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日本はなぜ長期停滞に陥ったのか

こんにちは!ヒロと申します!

 皆さんは景気が良いと思ったことはありますか?
 今日はなぜ日本が「失われた30年」とも言われるほど長い停滞に陥ったのかについて話ていきたいと思います。

1.「富の源泉」とは

 本題に入る前に皆さんに一つ覚えてほしい用語があります。
それは題にも書いてありますが、「富の源泉」です。
「富の源泉」とはその社会、その時代で最も経済的な価値があるものです。

2.江戸時代に見る「富の源泉」の重要性

江戸時代

 さて皆さんは、歴史の教科書で江戸時代について勉強したことは覚えていますか?化政文化、安政の改革、徳川将軍などなど懐かしいものがあるんじゃないんでしょうか?
 さて、江戸時代の暗記ワードに「〇〇の改革」があったと思います。

三つの改革

江戸時代中期~後期の「享保」、「寛政」、「天保」の改革といった政治的改革はすべて幕府の巨額の財政赤字解消のために行われました。しかし、その改革の成果は薄く、結局明治政府が出てくるまでその巨額の赤字は解決されませんでした。これらの改革は大した成果も生み出さずに終わってしまった原因は「富の源泉」にあるのです。

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 まずは、幕府の財政について見てみましょう。江戸時代の初期の財政はその多くを年貢収入つまり「米」に依存していました。戦国時代から立ち直ったばかりの日本社会では国民の腹を満たす「米」が「富の源泉」であり、そこに税金をかけることによって幕府は当初莫大な財政黒字を生み出しました。しかし、それも長くは続きません。時間が経つと共に、「米」の生産量が増加し「米」は「富の源泉」としての経済価値を失っていきました。
 そうして、江戸時代中期になると新たな「富の源泉」が台頭してきました。それは「商品作物」です。「米」の生産は技術的、そして需要の限界が見える一方で、問屋制家内工業、工場制手工業による革新的な制度、技術、そして、大きな市場が開かれ、「商品作物」は「米」に取って代わって、「富の源泉」になりました。
 幕府の財政状況は「米」が「商品作物」に「富の源泉」を取って代わられると共に急速に悪化していきました。そのため、そのことに危機感を持った幕府は改革を行いました。しかし、その改革はあくまでも「米」中心の政策であり、「富の源泉」たる「商品作物」には税金すら課されない始末でした。江戸時代中期~後期の幕府は枯れ井戸と化した「米」からせっせと水を汲もうと努力しますが、「富の源泉」という溢れんばかりに水を貯える「商品作物」という井戸からまったく水を汲もうとしなかったのです。ちなみに幕府が米中心の政策ばかりで赤字を叩き出す一方で、雄藩(薩摩藩、長州藩)といったいくつかの藩は「商品作物」中心の政策を行い、見事財政、経済共に改革し、幕末に幕府と対等になるほどの力を得ました。

この江戸時代の連続的な失敗を生み出した改革は一つの教訓を私たちに教えてくれます。それは

政策は「富の源泉」を元に立案される必要がある

ということです。

3.バブル期~現代の富の源泉

バブル戦士

 さて、読者の皆さんはバブル世代でしょうか?日本が「失われた30年」という長い長い経済停滞に陥る前の時代がバブルです。
 バブル期には、日銀による「低金利政策」という政策が行われており、企業、個人、誰であってもお金を簡単に借りることができ、人々は銀行から融資を受けて、株、土地といったものに投機しました。その利潤こそがバブル期の日本を支えました。
 つまり、「金融」、「不動産」がバブル期の「富の源泉」だったのです。

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 しかし、江戸時代に「米」が「富の源泉」の座から転げ落ちたように、バブル期には「富の源泉」であった「金融」、「不動産」も転げ落ちました。その一方で、Google、Amazon、Facebook(現在のメタ)、Appleといった「情報産業(IT)」が台頭し「富の源泉」の座は「金融」、「不動産」から「情報産業」にとって代わられたのです。
 
「富の源泉」が「情報産業」に変わったのに対して、日本政府の政策はいつまで経っても「金融」、「不動産」を中心に据えた政策ばかりを行っています。「超低金利政策」はその良い例えです。北欧、アメリカ、中国といった国が「情報産業」を中心とした改革を行い成功する一方で、日本は「金融」「不動産」を中心とした「超低金利政策」に固執し経済的停滞が長期化しました。

4.終わりに

 「富の源泉」という新しい考え方から日本の長期停滞を考えてみましたが、皆さんはいかがでしたか?新しい経済の見方に関する感想を是非コメント欄に書いてくください!

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