見出し画像

酒屋巷談 Narrative集(1)

■はじめに

2002年から03年にかけて、集中的に正調粕取焼酎について調べていました。その時実施したのが、福岡市およびその周辺市町、佐賀県内の酒販店ローラー作戦、大げさにいうとフィールドワークです。

正調粕取の店頭化状況の確認と商品の収集を狙ったものでした。しかし、それ以上に興味深かったのは、実は町内や村内といった狭域のコミュニティに根を張る酒屋の大将や女将さんが語る言葉、”Narrative”でした。

その中身は、正調粕取の受容実態に留まらず、愚痴、2003年に迫った酒販免許の完全自由化という国策への嘆きなどいろいろ。ひとりひとりからお話を伺う中で、なぜか、おぼろげにも像が浮かび上がってくるのです。

ある筑後の角打ちでは、店主が地元の蔵を長年応援していたが方針転換で地元が切り捨てられたという回顧談を、カップ酒と魚肉ソーセージをお代わりしながら2時間じっくり伺ったことも。ただ本筋が正調粕取焼酎だったこともあり、伺った逸話のすべてが書けなかったことは残念です。

さて、ナラティブ・インクワイアリー(Narrative Inquiry)という言葉があります。ウィキによれば、定義はこうです。

ナラティブ・インクアリーは、単なるデータの収集と処理よりも、人間の知識の構成に焦点を当てています。それはまた、知識自体が、1 人にしか知られていない場合でも、価値があり、注目に値すると考えられることを意味します。

https://wikijp.org/wiki/Narrative_analysis

酒屋さんのNarrativeを伺ってから、20年が経ちました。いまはBig Data全盛のご時世へ。しかし定量データだけに頼るのではなく、逆にひとりひとりの知見・経験から語られる「口説」にもちゃんと注目しなければいけない、と痛切に思っております。


2002.8.19 by 猛牛

【肥前飲め街道】粕取調査行

■佐賀県内の粕取を求めて・・・徹底調査の旅へ!

2002年8月17日。筑前に帰還した2名の探検隊隊員の帰省歓迎会で飲みまくった翌日、佐賀県北部を中心とした粕取焼酎探索の旅に向かった。メンツはgoidaおよびえいじこ両隊員に猛牛の予定だったが、

「牛さんですかぁ?。えいじこですぅ・・・。済みません、二日酔いでぇへ(>_<)」

との電話を最後にえいじこさんとの連絡が途切れたため、goida&猛牛のみでの調査行と相成った。今回「肥前飲め街道」を行く旅の目的はこれである。

1)佐賀北部における正調粕取焼酎の店頭化店の発掘
2)出土した正調粕取焼酎の収集
3)粕取も含めたデッドストック商品の発掘および収集

というわけで、20歳代の前途有望な若者と40歳代の前途多難なおっさんの二人が休日をつぶして取り組む内容としては、極めて有意義なものであって、焼酎考古学発展の礎として語り継がれることであらふ(ぬぅあにやってんだろうねぇ、ほんとに)。

goidaさんが運転する車は、福岡西部を出発、一路唐津市へと向かった。

■正調粕取がまだまだ残る、唐津市周辺。

これまで唐津市内には正調粕取焼酎を店頭化している店がけっこうあるのは、猛牛単独行でも確認していた。そこでgoidaさんと唐津市周辺を探索してみた。

まず向かったのは唐津市の東部に位置する浜玉町にある『酒のバッカス』さん。 ここには『純粕製・天山』の25度および40度の一升瓶、40度の5合瓶が店頭化されている。

『純粕製・天山』については、ここ以外に店頭化されているところが、確認出来ていない。結論を先に言うと、今回の調査行でも最終的に見つかったのは、ここだけである。

唐津市にある名所「鏡山」の麓にある酒屋さんを回るが、まったく空振り。そこで、わてが以前発見したデッドストックが膨大に眠っていた店へと歩を進める。唐津の清酒蔵として有名な「鳴滝酒造」さんの近くにある某酒販店だ。

神田にあるB酒店さん。以前「鳴滝酒造」さんに行こうとして、見つけた酒屋さんだったが、中に入って驚いた。10年以上前のデッドストック物がわんさと埃を被っていたのだった。

「かつて好んで買っていたお客さんが、歳を取られて亡くなったり、体を悪くされて飲まれなくなったんですよ。それで在庫になってですね」

とは前回お邪魔したときに伺った若旦那の話。

わてが漁った後の棚で恐縮だったが、goidaさんが猛然と手に取ったのが白鶴さんの「粕取焼酎」。もう古すぎて、ラベルの色が白く退色してしまっている。それにしても白鶴さんはもう粕取を造っているのだろうか? HPには掲載されていなかったが・・・

次ぎに唐津市内に戻って入った店が二軒。商店街から西側、お寺の近くにある「かどや酒店」さんと「藤井酒店」さん。

こちらは、先の鳴滝酒造さんの『ヤマフル』が店頭化されていた。藤井酒店さんについては、前回買った時に1本しか残っていなかったが、今回は25度と35度両方が揃っていた。詰口は14年7月または8月と新しい。聞けば、注文生産らしく、酒販店からの依頼があった時点で瓶詰めするという。

goidaさんは、『ヤマフル』を手に取り、じっくりとチェックしていた。

唐津市中心および浜玉町では、粕取焼酎の需要がまだまだあることが分かった。しかし唐津市南部の新興住宅街に近い酒販店では全滅。今は昔の物語となっていたのだった。

■一路、伊万里市へ! しかし粕取の匂いもせず・・・。

「牛さん、伊万里まで足を伸ばしませんか? ちょっと行ってみたくて」

goidaさんは、なんとも探求心旺盛な若者である。わてはもう腹減ってイカ刺しでも食ってのんびりしたい、などと泣き言を頭の中で唱えていたのだが、やはり情熱の度合いが違うばいのぉ~。

伊万里市へと向かう道すがらで、目に付いた酒販店へ手当たり次第に調査を行う。

福岡市早良区の地醤油「ヤマタカ」

途中、真っ先に見つかった店に入る。粕取のカの字も無かったが、なぜか筑前西部で棲息している地醤油『ヤマタカ醤油』が出土した。驚いたねぇ、筑前市内中心部にも無いちゅーに、佐賀西部にあったとは!

唐津市内から川沿いに北波多村を過ぎ、伊万里市内に到る国道202号線の沿線は全滅だった。 店から出てくるgoidaさんが腕でカタチを作る「×」印が続く。

伊万里市中心部でも3店の酒販店に突入してみるが、まったく地粕取焼酎の影も形もなかった。 あったのは長野県の『澄』のみ。 とにかく伊万里市周辺は粕取焼酎については、需要が無いと見て良いかもしれない。

■まだまだ需要者が存在する武雄市中心部。

さて、昼飯時である。腹が減っては粕取調査行は出来ぬとばかり、伊万里駅前に車を止めて、駅員さんに教えて貰った駅前商店街の定食屋へと向かう。さすが鉄道にも詳しいgoidaさん、駅員さんに美味い店を聞くとは、ツボを心得ている。

豚串定食をガツガツと食っていたわてに、goidaさんが「次は武雄市の方に行きませんか?」と来た。食事の後はちょいとお茶でも、ぬぅあんて余裕をぶっこくつもりだったが、イカンイカン。粕取学術調査に気のゆるみは許されないのである!(-"-)

というわけで、真昼の太陽がグワッ!と照りつける伊万里市内から南へ、武雄市へと歩を進める。

最初の2軒は空振りだったが、JR武雄温泉駅前にあった『松尾酒店』さんには、『本部かすとり』があった。 見ると『ロイヤル白波』のデッドストックなど、結構な品が眠っている。

女将さんの話では

「この時期は女の方が砂糖を入れて飲んだり、需要があるんですよ」

とのこと。武雄周辺ではまだまだ古式床しい飲み方が残っているようである。

同じく駅からすこし西に行ったところにある『馬渡酒店』さん(上画像)では、驚いたことに、筑前の杜の蔵さんの『常陸山・梅酒用』と『吟香露』が店頭化されているのを発見。

近場の2店で粕取があるとは、梅酒用にしろ飲用にしろ、武雄周辺にはまだまだ期待が持てる。郡部よりも都市部に粕取があるとは、面白いところだ。

■さらに南へ! 鹿島市へと勇躍進撃!

武雄市内からさらに佐賀県南部、鹿島市へと向かう。車窓から見える田園地帯の緑が爽やかだ。しかし、正調粕取の姿は無く、気は重いw。

武雄市から塩田町、そして鹿島市内へと進撃するが、まったく調査の網に引っかかっては来てくれない。正調粕取にしろデッドストックにしろ、影も形もないのだ。

とにかく暑いのもあって、途中途中の酒屋さんで、ペットのお茶などを購入して飲みながらの調査続行であった。

■白石町で見つけた、島根の粕取焼酎。

鹿島市内から今度は北上、有明町を抜けて白石町に到る。そこで目に付いた一軒の酒販店さん。店の軒や壁には有名銘柄のロゴが踊っている。goidaさんは、すぐさまハンドルを切ると、店の中へと突撃していった。

店の名は『大隈商店』さん。品揃えを見ると熱心なご商売をされているのが解る。

突如現れた妖しい二人組(爆)。goidaさんが「粕取焼酎はありませんか?」と声を掛けると、大将が「いま置いているのは島根の『七寶』だけですが」と応える。こちらでも地粕取は置いていないという。

でもちょっと試飲していきませんかと勧められた。goidaさんが「ありがとうございます。でも車運転してますし、先もあるので」と辞退したが、わてが「はい。あのぉ、一杯だけ」

飲んだのは地酒の『東長』。有名な『東一』と関係がある蔵元さんらしい。

大将「吟醸酒だけでなく、日常酒としての一般酒も大変丁寧に作ってる蔵元さんで、応援しているんですよ」

とのことだ。美味しかった。 『毎日の酒』という視点、これは焼酎にしても他人事ではないような気がした。『七寶』を購入して、先を急ぐ。

■牛津、三日月、佐賀市内、大和、三瀬では今回は1軒のみ。

白石町を出て、牛津町→三日月町→佐賀市へと抜ける。以前わてが一人で回ったときは、この佐賀市周辺エリアでは結構粕取焼酎の店頭化が認められた。小城町や三日月町、佐賀市内で都合3軒ほどの店頭化店を発見している。さて今回は?

上記右画像、佐賀市にある『あんくるふじや』では『本部かすとり』が店頭化され、また試飲も出来るようになっていた。実際に飲んでみる・・・ん~~~ん、なんだか粕取が体に馴染んでいる自分に気づいた。この味が染み込むと間違いなく癖になる。

市内から佐賀大和インター方面へと向かい、大和町や富士町を抜けて三瀬村へ。

途中、これといった出土品もなく、調査は不調である。 陽もとっぷりと陰りを見せてきた。さて、筑前に戻って一杯やっか! 腹も減ったしね。

「肥前飲め街道」の粕取焼酎調査はこれをもって一旦終了した。

さて。goidaさんが、筑前西部の数軒の店もついでに覗きましょうという。事前にgoidaさんがリサーチした場所である。

■なぜか筑前南西部には多い、粕取焼酎の発掘場所。

三瀬村から背振山系を貫く三瀬トンネルへと向かう。このトンネルを抜けると、そこは筑前だった。三瀬峠は筑前と肥前を結ぶ交通の難所だったが、このトンネルのお陰で楽になった。しかし峠を出るとカーブと段差が激しい山道がつづく。

トンネルを出た途端に、対向車同士の事故が発生した現場に出くわした。登り車線の車が10台くらい並び始めたばかり。わてらはその横をすり抜け、山の麓にある曲渕ダムへと向かった。

曲渕ダムからすこし下った、地元で有名な2軒の豆腐屋さんに挟まれた『友納商店』さん。

こちらでは『萬代・粕取焼酎』があった。レジの横が小さい角打ちコーナーになっていた。席にいた常連のおいちゃん二人が「ああ、○○くんやないか!」と声を掛ける。前回探索時のgoidaさんを覚えていたのだ。

わては、ここでビール一杯をキュッ!といただき、さっと引き上げた。ぷはっ!

さらに山を下って、筑前西部の飯盛地区へと入った。goidaさんお勧めの『森田酒店』さんである。

御髪にはやや白いものが混じりながらも、可愛い御尊顔の女将さんと大将がいらした。聞けば筑前は粕屋郡の光酒造さんの『大亀』があるという。さっそく購入する。

この森田酒店さんでは興味深い話を聞いた。

猛牛「こちらでは、この粕取、どげな飲み方ばされよっとですか?」
女将「いえ、飲んでなかとですよ。」
猛牛「と言うと、どげなことで?」
女将「ここでは奈良漬けを漬けるとこが多くて、酒粕を粕取焼酎で溶かして使うと。飲むんや無かとよ」
猛牛「goidaさん。粕取は、わてらは自分が飲み、ここでは野菜が飲むったい」

自家用か出荷用かはわからないが、奈良漬けの仕込みに粕取焼酎を使っているという。この飯盛や金武のエリアは福岡市近郊にありながら、農村の田園風景が広がるところだ。高付加価値の換金作物の産地として名高い。

その話を聞いた瞬間、わての頭の中に、あの二匹の蛇がお互いの尻尾をくわえている意匠を思いだした。

佐賀の酒屋さんでも聞いたのは、奈良漬けの漬け込みに酒粕が大量に回されるため、粕取焼酎用への供給が決定的に不足してしまっている現状であった。

筑前ではもう一軒だけ、酒販店さんを回り最終的な調査を終えた。

短い時間に総計35軒、その内盆休2軒をのぞく33軒の酒販店の店頭を確認した。今回の調査において佐賀県だけで見た場合、30軒の内で地粕取を置いていた店が5軒、店頭化率=16.6%である。

◇   ◇   ◇

どこのお店でも話に出たのは、もう粕取焼酎を飲む人がお客さまに居なくなったという話であった。いろんな変化が正調粕取焼酎を過去へとグングンと押しやっている。

goidaさんおよびわても、家人に「また買ってきちゃダメよ。置く場所無いんだから。いい加減にしてよ(-"-)」と言われながらの、調査行。崇高なる理念に燃えての行動は、なかなか隣人には理解はして貰えない。しかし、粕取火急の時期だからこそ「探してでも飲むか!」という我らのような憑かれたカバが出てくるのかもしれない。

というわけで、goidaさん、長旅お疲れさまでした。また機会があったら、別のエリアを回りましょ。さて、焼鳥屋でも行って飲もうか、『霧島』のキープがあるけん。

(了)


■2022年追記:この時に一番驚いたのは、伊万里市内の酒屋の店頭に、福岡市早良区東入部というDeepSouthな場所にある地醤油蔵「ヤマタカ醤油」の一升瓶があったこと。
本文でも書いているけど、当時はわてが住んでいた福岡市内西区のスーパーでさえあまり置いてなかった。それが伊万里に置いてあったということに驚いて、地醤油の生存圏に興味がわいた。
20年後、「ヤマタカ醤油」は福岡市の中央区あたりから西域のスーパーでは普通に置かれる商品になってしまった。光陰矢の如し。

それと福岡市西区の飯盛、DeepSouthな農業地帯にあった森田酒店さんの角打ちでのこと。私らがカウンターの真ん中あたりに陣取ると、端に行ってくれと女将さんに窘められた。村落共同体における常連の席次が決まっているとのことで、長老が一番レジに近い右端、私ら一見は左端である。悪い気はしなかった。コミュニティの秩序、掟を乱しているのは私たちだから。近隣に大きな戸建て団地開発があったりしたが、まだ森田酒店さん、やってるのかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?