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我慢と犠牲で成り立つ社会から解き放たれよう!

広域性通信制高校サポート校・CAP高等学院,代表の佐藤です.

 8月28日,0:00よりクラウドファンディングが公開されました.今回は今年の3月まで6年間,教員としてのキャリアを歩んでいた私が,なぜ広域性通信制高校サポート校・CAP高等学院を始めようと思ったのかを書いてみようと思います.

公開中のクラウドファンディングはこちら↓
https://camp-fire.jp/projects/view/310836

働き方改革について考える

 2019年4月,働き方改革関連法案の一部が施行されました.以降,各企業にとって,経営という観点でも大きな課題として,世の中でもかなり広く認知されてきています.

 また,コロナウイルス感染症拡大の影響によって,テレワークなども推奨され,一部の企業の間でしか実行されていなかったものが,取り入れられる大きなきっかけにもなっています.

 ここで厚生労働省が「働き方改革」をどう定義しているかを見ると...

「働き方改革」は、この課題の解決のため、働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指しています。
(引用:「働き方改革」の実現に向けて;厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000148322.html

 日本は今,超少子高齢化社会となりました.少子高齢化に伴う人口減少により労働人口も減少し,これまでの働き方をそのまま継承すれば,確実に生産性は低くなり,それをカバーするために,より多くの労働時間が必要になってきます.時間は誰でも平等に1日24時間.そんな働き方をしていたら,まず個人が破綻することは間違いありません.だから,「働き方改革」が必要なわけです.単純に残業時間が多いとか,そういう問題ではありませんね!

生徒の1日の生活に置き換えてみる

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 高校2年生の時間割の一例を示しました.進学校の場合,数学Ⅱやコミュニケーション英語などは4時間の授業時間を確保しているところもありますので,授業数がもっと多い高校もたくさんあります.

 仮に部活動や課外授業もきっちりこなし,完全下校時間まで高校にいるとしたら,拘束時間は1日10時間,部活動に熱心な高校で,寮で生活している生徒は,寮に戻ってからも自主練という名の部活動が続きます.

 進学校であれば,帰宅後にたくさんの課題に取り組まなければならないかもしれません.仮に課題が出ていないとしても,授業についていくためには長時間の予習や,既習事項の復習など...

 高校時代の自分を改めて振り返ってみても,今考えるととんでもない日々を過ごしていたのだなとも感じてしまいます.

 ここでもう一度,「働き方改革」の定義を振り返ってみましょう!

「働き方改革」は、この課題の解決のため、働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指しています。
(引用:「働き方改革」の実現に向けて;厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000148322.html

 どうですか?個々の事情は応じた生活と言えますか?多様な学び方や部活動の参加は実現されていますか?より良い将来の展望が一人ひとりが持てるような生活ですか?

自分の高校時代を振り返る

 私は自分が通っていた高校には,そんなに不満はありませんでした.というより何も考えていなかったというのが正直なところです.高校を卒業して,およそ35年.今とは情報量も全く異なり,他の高校はどうとか気にすることもできなかったですし,気にしようとも思っていませんでした.

 しかし,よく考えてみると授業にはいくつか不満がありました.例えば,数学の授業.前職で数学の教員をしていましたので,数学は高校時代も割と得意な方でした.問題を解かされている時間に,他の人よりもはやく解けてしまったときに,時間を持て余し他の問題に取り組んでいると,「他の人がとき終わるまで待っていなさい」と言われました.私に頭の中では,たくさんの「何故??」が渦巻いていました.自分の時間が他人に奪われることに嫌悪感を抱きました.

 一方,政治経済の授業では,教科書の文章の一部を穴埋め形式にしたプリントが配られました.授業中は先生が教科書を読み上げながら,時に生徒を指して,補充する言葉を答えさせる展開でした.授業に参加しながら

「プリントもらって,教科書を自分で読んだ後,復習にプリント使って勉強すれば十分じゃない?授業でやる意味ある?」

とずっと考えていました.

 その政治経済の先生が出張で不在の時のことです.私が通っていた高校は,当時“授業カット”という制度があり,最終授業が自習の時は,授業がカットになり,下校してもいいという素晴らしいものです.5校時目以降に適用され,6・7校時が自習ならば,5講時で下校,5〜7校時が自習ならば,昼食後に下校ができました.

 前日に政治経済の先生が出張になることがわかっていたので,「今日は部活もないし,早く帰れるなぁ」と思いながら登校したところ,授業がカットになっていない!その理由を教科係のクラスメートに尋ねると,

「先生の机の上に『今日はこれを聴きながら授業を進めること』という張り紙のされたラジカセがあった」

という答えが...

「これって,先生いなくてもいいって自分で言っちゃってるようなもんじゃない!」

決められたことを忠実に守ることが果たして高校生らしさなのか?

 皆さんは「もっと高校生らしくしなさい!」と言われたことはありませんか?他にも「女の子らしく」とか「〜〜高校の生徒らしく」みたいのもありますよね.いったい「〜〜らしく」とはどんな意味なんでしょうか?

 個人的には,誰かが勝手に抱いているイメージを人に押し付けることが「〜〜らしく」ということなのかなと感じています.そしてイメージやくだらないルールを忠実に守ることを,特に高校生までは求められているような気がします.

 そんなイメージやくだらないルールを守ることは,正直生徒たちに我慢と犠牲を強いているようにしか思えません.にもかかわらず,「主体的な学び」を求めたり,突然自分の頭で考えることを要求する場って,一体なんでしょうね?

これまでの働き方や学び方では通用しない時代がもうすぐ近くまで来ている

 ここで改めて働き方改革に目を向けると,日本の人口は2008年をピークに減少に転じています.人口が減れば,労働力不足となります.今までの価値観をそのまま当てはめて働くことは物理的に困難になります.それでも自分の時間を犠牲にして,労働させられたり,他のことを我慢して労働することは,果たして本当に幸せと言えるのでしょうか?

 個人的に感じているのは,我慢と犠牲を努力と履き違えているのではということです.付け加えて言うならば,努力と没頭することも混同しているのでは?とも感じています.

今求められているのは楽しいことに没頭することでは?

 サンドウィッチマンと芦田愛菜さんがMCをしている“博士ちゃん”というテレビ番組があります.自分の好きなことに異常なほどの興味・関心を示し,ひたすらに没頭する小中学生を取り上げる番組です.

 出演する“博士ちゃん”達は,自分の好奇心を満たすために努力をしているというよりは,“ハマっている”感じです.理解し難い言動をする時もたまにありますが,「こんなことなんの意味があるの?」と思う人はいないのではないでしょうか?“博士ちゃん”たちの圧倒的な知識の前に,ひたすら感心し,“オンリーワン”としての存在を感じるのではないでしょうか?

 例えば自分の興味のあるものに没頭しすぎた結果,極度の睡眠不足になることはあるかもしれませんが,それは“我慢や犠牲”というかというと,違うはずです.おそらく“博士ちゃん”は楽しくてしょうがないはずです.

時間はお金と同じくらい,いやそれ以上の価値がある

 「〜〜しなくてはいけない」と決められた枠の中で,自分たちの時間の大半を奪われ,1点刻みの得点のみで評価をさせる学校生活の中では,何か楽しいことを見つけたときに“ハマる”時間をとることは難しい.そもそも“ハマる”何かに辿り着けるかもかなり微妙です.時間は万人に等しく24時間が与えられています.その限られた時間を,他の人や組織に奪われることは,自分の財産を奪われることと同じくらい大きな犠牲です.例えば,お正月などに親戚などからもらったお年玉を,理由もなく親に奪われたらどう思いますか?それと同じくらい,いやそれ以上に時間を他の人に奪われることは,自分にとってとても楽しいもの・価値のあるものが奪われているということなのです.

 我慢や犠牲によって奪われているものの大半は,“時間”です.自分の時間を奪われないためには,自分はどうしたらいいのか,一度真剣に考えてもらいたいものです.

 自分が通っている学校の時間割を,一度真剣に見つめてみましょう!課外活動の時間の過ごし方を一度真剣に考えてみましょう!帰宅後の時間の使い方をもう一度見直してみましょう!

自分自身のために使えている時間はどれだけありますか?


 

 


 

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