隗より始めよ


この一言に全て集約されていると言っていい。

Go To トラベルの全国一斉停止を発表した直後の総理大臣の8人会食の件だ。

やれ言動不一致だ、しょせん他人事だ、など批判が渦巻くのも当然だろう。

というか、こういった批判が出てくるのを予期できないほど愚かな政治家だったのか、ということの驚きの方が大きい。

自民党の立場からしてみれば、わざわざ野党に批判の材料を与えたようなものだし、一部報道にあることが事実だとすればだが、せっかく下落した内閣支持率をGo To トラベル一斉停止で挽回できる、と思った矢先がこれでは何をやっているのか、といったところだろう。


しかも菅首相の答弁が、「国民の誤解を招いたことに対して反省」といったものだ。

ん?「誤解」ではなく、「理解」では?行動だけ見れば。

少なくとも、野党の言う通り、もはや国民に対してお願いをできるだけの道義的立場を失ったことだけは確かだろう。

もはや国民が自粛しなくても、もう文句など言えない。

現象だけ見れば、「誤解」ではなく、「無理解」を招いた、が正解だろう。

そりゃ理解不能な言動、としかいいようがないのだから。


でもそんな菅総理にあって、唯一買えた?点と言えば、いさぎよくその非を認めたことだろう。

そう、学術会議問題やら検事長問題やら森友問題など都合の悪いことにおいては、これまで政権トップとして頑としてこれらを認めてこなかったこととはまるで対照的と言っていい。

まあ今回はあまりにも現行犯逮捕(笑)だし、もはや言い逃れしようがないとはいえ、それまでとは打って変わったその潔さについては、菅首相だけにすがすがしい、と言っていいかもしれない。

でもそのおかげで、先述の学術会議などの問題に比べ、それほど追及の手がどうやらなさそうだし、この問題の終息も意外と早く終わる気配である。


でもそう考えると。

ひょっとして、これまでも意外とあっさりとその誤り・過ちを認め、謝罪していた方が、むしろ与党自民党にとっても良かったのではないか?

短期的には何かしら責任問題などの痛みが伴った可能性もあるが、長期的な視野に立てば、より盤石な政権基盤を未来永劫に向かって突き進めたかもしれないのだ。

いや、このことに気付けば、これからもそうできうるということだ。

大ダメージを被らない程度に、都度起こしてしまった誤りや過ちを潔く認め謝罪した方が、むしろ国民を味方につけて盤石な権力基盤を構築できるし、多少の痛みを被ることの覚悟さえできてしまえば、これまで永く望みながらなしえなかった大きな改革もおそらくできることだろう。


その一歩としての率先垂範、隗より始めよ、だ。



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