冷静になりましょう。
ノートブログを書き初めて579日目になりました。
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昨日の関西女の道華美の会での講演内容に触れてみたいと思います。
此れは今高天原の方々は如何に考えておられるかを伺ったものです。
O氏が音声起こしてをしてくださいました。
憲法九条問題を高天原はどの様にお考えになりますか?
A日本という国ができるまでの長い年月の間、なるべく人心が荒立たないようにこうせい(構成)されてきた。
なぜなれば、日本という国を、海を隔てることによって守ろうとする高天原の意志が働いているからである。
高天原=天上の我々の世界。また中国は中国で天帝の世界という大きな国がある。しかし、この天帝の国も高天原も上ではたいへん仲がいい国なのである。だから我々は下の人間たちがワサワサと騒いでいること、に興味を持つことは当然であろう。
而して今、O氏が問われたように、憲法9条が昭和天皇によって、我々の意志を反映された、戦争の無い国、戦争に関わりの無い国に育てようとその憲法がつくられた、ということは確かである。
しかし、ここに歴史というものが介在し、いろいろな世界、世界のいろいろな国の影響をこの日本も受けざるを得ない。
人の目、世界の人の目をどこに向けさせるかは、我々の考えとするところである。
憲法9条は、3次元において、確かに軍隊も兵隊も持たない、また、戦争に出て行かない、戦争への協力はしない、という立場は、これは確かに必要なのである。しかし、時代の流れをよく見てみたところで、まず、日本人の持つ能力、能力以上のものがどこにあるのか、われわれが日本人に何を期待できるのか、われわれが何を日本人に望むのであるか。それを理解したならば、憲法9条をどのように新しく改案するか、その能力を今の日本人が試されていると思わねばならない。
もしもそれを試されたところで、日本という国がまたは日本国民がどれほどの痛手を悔い、負い、またどれほどの発展・発達をするかということは我々も感知できるものではない。
其れは人の世において、人の責任によって成るものである。天皇は日本国の代表として、日本国をまもるため、天皇の責任において決定した平和憲法である。
以上。
B大きな会場で、日本人が、「冷静になってください」と叫べる国民であってほしい。
だから大きな広い会場が、国会でもなんでもいい、あった時に、「冷静であってください」っていう風にいえる国民であってほしい。みんなが、「皆さん冷静になりましょうよ。」
その一言でみんな冷静になれるはずだから、日本人は。日本人ができることって言ったら、「冷静になりましょうよ。」ということ。
「ウワーーーー~」と、煽り立てるんじゃなくて、「みんな冷静になりましょうよ」と、いうことだ。
そうすると、自分の心の中で自分が判断することができる。だからこのコロナの事にしても、この戦争の事にしても、意見がほしいわけじゃない、
自分の中に心の中にみんな平和を望んでいるはずだから
「冷静になりましょうよ。」冷静になって龍眼(りゅうがん)を持てばそんなに慌てることもないでしょう。
ただし、日本人は命を落とすということをもっと知るべきだ、冷静になりましょうよ、という言葉を出すということは大事な事だ。
ただ日本人は命を落とす、ということをもっとしっかりし知るべきだって。もしくは命を落とす、それがどういうことか知るべきだ。
例えば、自分の旦那さん、大事な旦那様が命を落とす、
病気で命を落とすかもしれない。戦争で命を落とすかもしれない。何か食中毒で命を落とすかもしれない。
命を落とすということを、あまりにも今の日本人は知らなさ過ぎる。いまの現状がそのままあると思いすぎる。だから命を落とす、ということを知るべきだ。
以上
私は宗教にも、政治にも触れるつもりは有りません。
ただ煙突になってお言葉をお伝するお役目に徹しただけです。
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