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真の哲学者とは

自分の著書やブログのプロフィールに「哲学者」などと記している「自称哲学者」の大学教員を時々見かけるが、どうにも違和感を拭えない。本来「哲学者」とは例えば我が国では西田幾多郎のように自ら独創的な哲学を切り開いた人を第三者が「あの人は哲学者だ」と認知することによって初めて「哲学者」になるものなのではないか。したがって大学でカントやヘーゲル、あるいはソシュールやドゥルーズといった哲学者の哲学を教えている人たちはあくまで哲学教授あるいは哲学史家なのであり、カント研究家とかソシュール研究家と称するのが妥当だと思う。

真の哲学者は自ら独自の哲学を切り開いた人にこそ与えられる称号のようなものであって「物理学者」とか「数学者」などと呼ぶのとはちょっと次元が異なる。単に大学で哲学を教えているから「哲学者」になれるというものではないのだ。そういう意味では我が国には独自の哲学を切り開いた「真の哲学者」はほんの一握りしかいないはずだ。改めて言うが、大学で哲学を教えている人が哲学者なのではない。「哲学者」であると認知されるには何も大学で教えている必要は全くない。象牙の塔の外に「在野の哲学者」がいても何らおかしくはない。哲学者とは「哲学者の哲学を研究したり教えたりする人」ではなく「自ら独自の哲学を体系化し構築した人」である。

ちなみに私はと言えば、それぞれの道の専門家ですらなく、あくまで哲学愛好家、歴史愛好家、そして音楽や美術の愛好家の域を出るものではない。それだけにこれからもそれぞれの道を究めた人やプロの方々から多くのことを貪欲に学びとり、自分が生きるための糧にしていきたいと思っている。

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