期、これから余裕が出ることを見越して、新しいものに出会いたいと思うようになりました。そこで比較的名前を知っていた、乃木坂46にハマろうとしました。先ほどライブに参加することを生きがいにしていた人なので、何かライブがないかと思って探していたら、ちょうど西野七瀬さんの卒業公演でもある7thのBirthdayLiveが開催されることを知りました。参加するために曲を予習しようとしましたが、曲数が多く、心が折れたので参加することを断念しました(チケットが当たる当たらないは別として)。

個人的にいままでライブに参加するスタンスとして、曲は全部予習をしてコールなど完璧にしてから参加するという形でやっていました。なので、夏にライブをやることを知っていたので、それまでに予習すればいいやと思っていました。

そして、乃木坂46を知るために「乃木坂工事中」を観たり、5thのBirthdayLiveのBlu-rayを購入してライブの雰囲気を勉強したりしました。今まで参加してきたライブとは違ったコールだったので、それに関しては少し戸惑いました。

ある日、友達のインスタのストーリにあるものが流れてきました。日向坂46の生写真を載せたものでした。おそらく齊藤 京子さんだったと思います(この時はマジで何も知らかったのです)。

日向坂46は改名したことをつい最近、LINEニュースで知ってたぐらいなのでしたが、その友人と話すきっかけが欲しかったということもあったので、番組や曲を聴くようになりました。

そして日向坂46にハマる決意をしたのです。なぜこういう書き方をしたのかというと、最初は乃木坂46にハマろうとしていたのですが、8年(当時)という歴の長さと敷居が高いと不安に感じていたのですが、日向坂46は最近改名されたし入りやすいかなという安直な理由でした(いまは全くそんなことは思っていなく、長い歴史があるのは重々承知しています)。そして、日向坂46が中心になる生活が始まったのです。

ちなみにAqoursというと、この年の5月に5thライブが行われて以来、そもそもライブが開催されなくなってしまったので、次第に離れていってしまいました。もちろん、日向坂46の推す人を考えていたので、諏訪ななかさんから推し変することになります。最後に参加した5thライブは個人的にセトリが一番美しく、好きなものでしたのでせっかくなので載せておきます。

推しが髙橋未来虹ちゃんになるまで

ということで、ここからやっと日向坂46の話題に進みます。日向坂46にちゃんとハマった時期が5月中旬なので、「キュン」の握手会には参加することはできず、ひたすら曲を聴くだけの毎日でした。時間も有り余っていたので、「ひらがな推し」や「日向坂で会いましょう」を観てメンバーの名前を覚えていきました。今でも覚えているのは、がなおしの自己紹介で齊藤 京子さんと松田 好花さんをすぐに覚えたことが鮮明に残っています。齊藤 京子さんはお尻当てクイズ、松田 好花さんは「芦田愛菜だよ」ですごく印象に残っていたからです。

そして、番組を見るうちに日向坂46の推しにしようと思ったのが柿崎芽実さんなのです。ぶりっ子選手権を観たのが一番のきっかけです。そして、推しが決まった3日後にバイト先から帰るときに届いた通知で、柿崎芽実さんの卒業が発表を知りました。

あの時のショックは今でも忘れていません。いくら最近知ったグループとはいえ、応援していこうと思っていた人の卒業はとても寂しく、思わず泣いてしまいました。

僕の最初の日向坂46の推しは卒業から始まったのです。

推し決まらないまま2ndシングル「ドレミソラシド」が発売されることになり、握手会の一次申し込みが始まりました。

誰と握手しようかなととても悩んでいました。そもそも握手会ってどんなシステム?ということろからだったので、何もわからない状態でした。そして、事件は起こりました。

申込期間が終わっている

この時の自分は、申込期間が1日だけなわけがないという、謎の勘違いにより申し込むことすらできませんでした。そして、1週間後に2次申し込みが始まりましたが、当然売り切れが多く気になっていたメンバーの多くが売り切れ状態でした。そして、残った中から3人だけ申し込み見事当選したのが高本彩花さんなのです。そして、初めての握手会と1枚だけしかなかったこともあり、あっけなく散りました。

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そして、日がたつにつれてあるメンバーを気になるようになりました。

富田鈴花さんです。

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2ndの握手会にも申し込むぐらいだったので、ずっと気にはなっていたのではないかと思います(ここら辺の記憶が曖昧)。そして、推しが富田鈴花さんになり、約半年大学院1年生のほとんどを富田鈴花さんを応援していきました。

そして、3rdライブ発売記念ライブやDASADAライブに参加したり、握手会も少しずつ参加するようになってきました。この時の握手会はまとめてCDを買うことに抵抗があったので、今ほど多くは買ってなかったです。

富田鈴花さんが誕生日の日に握手会が行われていたのですが、推しの誕生日にこうやってイベントをやってもらえるのがいいなと思っていました。しっかりこの時の握手会に参加して、#suzukatalkで「19歳の私に頑張ってほしいこと」とお題をいただいたので、前回の握手会の反省を活かして伝えることができました。

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充実した日向坂46が中心の生活が続き、2020年2月16日に「坂道研修生配属発表SHOWROOM」を観て髙橋未来虹ちゃんを知ることとなります。

今回はここまでです。ここまで書いて右上にある文字を見たら、5700文字と出て驚いています。もしここまで読んでくれた方がいたら、本当にありがとうございます。少しでも自分のことを知ってもらえたらと思います。

次回は未来虹ちゃんを推す経緯について書きたいと思っています。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ひろ(@Hiro_mkn)#2

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