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一年の終わりに 

心身ともにつらいことが続き途中で書かなくなったNoteですが、せめて一年の最後くらいは書いて締めくくりたいと思います。

ちょっと大きなお題ですが、「権力と人間関係とわかりやすさのメリット」についてです。

入出国が緩和されてきた2022年の下半期。タイランドに2回出張する機会がありました。子供の頃映画で見た「王様と私」の舞台です。タイは王国と呼ばれる立憲君主制の国です。そして強い王様がいたことでタイランドは列強の植民地化から逃れることができた国でもあります。列強によるアジアの植民地化が激しかった頃、現在のベトナム、カンボジア、ラオスはフランス。現在のミャンマー、マレーシア、シンガポールはイギリス。マラッカ海峡を挟んだ現在のインドネシアはオランダが支配していました。

東南アジアへの侵略と統治地図 ©世界の歴史まっぷ

アジアの国々の多くが植民地化される中、日本と並んでタイランドは近代化を進めていたため植民地にならずに済んだ国だと言われています。

では近代化とは何でしょうか? 強い軍隊? 先進的な武器?殖産強国? 

さまざまな見解がありますしおそらく複合的な理由なのでしょうが、日本とタイランドには列強との窓口として一本化された政府が存在していたという共通する点があることには注目すべきかと思います。

国を守った近代化の根幹には国という組織が一本化され中央集権であるという点がありそうです。日本の場合は江戸時代から徳川幕府が全国を統一していました(戊辰戦争の頃はやばかったがすぐ終わった)。そのため日本には「国」として列強と交渉する一本化した窓口がありました。タイランドも同じく国王ラーマ4世が国を統治しており窓口が一本化していました。

列強に侵略された他の国々は国王がいたとしても各地域の封建領主が力を持っており、統一的な輸出入手続きは皆無、鉄道網、道路網も一律に作れませんでした。封建領主間の内戦が発生していたため貿易を進められない列強がそれならばと植民地化して統一の支配下においたというのが実情だと言われています。

一つにまとまっているということはそれほど大きな力です。侵略から守ることができたのは軍隊の武器の近代化ではなくルールに基づいた組織の統合であったということは頭に留めておきたいことです。TRIPという私たちの組織を考える上でも近代化は大事ですね!


出張の合間にバンコク国立博物館を訪れました。さまざまな収蔵品を見ることができます。それらは目がくらくらするほど、金色で、背が高く、大きく、派手で豪華です。中央集権ということは権力とお金が集中するということですから当時のタイ王朝がいかに巨大な権力を持っていたかがその収蔵品からも窺い知れます。

しばらくその凄さに圧倒されていた私ですが、延々とつづく大量な豪華絢爛収蔵品を見ながら私は徐々に疑問を持ち始めました。

「果たして、これらは王様が欲して作らせたものなのだろうか?」

収蔵品はあまりにも大きく、派手で、重く、無駄の塊のように思えます。服一枚にしても分厚く、重く、派手でどう考えても快適な服ではなさそうです。

ここからは私の仮説です。私はこれらは権力に対する忖度の産物だと思いました。権力をもつとその周辺の方達はおぼえをめでたくされるためにさまざまな忖度、手配、そして贈物をします。

「王様ですからこのような素晴らしいお着物を!」
「このような素晴らしい台座を!」
「このような金ピカで背の高い乗り物をご用意しました!」

とどんどんインフレした結果がこれらの収蔵品ではないかと。

たかだか会社の社長ですらさまざまな忖度があります。国王ともなればそれはものすごい忖度の競争でしょう。

当然覚えていただくためには、前に提供されていたものよりもわかりやすく、大きく、高く、ピカピカで、重く、手の込んだものである必要があります。王様はこれらに付き合っていかなければなりません。そしてそれを喜び褒め、使うのは決して楽ではなさそうです。王様はこれらを決して心から欲していたのではないだろうなと感じさせるほどそれらは手が込んでおりかつ大量でした。

しかし先ほどの植民地化のことを考えると、皮肉ではありますがこれらの儀礼的、権威主義的な産物は国を救ったかもしれません。これらの産物は外国人にとってこれ以上わかりやすいものはないほどの権力の発露です。例えとして良くないかもしれませんが、ベンツに乗ってロレックスつけて六本木のキャバクラで豪遊していたらお金持ちに違いないと思うのと同じくらいわかりやすいです。

周りの忖度合戦にいよるインフレの結果、誰から見ても権力がある人物とのアイコンがついたわけです。そしてそのわかりやすさゆえに権力がより集中します。外国から訪れた使節は間違いなく中央集権(近代化の素地がある)であると感じた事でしょう。

こう考えると、権力があることを惜しみなく見せることは政治的、外交的に効果が高く、決して贅沢で無駄とは言い切れない面があるのだろうとも思えます。

現在の国のトップや組織のリーダーは権力を誇示することは控える傾向にありむしろかっこ悪いと思っている節すらあります。しかしながらわかりやすい権力の象徴というのは対外的に効果のある権力のあり方の一つです。多くの人、組織を束ねるということは簡単ではありません。わかりやすさという道具を使うことでさまざまな文化、言葉、階級がある社会を束ねていく合理性は理解しておく必要があると思います。

決して権力の集中が全ての事柄の解決になる言っているわけではありません。全ての事柄には表と裏があります。何が良くて何が悪いかは一概にはわかりません。

大事なことは歴史から学び、現在で確認し、未来を予測するという一連の訓練を積むことだと思います。

観光地でもそのようなことを考えてしまう自分にちょっと呆れ半分で今年最後のNoteを締めたいと思います。

みなさん、今年もお世話になりました。どうもありがとうございました。
2023年はページ上のブッダのようにゆっくり寝そべりながら、マイベンライで事にあたりたいと思います。

それではさようなら。良いお年を。










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