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ニンジャの話 その23 ババヘラ

知り合いの医師に呼ばれて行った秋田。私は大変気に入りました。そもそも東北には行ったことがありませんでした。特に日本海側は通過したことさえありません。白神山地をひかえた美しい自然、手付かずの温泉(私は温泉フリークです)、磨き上げられた日本酒(私は日本酒フリークです)初めて聞くお国訛り、全てが新鮮でした。時折帰省して介護を続けながら8ヶ月ほど滞在することになりました。

秋田に滞在していると友人も増えます。特に仲良くなったのはNHKの秋田支局にいたディレクターの方でした。この方から秋田の抱える人口減の課題を知り、その縁でなぜだかNHK秋田放送局のウォッチA「激論ライブ!人口減少というテレビ番組に出演しました。これもきっかけとなりで深くこの問題について考える機会を得ました。

秋田はとんでもない人口減少を迎えています。これから40年で人口が94万人から38万人まで減ります。若者の流出も深刻です。少子高齢化の先進地域であり、消滅自治体の数も全国1です。街を歩くと若い人に合うことがあまりありません。老老介護も当然でそのうちコンビニにいくと90歳の顧客を70歳の店員が接客するという状況が起きると言われています。海外や、東京、愛知に住んでいると人口減のインパクトを直に感じることはほぼありません。しかし秋田の実情を見ると日本はとんでもない方向に進んでいるのだと実感しました。人口減は社会の基盤を揺るがします。

「人口減は移民を促進すること以外では止めることはできない。しかし日本で移民を解禁することはおそらく難しい。それならば少子高齢化する日本で人口が減っても老人が稼げる方法がはないのだろうか?」私が秋田に行って持った課題感でした。当時アベノミクスで叫ばれていたのは「xx立国」というフレーズでした。IT立国、ロボット立国、健康立国、観光立国などさまざまな将来の日本の産業の柱になる分野に予算を優先的につけようという動きです。さまざまな「立国」戦略が立ち上がりましたが、老人はほぼ全ての戦略において「実行者」ではなく「受益者」です。老人にIT立国だからプログラマーになれとは言えませんし、健康立国だからDNA解析の技術者になれとも言えません。IT化された社会であるとか、先進のヘルスケアの受益者にはなれますがそれらで「稼ぐ」ことはほぼ無理です。お年寄りに稼いでいただくことができる産業って何?

夏に秋田の国道を走っていると派手なパラソルを差したおばちゃんたちが沿道でアイスクリームを売っている姿を見かけます。ババヘラアイスです。ババアがヘラでアイスを盛り付けるので「ババヘラアイス」という名称になったそうです。(なんという失礼な名称!)パラソルがあったとしても炎天下の沿道に立つのは大変です。おばあちゃんたちがかわいそうになってしまい思わず車を停めて買ってしまうという大変クリエーティブなサービスです。アイスクリームそのものはそもそもアイスではなくシャーベットです。そして正直なところ大変懐かしい味のもので目新しいものでもありません。コンビニで買ったアイスの方が美味しいという人も多くいると思います。しかしババヘラのすごいところは「おばあちゃんが売る」というコンテンツを追加したことにあります。お姉さんが売っていたら「アネヘラ」になってしまうのでそもそもコンセプトが成り立ちません。おばあさんだからこそできる商売であり、おばあさんがかわいそうになって立ち寄ってしまうという顧客心理を捉えた素晴らしいビジネスモデルです。そして何より素晴らしいのはそれがおばあさんたちの仕事になっており、おばあさんはビジネスの「実行者」として「稼げている」という事実です。秋田ではおばあちゃんはコンテンツ化されており、おばあちゃんだから稼げるというモデルを作り上げていたのです。

この事実は私にとって衝撃的でした。日本のXX立国の中で「観光立国」だけは老人が「実行者」として参加できるおそらく唯一の戦略だと気がついたのです。

私はヘルスケア、製薬の世界にいました。人の命と健康をながらえる仕事を長くしていました。命を救う、ながらえるという仕事の意義は大きいものですが、人の幸せは命が救われる長くなるということだけでは測れません。長くなった人生をどのように生きるのか、人生100年時代には年齢を重ねた老人が社会に貢献しやりがいを感じることができるのかが問われます。今後50年の医療の進歩は医療を神の領域まで押し上げます。今年生まれた人はかなりの確率で100年以上生きます。「これ以上寿命を伸ばしてどうするのだ?」という疑問が私の頭の中にはあり、「むしろ伸びた寿命をどのように使うのか、年齢を重ねても働ける産業を作ることが重要なのではないか?」と考えることがままありました。ババヘラを見た私は観光産業の持つ「年齢に対する許容度の高さ」という点に興味を持つようになりました。もちろんそこには年老いていく私の両親と重ね合わせる課題感があり、そして同じように年老いていく50歳の私自身の将来にも通じていました。

続く


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