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三森いこ写真集 『この星の中』

三森いこの写真集、『この星の中』は興味深い。

モチーフは三森さんが偶然に出会った1人の男の子で、1年3か月の間に集中して撮影されたという。

  はじめてきみを見たとき、いいなと思った。
  かわいくてちいさくて、ひたすら懐くきみが猫みたいで、ねこちゃん
  って呼んでいた。
                    (展覧会ステートメントより)

三森さんはこの男の子を「ねこちゃん」と呼ぶ。この呼び名からは三森さんがこの男の子に出会って感じただろう愛おしさが全面に漂っている。猫は気まぐれだ。みゃあみゃあと鳴きながら近寄ってくる時もあれば、飼い手の存在などおかまいなく、こちらのことは我関せずという風情で、すまし顔で佇んでいることもある。愛おしく感じるのと同じだけ、つれなく思って寂しい思いもする。猫の愛好家たちはおそらく、そんな両面を持つがゆえに猫に魅せられるのだろう。

三森さんが撮った男の子は確かに猫のようだ。眼差しをを合わせて真正面から向き合ったポートレートもあれば、おどけている姿の写真もある。大人びた表情のものもあれば、男性が見てもドキッとするような蠱惑的なカットもある。さまざまな角度から撮られた写真には男の子の多彩な表情が現れる。そこには観察者としての視点と、一人の女性としての保護者的な視点が感じられる。

三森さんの写真の面白さは、男の子の顔立ちが微妙に変化していくところだ。最初は活発で愛らしい、猫のような男の子だった被写体が、時間が経つにつれて、意思を持った少年の顔つきになってくる。子供らしい無邪気さに代わって、けだるい憂鬱さのようなものが現れてくる。彼は何かを知ってしまったのだろうか。それを成長と呼ぶのだろうか。

  ねこちゃんはいつしか私の背を越して、少年に変化していった。
  きみは少しづつ、私の手の中には収まらなくなっていく。
                    (展覧会ステートメントより)

子供の成長は早く、男の子から少年へと脱皮する時間は長くない。偶然にも三森さんは写真を通して、変化のただなかにある1人の男の子に邂逅することになった。写真家にとって「その場にいる」ということは重要だ。

しかし、なにごともそうであるように、終わりの時はやってくる。

  いつからか、わたしは写真の中の君が好きということに気づいて徐々に
  撮れなくなっていった。
                    (展覧会ステートメントより)

どうして撮影を止めてしまったのだろう。ステートメントから伺えるのは、時間の経過に伴う2人の関係の変化だ。

出会いの時の輝きに満ちた被写体の様が、時が過ぎるにつれて過去のものへと変わっていく。そこに、撮り手と被写体の齟齬が生じたのだろうか。「写真の中のきみ」とは、過去に撮り重ねていた男の子の像のことだろう。少年になった被写体は、いつしか撮影者の写欲を掻き立てなくなり、残ったのはそれまでに撮影した写真の束だ。

それはある意味残酷なことなのかもしれない。そして、写真を通してしか繋がれない三森さんにとっても苦しいことだったのだと思う。三森さんの写真からは別れの哀惜、切なさのようなものが漂ってくる。

写真家にとって、没入できるテーマや被写体に出会うことは容易ではない。そこには神の采配のようなものがあって、ある意味奇跡だということもできるだろう。心から撮りたいと思える被写体に出会い、1年3か月という短い撮影期間で1人の少年のメタモルフォーゼに向き合い、写真に記録できたことは、三森さんにとって僥倖だったのではないだろうか。

三森いこ写真集『この星の中』
定価¥4,000(税別) 著者:三森いこ
編集:池谷修一 ブックデザイン:伊野耕一
プリンティングディレクション:鈴木利行
オールカラー160 ページ、私家版






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