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正調粕取焼酎 『ヤマフル』蒸留に挑む(3)

本稿は2005年4月にサイト『九州焼酎探検隊』で公開したコンテンツの再構成版です。
画像は蒸籠で蒸留された後の粕(下粕)

2005.04.13 by 猛牛


■蒸留粕を蒸籠から取り出す・・・。

カネさんとわての汗と労苦と腰の痛みが・・・ちょ、ちょっぴりと入った『ヤマフル』の2釜目が終了した。次は蒸籠から蒸留した後の粕を取り出す作業が待っている。

兜釜を吊り上げ、上段からひとつづつ下ろしていく。

蒸籠を下ろす古舘社長
同じくカネさん

蒸籠を外す度に、“ヤマフル臭”のするぬぅあんとも気持ちエエ湯気が、もわもわっ!と吹き出してくる。

カネさんは古舘社長と蒸籠に外しに挑戦。結構重たいようだ。わてもやってみたいが、撮影班なのでシャッターを切ることに専念する。どんな感触なんだろうね。

粕を倉庫の外にある同じステンレス製の平たい桶へと移し替える。

上記写真は蒸留器の基部。黒いのは樹脂製のパッキンである。中央の穴から蒸気が噴き出してくる構造。構造が確認できるのは、やはり現場ならでは。

古舘社長「蔵に残っていたこれらの道具は、いったい何に使うのかとずっと不思議に思っていました。でも、これらが全て残っていたお陰で復活できたんですよ」

わても神様の計らいに感謝する次第である。道具の補修ができないという理由で正調粕取製造を断念した例をよく聞くからである。それともうひとつの大きな理由は、手間とコスト。実際にその作業の一端を体験したわけだが、手間の掛かりようは尋常ではないと思った。係わる人数も多く、大変だ。

古舘社長「採算性を考えると、企業としては合わないんですね。数量も多く造れるものでもありませんし。伝統文化として残したいという一念がなければ、ですね」


■カネさん粗相! 唐津の農業生産に甚大な被害が?!

カネさん、手際よく桶に移してるな、さすがやね!なんて思いながら、シャッターを切っていた。が、あらら・・・向こう側に回って驚いた!

蒸された粕を移し替える、古舘社長(右)、カネさん(左)
カネさんが唐津の農業生産に影響を与えたお漏らし

もっ、もったいねぇーーー!!

イケマセン、イタダケマセン!と声がかかりそうだぁ。カネさん、桶から蒸留粕おこぼしの一幕。「どうぜまたページで書くんでしょ?」

はい、書きます!

なにせ、江戸時代に農業生産を飛躍的に伸ばす一助となったのが、この正調粕取を採った後の蒸留粕=「下粕」だったのである。

その貴重な下粕をこぼしてしまったのだから、その分、唐津での農作物の生りがちょいと小さくなっちまうんでは?と気がかりである。

とゆーわけでこの下粕だが、ビニール袋に入れて農家の到着を待つ。

ここ数日の分も、その日の内にすべて持って行かれてしまったという。ほんとですばい。凄い。

農作物の生育がまったく違うらしく、特にスイカには良いらしい。

まさに、江戸の完全無欠リサイクルである。

古舘社長「やってみて驚いたんですが、まったくと言っていいほどムダが無いんですよ。捨てる所がない。完全なまでにリサイクルできるんですね」

米から生まれた酒粕から、粕取焼酎を生み、その蒸留粕が田畑に撒かれてまた作物を育む。連鎖のプロセスに無駄はほとんど存在していないのだ。江戸時代の人々の知恵の凄さを思わずにはおれなんだ。大したものである。

そーいえば、九州に残る伝説に「焼酎粕処理の大型道具を売りに歩いていた商人が、焼酎が儲かると踏んで綺麗な衣装を着せては高い値段で市で売り始めた。しかしあまり売れた気配もなく話もとんと聞かぬ内、次は御上の高札が立って『大型道具を入れねばまかりならぬ!』と御触れが出た」というのがある、と聞く。

正調粕取の蒸留を眺めていて、ふと思い出したのだが・・・。


(4)へと続く。

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