「紀文ちくわぶ」沖縄繁殖奇聞 2001
『ちくわぶ倶楽部』は1999年から2003年の間に私が作っていた、おでん種ちくわぶのページです。この関東発祥の食材が、なぜか潮路遙か沖縄で定着していたのですが、その経緯について、「紀文」さんより詳細な情報をいただいきました。”民衆の知恵”からズレるかも知れませんが、食文化の移入と定着の記録として貴重だと思い再録します。
驚き!! 九州を通り越して、
沖縄が「わぶ」の大生息域であることが判明!
ついに確定した生息地の南限に
ちくわぶ研究界は騒然!!
これまで不明だった「わぶ」の南限が、
このほど現地での綿密なフィールドワークにより判明!
沖縄は“はぶ”だけでなく「わぶ」の宝庫でもあった!!!
沖縄と言えば、折口信夫などの名だたる民俗学者が、失われた日本古代の民俗を求めて足を運んだところである。沖縄戦から56年、本土復帰からちょうど来年で30年。激動の試練を経た現在においても、あらゆる所に沖縄独得の古俗が顔を見せているのは、島という地理的条件故であろうか。
さて今回、『ちくわぶ倶楽部』としては、「ちくわぶ」の生息域の南限を確定するために勇躍沖縄にフィールドワークを敢行した。そこで判明したのは、沖縄本島がヤンバルクイナを代表とする動植物だけでなく、“ちくわぶの楽園”でもあったという驚愕の事実である。
この度沖縄で発見されたのは、ちくわぶ界のトップブリーダーである紀文さんのわぶである。
見事捕獲に成功したのは短躯型のつがいタイプで、推測するに関西以西で最も生息が確認されている品種である。
まず最初の発見場所は、スーパー『サンエー』具志川メインシティ。サンエーは地元資本の最大手スーパーで、具志川市は沖縄本島の中部にある。店頭、デイリー品のコーナーで1フェイス分のスペースに横たわっているところを発見。
「沖縄にもわぶが!!!(@_@;)」という驚きと感動で、捕獲網を思わず取り落とすところだったが、無事に捕獲に成功した。下記が同つがいの背面である。
しかしながら、好事魔多し・・・。捕獲した翌日、宿舎を出る際に宿舎冷蔵飼育庫内に置き忘れるという、何とも痛恨の事態が発生したのだ(T_T)。しかたなく再度捕獲のために行動を起こしたのであった。
次に向かったのは沖縄本島の最大の都市・那覇である。今度は本土資本であるジャスコ那覇店内で「わぶ」の探索を始めた。
な、な、ななななななななんと!
ジャスコ那覇店は驚異的な「わぶ」の繁殖ゾーンとなっていたのである! 発見されたのは、「サンエー具志川店」で生息を確認されたものと同種の「紀文・短躯型つがいのわぶ」。しかも冷蔵ケース内の4フェイス、奥行き3、つまり4×3=12つがいという大量のわぶが群生していたのだ!
いやぁ~、ほんとびっくらした。あんな大量のつがいを見たことはこれまで無かっただけに、いまだ感動のために胸が高鳴っているのである。しかしながら、なぜ九州や沖縄では、短躯型のつがいだけで、長躯型の一匹わぶタイプが生息していないのであろうか? 今後の探究すべき課題がまた浮上したのも事実である。
さて、上記が「サンエー・具志川メインシティ」と「ジャスコ那覇店」から発行された“ちくわぶ捕獲証明書”である。当倶楽部においてはわぶの捕獲と移動について“わぶシントン条約”を忠実に履行していることをお断りしておく。
◇ ◇ ◇
それにしても、沖縄本島が意外にもわぶの一大生息地であった今回の大発見であるが、それが何故なのか理由についての仮説を提示しておきたい。
この仮説であるが、それを裏付けるのが、地元資本と本土資本のスーパーにおける生息個体数の差であると考える。捕獲地域にしても、本島中部の具志川市と那覇市では、圧倒的に那覇市の方が関東からの移住者が多いのではないかという推測が成り立とう。
それにしても、沖縄での生息エリアの広範さと個体数の多さはまさに特筆に価するものであり、わぶ生息の南限が確定したことは、とにもかくにもわぶ研究の大いなる前進となったのである。
いつの日か、“わぶ”が「はぶ」を駆逐、わぶとマングースの一大決闘ショーが観光客相手に演じられるのも夢ではない・・・・・・。
(了)
■2022年注記:現在では福岡の小さなスーパーでも当たり前に「わぶ」が練り物コーナーに置れていますが、01年当時は探してもなかなか見つからなかい店頭状況でした。
そんな時に目の当たりにした沖縄での「わぶ」大繁殖。それがなぜ起こったのか知りたくて、紀文さんに質問のメールを差し上げました。そうしたら、なんと詳細かつ丁寧な返信を頂戴したのです。
沖縄の「わぶ」大繁殖の影に
秘められた壮大な世界史的事実があった!
当地でのわぶ“必食仕掛人”の存在に
ちくわぶ研究界は驚天動地!
「わぶ」の南限が判明したその後、
さらなる沖縄でのわぶ繁殖の原因究明の過程で
歴史の闇に秘められた新事実が発掘されたのである!
前回お知らせした沖縄でのわぶの驚異的繁殖状況であるが、その原因については私なりの仮説を提示していた。しかしながら、原因究明の念断ち難く、わぶ界のトップブリーダー・紀文さんに沖縄でのわぶ定着化の謎について質問を申しあげていたのである。
またよりによって鍋物の書き入れ時である真冬、紀文さんにとっては一年で最もクソ忙しい時期であるのは重々承知の上であったが、失礼ながらメールをお送りした。相手の都合にお構いなし、まったく困った男である。
さて、わての質問は下記の通りである。
ところが。お忙しい中、紀文さんからの頂戴したご回答はこうだったのだ!
◎◎◎◎◎◎◎以下、紀文さんからの返答◎◎◎◎◎◎◎
沖縄のちくわぶについて
■1.海洋食品
手前味噌で恐縮ですが「海洋食品」の営業力の強さだと思います。
海洋食品とは、沖縄の一番の問屋「ジーマ」と紀文が25年前(注:1975年8月)に設立した合弁会社です。紀文のチルド食品のノウハウとジーマの営業力、流通機能を融合させ営業活動を推進してきました。
現在のシェアーは40%ほど(注:2001年当時)ですが、一時は海洋食品でなければ和風日配食品の品揃えは出来ないといわれるほどだったそうです。
合弁当時、沖縄には関東風のおでんは存在せず、沖縄でおでんといえば、東京で言う「煮物」のことでした。沖縄の暑い気候ではおでんを鍋に入れて暖を取ることは必要ありません。従って、鍋で煮たものを皿にいれて食べます。
このような土地柄の沖縄に、海洋食品が関東風おでんを「直輸入」したわけです。海洋食品は紀文のブランドマークをつけ自社工場で製造し、練り製品を中心に東京の味の普及に努めて参りました。
現在では沖縄本島に250店舗強あるコンビニのカウンターに置かれているおでんは、東京風の味付けです。九州にある牛スジ等は並んでおりません。今後もおでんといえば地元の煮物ではありますが、東京風おでんも完全に定着しております。
■2.沖縄独自の文化
もう一つの要因としては、沖縄の他の食文化に対する姿勢だと思われます。
沖縄は他の都道府県と大きく異なり、最初に入ってきたものを大切にする傾向があります。例えばボンカレーなどはその典型的な例です。沖縄では初期型のボンカレーがいまだに高いシェアーを持っています。
関東風おでんについても弊社(海洋食品)が最初に持ち込み、販売を拡大してまいりました。沖縄の方にとってはボンカレーと同様におでんと言えば関東風のおでんということになるのだと思われます。
地理的には九州のおでんの影響を受けるように見えますが、このような沖縄独自の文化的背景により、現在も「純粋な」関東風おでんが支持されているのではないでしょうか。
蛇足となりますが、関東風おでんとちくわぶについて申し上げます。
関東、特に東京のご年配の方々にとって、「ちくわぶの入っていないおでんはおでんにあらず」といいます。東京のおでんにとってちくわぶは中心的存在です。
おでんをオーケストラに例えればオーボエのようなものでしょうか。たとえ影が薄くても、オーボエがいなければオーケストラと呼べないように、ちくわぶがなければ東京おでんにはなりません。
25年前、沖縄に持ち込まれた最初のおでんが、ちくわぶを中心として構成した東京おでんとすれば、当時のままの姿をとどめているのは何ら不思議ではありません。
ただ、現在他県から沖縄をみたときに、ちくわぶの東京なみの普及が異様な光景として写るのだと思われます。仮に、最初に持ち込んだのが関東の紀文ではなく、関西や九州のメーカーであれば、ちくわぶの普及はなかったでしょう。
◎◎◎◎◎◎◎引用終わり◎◎◎◎◎◎◎
紀文の○○様、および沖縄のご担当の方、極めて詳細かつ丁寧な情報、痛み入ります。御多忙にもかかわらずお調べいただき、誠にありがとうございました。
なるほど!!! これを読んで、沖縄でのわぶ大繁殖の謎がよく飲み込めたのである。確かにボンカレーのくだりは実感だ。私も実際にサンエーやジャスコの店頭にあの懐かしいパッケージがたくさん並んでいたので、おろろ(@@;)と思っていたからなのだ。
またしても紀文さんのご協力により、戦後沖縄おでん秘史「わぶ大繁殖の謎」が解明され、わぶ研究史の前進のさらなる一歩を記すことが出来たのであった。
(了)
■2022年追記2:21年後、福岡では紀文さんの「ちくわぶ」は季節となればどこのスーパーでも扱う定番商品となりました。逆に、現在の沖縄のおでんの状況はどうなのだろう。変わりないのだろうか。
「わぶ」の沖縄移植については、まったく地盤を異にする食文化が遠く海を渡った他郷で定着した実例として、興味深いケースです。
ところで。2003年だったか、静岡放送ラジオさんから取材依頼が入りました。なんでも、当時同局の番組で「わぶ」がたいそう話題となっていたそうで、翌年正月元旦の生中継時に電話取材で「わぶ」の話を聞かせろ、というのです。お屠蘇のほろ酔い気分で”わぶ愛”を開陳したことを思い出します。
いまは福岡でもそうですから、紀文さんの「ちくわぶ」もう全国的に定着して、”ありふれた日常”になったのかも知れませんね。
遊星からの物体X、「ちくわぶ」よ、永遠なれ!
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